本日はNew Year's Eve

30代OLが「書き手」になる夢を叶えるドキュメンタリー

ほんわかしたことばに憧れたわたしは、なぜ心えぐる文章ばかり書いてしまうのだろう。

「そういや、わたし……」
今日、お客様とお話をしながら、なんだかスルスルといろんなことを思い出した。

たしか、文章を習い始めた頃は、
「読んだ人のきもちがあったかくなるような、やさしい物語とか、書けたらいいなぁ」
そんなことを思っていた。

ところが。
文章を習い始めたのが今から大体1年9ヶ月前。
振り返ってみると、そんなふんわりほっこりな文章なんて、一度も書けてない気がする。
むしろ「胸が締め付けられた」「心がえぐられた」と言われることが多い。

なんでだ、なんでだ、なんでだ?

 

「文章って、嘘がつけないですよね」
お客様とそんな会話をしながら、自分の放ったことばが、ブーメランのように我が身に返ってくる。

そうか、ふんわり、ほっこりは、嘘の姿なのか。
それは、わたし「らしく」は、ないのか。

そうして考えてみて
「言われてみればそうだなー」と思う。

 

わたしが何かを書くとき、
いつも表現したい世界観があって。
大体テレビを観ながらか、音楽を聴きながら書く。

ひとつは、どこかに笑いを入れたくて、お笑い番組を流しながら書いたり。

そうじゃないときは、
大抵GLAYELTの曲を聴きながら書いている。

そうだ。
彼らの曲は大抵、
たとえ嘘に囲まれた醜い世界で生きようとも、
北風吹きすさぶ凍えそうな時にも、
闇の中でも、傷ついていても、
たとえ一人になろうとも、
全身で君に愛を叫ぼう。
的な曲ばかりだ。

そりゃ、ほんわかほっこりには、ならないねぇ。笑

 

それに何しろ自分自身が、
穏やかなゆるやかな人生を、
選んでこなかったかもしれない。

何度だって、
ふんわりしたあたたかなしあわせに包まれた生活を選ぶことは出来たはずなのに、
選択を迫られる度に、反対の方を選んできた。

そのせいか、心をえぐられるような、引きちぎられるような想いを何度もしてきて、
だけどそれでも、それが自分の人生だ、と言い聞かせてきた。

 

だけどそんな人生でも、
ふとした瞬間に、
穏やかな心温まる時が訪れる。

しんどくて泣きたい時、
友達から可笑しなスタンプが送られてきたり、
疲れて帰った地元で、友達のこどもが、指をギュって、握ってくれたり。

ほんの一瞬でも、
そんな瞬間があるから、
心を繋いでがんばれることができた。

だから、自分も、
誰かのそんな存在になれたら。
少しでも、そんな言葉を綴れたらいいな。
そんな風に、心のどこかで願い、憧れていたのかもしれない。

 

でも。
たしかにそれは、わたしの中から自然にわいてくることばでは、無いかもしれない。
無理してがんばって誰かをあっためようとしなくても、
自分らしく、たとえ尖っていたとしても、
それが何かの形で誰かの心に届くなら、
それはそれでも、いいのかもしれないな。

そんなことを思いながら、
年末の北風吹く中、
酔っ払いでギューギューになった電車に乗り込む。

イヤホンから流れてくる「SORRY LOVE」に涙が出そうになる。
「Together」は、何度聴いてもため息が出る。
"ひと夏の恋"を、これほどまでに美しく書き換えられる人が、他にいるだろうか。

あまりの切なさに、心がえぐられる程痛くなるけど、それでも、またがんばろう、と、前を向きたくなる。

 

やっぱり、この世界観が、わたしには合っているかもしれない。

憧れの理想の自分ではなくたって、ちゃんと、自分らしく生きていく方法は、必ずある。
今年ももうすぐ終わる。
1年かけてまた少しだけ、自分のことを、理解することができたかもしれない。
ふと見上げると、空から落ちてきそうな半月が、雲の間から、オレンジ色に輝いていた。

まだもうちょっとだけ、今年もがんばってみよう。

きっとそうしたら、もうすぐ新しくって良い年が、やってくるから。