本日はNew Year's Eve

30代OLが「書き手」になる夢を叶えるドキュメンタリー

なんのために生きるのか。それを自分で決めることができたら、きっと前を向いて生きていける。

「あなたにはせっかく素敵な友達がいるんだから」

 

ひさしぶりに連絡をとった妹からのメッセージに思わず、涙がこぼれた。

あぁ、そうだ。

本当にそうだ、と、心から思った。

 

「わたしが人生で誇りに思うことは、素敵な友達がたくさんいることです。自分には何もありませんが、いつも友達が助けてくれるので、とても充実した高校生活を送ることができました」

 

大学の受験の時。

「あなたが高校生活でがんばったこと、誇りに思うことはなんですか?」

 

そんな質問に、そう答えた。

 

本来なら「部活で優勝しました」とか「勉強頑張って全国何位に入りました」とか、そんなことを書くのかもしれない。

 

だけど、なんの取り柄もないわたしには、がんばったことも、誇りに思うこともない。

ただ、「がんばったこと」「誇りに思うこと」と聞いてすぐ思い浮かんだのは「友達づくり」、そして、その友達がとても素晴らしく誇りに思える人たちだということだった。

 

なんとも、スネ夫みたいな回答だ。

 

だけど、心の底からそう思ったし、わたしの高校生活は「友達」しかない。

彼らと出会えたことで、3年間とても充実していたし、どんなことがあってもがんばれたのは、みんながそれ以上に頑張る姿を、近くで見てきたからだ。

 

友達に会うこと。話すこと、遊ぶこと。

すべてがご褒美と思えるくらい嬉しかった。

 

それは、今でも変わってない。

 

お正月になれば30過ぎてもいつものメンバーで集まって、初詣に初日の出に繰り出していく。

早朝のコンビニでフレンチドックを頼んで揚げてもらって、高校生の時と変わらずにはしゃいでる。

誰かが結婚したり、こどもができたりすれば、この関係は変わると思っていた。

 

だけど。

 

そんなことは、なかった。

 

高校時代からの友人関係は、ずっと変わらなかった。

会えばものすごくエネルギーになるし、みんなが頑張っていると思えば、歯をくいしばることも、苦にならない。

不思議なほど、友達の存在が、わたしにとっては大きかった。

それくらい、大切で、大好きだった。

 

「あなたにはせっかく素敵な友達がいるんだから」

 

ひさしぶりに連絡をとった妹のことばに、ハッとした。

 

そうだ。そうだった。

わたしには素敵な友達がたくさんいる。

それなのに、この1年近く、友達を大切にできていなかった。

大人になれば、社会人になれば、そんなことは、当たり前なのかもしれない。

だけど、わたしの場合はそうじゃなかった。

 

どんどん苦しくなって、自分を見失っていった。

何をやっても楽しくないし、何をやっても、どうでもいいと思うようになった。

わたしにとったら、夢を叶える、とか、目標を達成するとか、そんなことと同じくらい「友達」の存在はエネルギーだった。

友達に会えない自分も、友達を大切にできない自分も、好きじゃなかった。

友達に会えないなら、友達に会う時間すらなくなってしまうなら、それは夢でも目標でも、なんでもなかった。

 

「くだらないけどさ、大事だよ」

 

先日ひさしぶりに会った友達が、そう呟いた。

 

「大事にしてほしいよ」

 

あぁ、そうだなぁ、わたしも大事にしたいなぁと思った。

そうでなければ、わたしの人生の意味がないなぁと、そんな思いがふつふつ湧いてきた。

友達に会うとか、遊びなんて、人生の余分な物のように思っていた。

だけど、違う。

わたしにとって、それは、人生の中心だった。

家族のために生きる人。

家族のために働く人。

そんな人はたくさんいる。

それとおんなしように、友達のために生きること。

友達に会える日を楽しみに仕事を頑張ること。

それだって、ひとつの、人生の価値観なんじゃ、ないだろうか。

 

「あなたにはせっかく素敵な友達がいるんだから」

 

そう言ってくれた妹も、実は、本当の妹じゃない。

彼女も、友達の1人だ。

周りに似ていると言われ、好きなものも笑うタイミングも一緒な彼女とわたしは、お互いに姉と妹と呼びあうようになった。

お互いのことを大事に思って、時には喧嘩することもあった。

だけど、大好きで仕方がなかった。

だから、わたしの地元の友達と遊ぶときにも、彼女を何度も呼んだ。

わたしの友人の結婚式の二次会に、ひとり来てくれた時は、本当に嬉しかった。

あぁ、本当に家族みたいだ。

そんな人に出会えるのは奇跡だし、そこまで友情を育めたことを褒めたかった。

何よりのご褒美は、彼女と友達関係が続き、時々でも会って、涙が出るほど笑って、元気をたくさんもらうことだった。

 

だけど、そんな彼女にもしばらく会えてなかった。

それどころか、仕事を理由に、彼女の結婚式に、出ることができなかった。

悲しかった。

悔しかった。

そんなの、わたしじゃない。

何よりも友達を大事に優先したいわたしなのに、心臓をちぎって破って捨てられるような思いだった。

いまだに後悔している。

どうして、なんとしてでも、行ってあげられなかったんだろうと。

 

「実家、大丈夫だった?」

ひさしぶりに、彼女から連絡がきた。

北海道の大きな地震を心配してくれていた。

妹と呼ぶくらいだ。

もちろんわたしの母にも会っている。

ずっと単身赴任をしていた父が帰ってきて、一緒にいることを伝えると、とても喜んでくれた。

 

結婚式の後、なんだか申し訳なくて、連絡をとることができなかった。

彼女もきっと、わたしのそんなめんどくささを知っている。

きっと億劫なのと、様子を見ておこうとそっとしておいてくれたんだと思う。

 

だけど、やっぱり妹だ。

心が折れそうなときに、連絡をくれ、そして、今必要なことに気づかせてくれた。

 

「あなたにはせっかく素敵な友達がいるんだから」

 

そうだ。

わたしには、それが、すべてだ。

そして、それ以上のしあわせも、いきがいもない。

 

そんな大切な友達に、堂々と会いに行ける。

変わらずくだらないことで笑いすぎて涙を流せる。

そんな自分で生きていこう。

本当に大切なことに気づけたとき、人はきっと強くなれる。

それ以外は気にならなくなるくらい、腹を据えて、前に向かうことが、できるはずだ。

 

もし、おじいちゃんがもっと長生きしていたら。

「もし、おじいちゃんがもっと長生きしていたら、あいつの人生も、もう少し楽だったんだろうな」

 

いつの時か、兄が母に言ったという言葉を思い出す。

 

こどものころ、わたしは、おじいちゃんっ子だった。

と言うよりも、おじいちゃんにしか、心を許していなかったかもしれない。

 

お母さんは、いつも怒ってた。

正しいことを教えるために。

間違ったことを、しないために。

今思えばもちろんそれは必要だったと思う。

自分より倍以上も大きなお兄さんに喧嘩を売ったり、思うようにならないと、草むらの中で数時間寝転んで、皮膚科の先生に怒られるようなわたしだ。

 

いくら自由でもそこまでしちゃダメだ。

人に対してはそんなこと言っちゃダメだ。

 

何をしでかすかわからないクソガキンチョの娘に、毎日ハラハラドキドキしていたんだろう。

 

父の記憶はあまりない。

元々仕事に忙しく出張も多かった。

無口な性格で、こどもを可愛がるタイプでもなかった。

気づけば、いつのまにか父は単身赴任で遠くに行ってしまい、会えない日が増えた。

久しぶりに会話をしたかと思えば「勉強はどうだ? こないだのテストは何点だ?」と気の抜けない会話ばかりだった。

 

祖母は、男の子を可愛がることで、まわりにも知られていた。自分は女の子を2人産み、自分の兄弟も、妹が多かったらしい。

だから、家の中にいる男の子は珍しかった。

祖母が、兄を誰よりも可愛がることは、みんな知っていた。

まして、教頭の妻として、シャンとしてなければならない。

人が怖くて、誰か来るたびにテーブルの下に隠れたり、言うこと聞かずに鼻ほじってるような孫娘は、衝撃的な存在だったのだろう。

「女の子なんだからちゃんとしなさい!」

そう怒られるたびに「好きで女の子になったんじゃない」と、ふてくされることも多かった。

 

そんな中で、祖父だけは、違った。

祖父だけは、やさしかった。

「あの子は本当はいい子なんだよ。それを表に出せないだけだ」

長年教師をしていた祖父は、そう言って、いつも誰よりも味方でいてくれた。

 

だけど、そんなひねくれもののガキンチョのわたしにとって、祖父の死はあまりにも早かった。まだ小学生だった。

自分のことを省みたり、学校とか組織に所属することの意味を理解し始めた頃には、祖父はもういなかった。

 

祖父は戦争を経験した後、

教師として多くの人に慕われていた。

おじいちゃんになったあともよく、校長先生やいろんな人が遊びに来ては麻雀をしていた。

 

だから、遊びに行っても祖父を独り占めできないことは、しょっちゅうだった。

それに、わたしは極度の人見知りだった。

「こんにちは」すら言えないこどもだった。

 

挨拶をして、声が小さいとか、あの子はいい子じゃないとか、そんなジャッジをくだされるなら、そもそも顔を合わせなければいいと思っていた。

だから、お客さんが来るとわかればすぐに2階に逃げた。

間に合わない時は、テーブルの下で、お客さんが帰るまで何時間でもジッとしていた。

 

2階に逃げた時、いつも迎えに来てくれるのは、祖母だった。

ほんとはもうお客さんが帰ったってわかってるのに、2階でごろーんと寝転がっていると、「はぁ、よいしょ」と祖母の声がした。

 

とん、とん、とん、と、階段を登る音。

「これ、いつまでそうやってんだ? もう帰ったよ!」

そう言って祖母はかかとをポンとたたく。

それがなんだか嬉しくて、いつもそこで待っていた。

いつもお兄ちゃんにとられてしまうおばあちゃんが、その時だけは、わたしを迎えにきてくれたから。

 

祖父は、よくお酒を飲む人だった。

飲まない時は優しいおじいちゃんだったけど、

飲んでる時は、何を言ってるかわからないこともしょっちゅうだった。

よく、戦争の話をしていた。

 

そんな時は祖母が、バスに乗ってデパートへ連れてってくれた。

バスの中で海を眺めながら、ずっと行くと、デパートがあった。

祖母のパッチワークの材料を見たり、お洋服屋さんやおもちゃ屋さんを見たり。

なんだか全部がキラキラして見えた。

 

「喉乾いたね」と、最後は、その場で作ってくれるジュース屋さんに立ち寄る。

2人でベンチに座って「ぷはぁ」と飲む瞬間が、たまらなく好きだった。

 

わけのわからない孫だけど、祖母は、ちゃんと大事にしてくれた。

祖父が早くにいなくなってからも、ずっと「父さんは、あんたはいい子なんだってよく言ってたっけね」と言いながら、大事にしてくれた。

 

「もし、おじいちゃんがもっと長生きしていたら、あいつの人生も、もう少し楽だったんだろうな」

 

兄が言う通りもし、おじいちゃんが、わたしが中学生、高校生、大学生、さらには社会人になるまで生きててくれたら、どんなによかったろうと思う。

だけど。

その分、おばあちゃんに大事にしてもらった。

お父さん、お母さんにも、大事にしてもらった。

 

いつか父や母にも。

たとえ、わたしのようなへんちくりんだとしても、孫を持つ幸せを体験してもらうことは、できるだろうか。

もしそういう人生じゃなかったとしてもきっと、「手のかかる娘で精一杯だよ」と笑ってくれるような気がする。

 

会うたびに年をとっていく父と母に、自分がこどもだった頃の、祖父と祖母の姿がかさなってくる。

これからどんなことを一緒にできるかな。

親孝行なんて、わたしにできるだろうか。

 

敬老の日に祖父母のことを思い出しながら、なんだかそんなことを、考えた。

 

怒っているのに気持ちがいいのは、なぜだろう。

植松さんは、ブログでいつも怒ってる。

見た目はとても穏やかなのに。

映像で見ると、とても朗らかなのに。

文字で読むと、いつも怒っている。

 

だけど。

嫌な気持ちにならないのは。

なんだか読んでて、イライラしたりしないのは。

 

きっとその植松さんの怒りは、

自分を守るための、

誰かを攻撃するための怒りではないからだ。

 

より良くなるための、

誰かを守るための、怒り。

傷ついている人の代わりに、怒っているんだ。

 

植松さんのブログは、ロックだ。

いつもそう思う。

だから、口調は怒っているのに。

時に辛辣な言葉が並んでいるのに。

それでもなんだか心があったかくなって、時に涙するほど嬉しくなるのは、

植松さんの綴る言葉が、その精神が、ロックだからだ。

 

ロックな大人はかっこいい。

強いだけのものに屈さない。

弱さを潰そうともしない。

ただ、自分の真ん中に軸を持って、芯を通して。

そこからぶれることなく。

熱を持って、スピードを持って、勢いを持って。

ただ進んでいく。

ものすごいエネルギーで、前に向かって進んでいく。

 

そんな大人に、なりたいと、いつも願う。

そうやって、自分も突き進みながらも、

下の世代を守っていける。

そんな大人になりたいと願いながら、

あぁ、すごいなぁ、ロックだなぁ、と目頭拭いながら、

今日も1日が、終わっていく。

 

「負けないよ。大丈夫だよ」

いつも思い出すのは、フィリピンを離れる時に、年下の友人がくれたプレゼント。

フィリピンの伝統的な武器のレプリカだった。

 

「あなたから強さを学んだ。だからわたしも、必ず強くなるよ。闘うよ」

時々、神様のお迎えを願う彼女に、わたしはいつも「もう少しだけ耐えて」と伝えていた。

もしかしたら、明日、1時間後、いや、5分後に楽しいことがあるかもしれない。

それなのに、これまでがんばったことを無駄にしたらもったいないよ! って。

ちゃんとご褒美もらってから力抜こうって。

時にまじめに、時にふざけて笑いながら。

彼女を応援し続けた。

 

日本に帰る場所のあるわたしと、

フィリピンで15人兄弟の長女として生まれた彼女。

 

明らかに、もっとがんばらなきゃいけないのは、わたしだった。

もう、十分すぎるほど耐えていたのは彼女だった。

 

だけど。

「頑張ろう。頑張ろう。もうすぐ、楽しいことが起こるよ。あとちょっと! できるできる!」

毎日毎日言い続けた。

 

そして、それを、わたしは後悔した。

 

彼女が「ありがとう」とくれたプレゼント。

これからはあなたがいなくても、1人で闘うよって、言ってくれた、プレゼント。

 

武器の、レプリカだった。

 

あぁ、違う。

これは、強さじゃない。

攻撃する強さは、本物じゃない。

弱いから、攻撃をして闘うんだ。

本当の強さは、その武器もろとも抱きしめても、傷つかない強さだ。

大丈夫だ、安心して、武器を手放そうと、抱きしめてあげられる、心と体の強さだ。

 

わたしは、弱いから、きっとフィリピンでひとり、必死で闘っていたんだ。

誰かに完全に心を許すことなく。

どこかで、いつ誰に騙されるかわからない、と、ビクビクしていた。

その弱さと不安を吹き飛ばすために、武器を振り回して、負けてなるもんか、と生きていたんだ。

 

そんなわたしの姿を見て、彼女は攻撃できる強さを覚えようと覚悟を決めていた。

 

だけど。

きっと、本当は、本当の強さは、誰かを信じることだ。

信じて、攻撃をしないことだ。

 

植松さんのような、強さだ。

 

植松さんは、いつも怒っている。

だけどそれは、武器を振り回すような怒りや攻撃とは違う。

今は弱い立場にいる人も、それぞれ必ず好きなことと、発揮できる力があると、信じている。

そしてきっと、同じ想いを持って、より良い方向に一緒に進んでくれる人がいると、信じている。

 

だから、その怒りは、特定の誰かを否定したり、攻撃したりする怒りじゃない。

 

自分は一緒にいるよ。

こんなことがあっても大丈夫だよ。

今はそんな間違ったことが起こっていたとしても、未来には必ずいいことがある。

そのことを伝えるために、怒っている。

ロックの魂で、叫んでいるんだ。

 

不安に怒りを乗せるのではなく、

前に進むためのエネルギーとしての怒り。

すごいなぁ。

そして、ありがたいなぁ、と思う。

「どうせ無理」と思いたくなっても、「だったら!」と前向きに切り替えることができる。

 

いつかこんな風に。

世の中の矛盾や理不尽や

いろんな切ないことを。

全部受け止めて、その上で、不安に震える若い人たちを、抱きしめあげられる大人になりたいなぁ、と、思う。

ameblo.jp

無駄なことを省こうとしたら、わたしがいなくなってしまった話。

「無駄を省かなきゃ」

取り憑かれたようにずっと、そのことばかり考えていた。

行動も、考えも、感情も。

無駄がいっぱあるからうまくいかない。

とにかく無駄さえ省けば、きっとうまくいくんだ。

 

そう、思っていた。

 

断捨離、断捨離、断捨離。

そう思って、なんでも捨てて、なにも取り入れず、ただただ無駄なものと決別しようとした。

 

でも、あるとき、ふと、気がついた。

 

無駄を省きすぎたら、

わたしが、いなくなってしまったことに。

 

考えてみたらそうだ。

 

無駄なことばっかり考えて、

無駄なことばっかりやっちゃって、

それでも、

あははって笑って、

またやっちゃったね、アホだね、って笑ってたのがわたしなのに。

 

いつのまにか、

無駄を削るために、

ゴリゴリ、と、

わたし自身まで、削ってしまっていた。

 

無駄がない方がいいならば、

そもそも、わたしである必要は、ない。

もっと早く、もっとうまく。

効率的に美しく。

なんだって器用な人は、世の中たくさんいる。

 

でも、無駄なことに、無駄な時間をたっぷり使って。

人が無駄だと思うことも面白がって。

無駄なことしちゃったって、落ち込む人と笑い合って。

 

そうやって生きているのが、わたしなはずなのに。

 

だから。

 

無駄を省く、って考えるのをやめてみた。

自分を削ることを、

わたしを押し殺してしまうことを、

やめてみた。

 

だって。

むぎゅーーーーって潰されて押し殺されてしまうならば。

もっと広い空間に出たらいい。

 

満員電車に無理に飛び込んでいかなくたって、

第一村人が見つからないような田舎だってたくさんある。

 

無理に行列のタクシーに並ばなくたって、

歩いて帰れる範囲で、

面白いお店も、ステキな職場も、

なんだって、どこにだって、あるんだ。

 

もしもそれでもどうしても。

例えば潰されたって住みたい街があるのなら。

苦しくたって電車の速さをとった方がいいのなら。

自分が納得できる理由があるのなら。

その環境の中で、自分だけの楽しみを見つけたらいい。

 

潰されて苦しくて、眉間にしわ寄せてたら、肩も凝って頭も痛くなって、もう嫌になっちゃうけど。

それでも、例えば、潰してくるお姉さんの、お母さんのお父さんのお兄さんが、めっちゃお人好しで、うちのおじいちゃんがお世話になってたとか妄想してみたり。

ふと見上げた先の広告を、心の中でハイテンションで読んでみたりとか。

「次はぁ、しながわぁ、しながわでーす」という車掌さんのモノマネを隣の人に聞こえるかどうかの声で、ドキドキしながらしてみたりとか。

 

なんだかそんな、ちょっと無駄でくだらないことができたらきっと。

そんなことで笑える余裕があったらきっと。

どんな環境でも、息をして生きていける。

 

No Joke, No happy.

 

フィリピンの先住民族のアエタひとたちは、いつもそう言って、真剣にくだらないことをして、たくさん笑わせてくれた。

 

無駄なことのせいで、できないこともあるかもしれない。

無駄なことばっかりしてたら、気付いたら、みんな先に行ってしまってるかもしれない。

 

だけど。

 

何かを得るために、

何かを犠牲にして、無駄をぜーんぶ省いてしまったら。

 

その時は。

 

わたしが、いなくなってしまう。

 

本当の邪魔な無駄を省くなら、きっと、心が軽くなる。

だけど、無駄を省こうとして、心が苦しくなっていってしまうなら。

きっとその時は、何かが、違うのかもしれない。

 

その時は無駄に思えても。

ワクワクしながら回り道しながら

駆け回った方が、結果的にはスピードが、上がるかもしれない。

 

例えばその瞬間はなんの役にも立たなかったとしても、ある時ピンチが訪れた時に、急にそのことが頭に浮かんで、助けてくれるかもしれない。

 

無駄だと思えることに、救われることは、たくさんある。

 

そう。

 

無駄があるということは、

心に遊びがある、ということだ。

 

無駄がある、ということは、

人生に余裕があるということだ。

 

隙間を全て削って埋めてしまったら。

 

人生はきっと、息苦しいものになってしまう。

 

結果として、省くことで楽になる人と、

遊びを保つことで、エネルギーを生み出す人と、

きっといろんな人がいるはずだ。

 

だから。

 

無理をしなくていい。

嘘をつかなくていい。

 

それが一番きっと、しっくりときて、無駄のない生き方になると思うから。

誰かの生き方を真似して苦しむのではなく、

自分の生き方を、全うすることが、

何より心地よく、何かを生み出すことができるはずだから。

 

そう思ったら、ちょっとだけ、こころがまるくなった。

ちょっとだけ、余裕が生まれてきた。

 

そうなると、なんだかよく眠れるし、ごはんも美味しい。

 

参った。

食欲の秋。

体まで、まるくなりそうだ。

 

まぁ、それならそれで。

おかめさんのように、周りに福を呼べるようになればいいか。

腹踊りでもしてみんなが笑ってくれるなら、それでいいか。

 

や、そこまでは、ちょっと(笑)

 

 

本当にほしいものはなんだったのかな。でも、少なくとも、あの時は楽しかったね!

「そんなの当たり前じゃん」っていうことは、当たり前じゃないから。

それを、ぶっ壊すには、インドがいい。

 

そんな話を聞いてたら、ふと、あの子のことを思い出した。

 

「え、ぼく? それほんとにぼく? 嘘ぉ〜?!」って笑っていたあの子のことを。

 

もう10年も前になるだろうか。

 

ちょっとばかし、フィリピンに暮らしていたことがある。

 

フィリピンの人は楽しい。

底抜けに明るい。

こどもの目なんて、キラッキラしてる。

 

でも、

生活は楽じゃない。

 

家族を守るため、

今日のご飯を手に入れるためなら、

信念を曲げざるを得ないこともあるだろう。

そうやって一度自分に嘘をついてしまうと、何がほんとかわからなくなる。

 

がんばらなくたって、

まじめじゃなくたって、

むしろその方が、今日のご飯は食べれるからだ。

 

「お姉さぁん、お願い」

ふと振り返ると、真っ黒に汚れた手の少年が、私の腕のあたりを触っている。

トントンと叩くのではなく、

触れるか触れないかくらいの、

だけど、ねちっこい触り方だ。

上目遣いの少年は、口元に手を当て、眉を下げ、言葉に出さずに、媚びたような動きをしている。

 

物乞いだ。

 

フィリピンの街中にはよくいる。

そうしないと生きていけない人もいれば、

そうすれば生きていけるからやってる人もいる。

こどもの場合、大人にやらされてる場合もある。

 

最初のうちは、どうしていいかわからなかった。

かわいそうな気持ちと、ちょっと怖い気持ち。

財布でも開いた瞬間に全部盗られてしまうんじゃないか。

裏ボスが出てきて殴られたりするかもしれない。

そんな被害妄想を広げては怖がっていた。

 

でも、ある時、ふと思ったのだ。

 

本当に、お金をあげるのが、答えなのかな、と。

 

現地の人は、案外、小銭を渡す人が多い。

「正しいかどうか」

「本当の正解は?」なんて考えない。

 

「だってかわいそうじゃない」

返ってくるのは、その一言だけだ。

 

だけど。

日本人のわたしは、

外国人のわたしは、

それでいいのかなー、と、うんうん考えてしまう。

 

そしてある時、思った。

 

「彼らが本当にほしいものは、なんだろう」と。

 

現地の人が小銭を渡すと、彼らはそれをスッと受け取り、どこかへ行ってしまう。

 

「お腹が空いてるんだ」という少年に、持ってたパンをあげたら「それじゃなくてさぁ……」と断られたこともある。

 

そしてある時。

また少年がこちらに手を伸ばしてきたとき、

思わず、その手を取って握手をした。

「え?!」

彼はとても驚き目をパチパチしている。

「なんだ、手を伸ばしてきたから握手かと思ったよ」

そういうとびっくりしながらも「うん、もう1回! それにしよう」と言って、握手をしたり手をブンブン振ったりして、しばらく遊んでいた。

 

ある時は、手を伸ばしてきたので

「いぇーい」と言って、ハイタッチをしてみた。

「いやいやそうじゃなくて」

と言ってまた手を出してきたので

「いぇーい」と言って、またハイタッチをした。

すると、少年は笑い出し「イェーイ」と言って自分からハイタッチを求めてきた。

それ以来、彼は街で会うたび、「イェーイ」と言って、ハイタッチをするようになった。

 

またある少年が「お姉さん、お願いします……」と手を伸ばしてきたときは

「いやいや、わたしにちょうだいよ!」と言ってみた。

少年はびっくりして「え! いや、僕にちょうだいよ」とちょっと強気に返してくる。

だから

「いやいや、こないだあそこのお店で買い食いしてたでしょ! ずるいよ、あのお店高いじゃん! わたしよりいいもの食べてんじゃん!」っていうと「え、見てたの?! いついつ、どこで?! あそこ? あそこの店??」と嬉しそうに返してくる。

それ以来会うたびに「あのお店で僕を見たんだよね?」と笑って話しかけてくる。

 

もしかしたら、お金をドーーーンとあげたら、それはそれで、彼らは喜んだのかもしれない。

「今日」や「明日」くらいは楽になったかもしれない。

でも。

わたしには、そんなお金はなかった。

 

それに。

せっかく出会ったんだから、何か、自分しかしないような、ちょっとふふっと笑って元気が出るようなことができたら、楽しいなぁと思った。

 

育った環境も、これから生きていく環境もちがう。

だから。

「本当にほしいもの」

「正解」

「正しい答え」なんて、わからない。

 

だけど。

時間がたった今も、彼らのあの笑顔は、覚えている。

物乞いらしくしていた表情が、

クシャッと崩れて、その人らしさが見えた瞬間。

「え、ぼく? それほんとにぼく? 嘘ぉ〜?!」って笑っていたあの瞬間。

 

そんな瞬間に出会えることこそが、

一期一会、なのかもしれないなぁ。

 

そうだよ。

君だ。

あれは、紛れもなく君だ。

ちゃんと見てたよ。

嬉しそうにご飯をかきこむところ。

あれは、君だったよ。

 

今は、何をしているんだろうか。

もう、大人になってるなぁ。

今頃きっと、あったかい家族としあわせに、暮らしているといいなぁ。

わたしはいつだって、出会ったことのないその人に、恋い焦がれ続けるのです。

昨日はあったかかったなぁ、って思うと今日は寒かったり。
風がビュービューガタガタ吹いてきたり。
この季節。
 
嫌いじゃないです。
 
ちょっぴりいつもより眠くなるけれど。
なんだか体も重くなるけれど。
 
でもやっぱり、嫌いじゃないです。
 
いえ。
 
それどころか。
好きです。大好きなんです、この季節。
 
ガチガチに固まっていた体も、
気温がゆるりと上がると、ふわんとほぐれて。
 
街はなんだか色づいて浮き足立って。
あったかくなるって、ただそれだけで、なんだかいいですよね。
 
そんな中。
毎年この季節がやってくると、わたしはその人のことを想います。
一度も会ったことがない、その人のことを。
 
きっと、これから先、生きていても、決して会うことはないのでしょう。
 
それでも、いいのです。
これから先、どんなに片思いだとしても、わたしはその人をお慕い続けるのです。
 
いつかもし生まれ変われることができたなら。
もしも、たった一目でもその方にお会いすることができるのならば。
 
一度でいいから聞いてみたい。
 
 
「どうして、大福に苺を挟もうと思ったのですか?」
 
 
そう。
世界に衝撃を与えるほどの大革命を起こしたその人に、わたしは聞いて見たいのです。
世界ではじめて、大福に苺を挟んだ、その人に。
 
この世に「苺大福」という、素晴らしい宝物を生み出してくれた、その人に。
 
あぁ。ありがとうございます。
本当にありがとうございます。
あなたのおかげで、わたしは春が大好きです。
この季節があるからこそ、厳しい冬も耐え忍ぶことができるのです。
 
そしていつかきっと。
わたしもいつか、そんな仕事を残してみたい。
大福を切って、苺を挟む。
そんなシンプルで、日常のそばにある、素材で、
誰かをしあわせにする、そんな仕事を。
 
あぁ、一体どなたでしょうか。
こんなにもわたしをしあわせな気持ちにしてくれるその人は、一体誰なんでしょうか。
 
でも。
 
正解は誰でもいいんです。
むしろ、知らなくてもいいんです。
世の中、知らない方がいいことも、たくさんありますから。
 
ただ。そうだとしても。
 
わたしはいつだって、
出会ったことのないその人に、恋い焦がれ続けるのです。
 
あぁ、苺大福。美味しすぎるーーーー

なぜいつも怒られるのに、つい「おじさんのくしゃみ」で笑ってしまうのだろうか。

「へっくしょい、ちくしょーぃっ!」

おじさんがくしゃみをすると、わたしは必ず怒られる。
理由はふたつだ。

「人のくしゃみで笑うなんて失礼でしょ! やめなさい」

もしくは

「もう、こっちまで我慢できなくなるから、まじでやめて。くくく。ちょっと本気で笑わないで!!!!」

そう、わたしは、おじさんのくしゃみで、つい笑ってしまうのだ。
それで、
失礼だからやめなさい! か、
つられて笑ってしまうからやめなさい、の
どちらかで怒られてしまう。

だからわたしとしたら

どっちにしても怒られてしまうから、
「おじさんくしゃみしないでよ!!!」と、逆ギレしたい気分なのだ。

 

どうして、おじさんのくしゃみで笑う人と、笑わない人がいるんだろう。

わたしの場合、おそらくその非常事態に驚いて、思わず笑ってしまうんだと思う。

だって、大の大人が、人混みの中で突然大声で「ぶぇーっくしょん」なんて、普通は言ったりしない。

「ぶぇー」なんて言葉、存在しない。
何事か! と思わざるを得ないのだ。

そんな異常事態にビクっ!とし、心臓がキューっとなり、そして「なんだおじさんのくしゃみか」と思うと、可笑しくなるのだ。
そんな何でもないことに驚き、心臓を一瞬でも痛めてしまった自分がなんだか恥ずかしく、同時に安心し、可笑しくてたまらなくなるのだ。

 

だけど一方で、くしゃみくらいで驚いたり反応したりしない人にとっては、恐らく、わたしがおじさんをばかにしていると思うのだろう。
きっと
「くしゃみ、ウケるwww」と笑っていると思われてしまうのだ。
だから「なんて失礼な人間なんだ」と怒られてしまう。

 

そうじゃない。そうじゃないんです。

 

わたしは、くしゃみに驚いたビビリな自分が可笑しくて笑っているんです。

 

例えば、何でもないのに、
友達が突然「あーーーー!!!!!」と叫ぶとそれより大きな声で「わーーー!!!!」と叫んでしまい、ふと我に返って笑ってしまうように。

 

逆さまに立てかけていたモップがオバケに見えて、思わず後ずさりしてしまった自分が恥ずかしくて笑ってしまうように。

 

怖い話のテレビを観ていたら、ふとした瞬間に画面が暗くなり、恐れおののいた自分の顔が映って見えて、なんて顔しているんだ! と可笑しくなるように。

 

そう。おじさんのくしゃみが可笑しいのではなく、くしゃみごときにビビってしまった自分が、なんだか恥ずかしく、笑けてしまうのだ。

きっと、そうなんだ。

 

「ひ、ひっくしゅん!!」

そんなことを考えながら夜道を歩いていたら、思わず体が冷えてくしゃみをしてしまい「ふふふ」と笑ってしまった。

 

そしてふと「つられて笑ってしまうからやめなさい!!」と怒る友人を思い出す。
ん? 友人は、なんで笑ってしまうんだ?

時間差があって笑うということは、驚いたとかでなく、ただくしゃみ自体に笑っているんだろうか。

 

そういや。
昔から日本には「くしゃみ芸」がある。
加藤茶の「ヒックシュ!」は、くせになってしまう。
こどものころは、ちびまる子ちゃんみたいに、お腹を抱えて笑っていた。

「やめて、やめて!」と言いながら、ブラウン管の向こうでカトちゃんがくしゃみをするたびに、ゲラゲラと笑っていた。

 

もしかしたら、おじさん+くしゃみ=面白いという脊髄反射になってしまっているのだろうか。

 

うーん。

だとしたら、「芸」ではなく、素でくしゃみをしてしまったおじさんに、やっぱり失礼なことをしているのだろうか。

もちろんそのおじさんが、具合悪そうな場合は、ちっとも笑えたりはしない。

ということは、くしゃみにも、いろんな種類があるのだろうか。

 

頭を抱えていると、LINEで家族からメッセージが届いた。

 

あ。
そうだ。

 

そういえば昔、

父は「ぶぇっくしょーい!」と豪快にくしゃみをすると、きまって「へへへ」と、笑っていた。
わたしがビックリして笑うと、
父も「カカカカ」と、楽しそうに笑う。

それでわたしももっと可笑しくなって止まらなくなって、時には父とふたり、涙が出そうなほど、ひーひー言って笑っていた。

 

「もう、意味がわからないよ」

その様子を見ていた母が苦笑いをし、頭を抱えてしまうくらい、

ふたりで「くしゃみ、くしゃみ!」と言いながら笑い続けていた。

普段は無口な父と、感情表現が苦手な娘。

ふたりにとってくしゃみは、ことばのいらない、大切なコミュニケーションのひとつに、なっていたのかもしれない。

 

そうか。
わたしがおじさんのくしゃみを笑ってしまうのは、父からの遺伝と、こどものころの楽しかった思い出の影響なのかもしれないな。

 

「ぶぇっくしょーーい!」
こんな風に噂をしてしまったから、
きっと今ごろ父は、どこかでくしゃみでもしているのかもしれない。

 

ーー風邪ひかないようにね。

 

こころの中で思いながら、ふふふと、なんだか口元が綻んでいた。