本日はNew Year's Eve

30代OLが「書き手」になる夢を叶えるドキュメンタリー

【花の命は長い】お花をこころから愛する函館のちいさなお花屋さんに教わったお花を長く愛でるコツ

「かわいいでしょ〜」

お花が大好きで大好きで仕方がないお花屋さん。

函館山の麓、路面電車が目の前を走るちいさなお店。

 

お花が大好きでアルバイトをしていたら、

いつの間にかお店を任せられていたという社長さん。

 

一歩お店の中に入ると、

お花をこころから愛する人が選んだ

鮮やかなお花がビッシリと並んでいる。

定番のお花。

季節のお花。

見たことのないお花。

 

これは? え、じゃあこれは? と、

ついついお話を聞きながら長居してしまう。

 

「好き」

 

その気持ちに、敵うものはない。

そのお花屋さんに出会ってお話を聞いていると、強く強くそう思う。

 

「かわいいでしょ〜」

「このお花もね、すごいんだよ〜」

お花屋さんが嬉しそうに教えてくれるお話に

時間も忘れて夢中になってしまう。

 

そんなお花屋さんに教えてもらった、

お花を長く愛でるコツがある。

 

「花の命は短い、

なんて言われるけどそんなことはない。

ちゃんと気にかけて手もかけてあげれば、

長く楽しませてくれるんだよ」

 

必要なのは、新鮮なお水と新しい切り口。

毎朝茎をカットして、新しい切り口がお水に触れるようにする。

ドロっとしてたり、茶色くなった部分は全カット! 

硬くて新鮮な切り口が出てくるまでスパスパ切っていく。

 

お花を入れる器も毎日キレイに洗って、

新鮮で冷たいお水を用意。

茎が浸かり過ぎないよう程よい加減を心がける。

 

ピッと、器にお花をさすと、

 

「あれ……?」

 

花びらがふわ〜っと広がり出す。

このお花、こんなに大きかったっけ? 

なんだか誇らしげに咲いているようにすら見えてくる。

 

ガーベラとかラナンキュラスとか、

大きなお花は最後の最後まで茎をカット。

ラストは、小皿にお水を入れてプカプカ浮かべる。

 

花瓶にただ挿しっぱなしにしていると、

花の命は短くあっという間。

でも毎日お水と切り口を新しくしていけば、

花の命は長い! 

最初から最後まで、見事に咲き誇ってくれる。

 

気にかけて手もかけて愛でたお花は、

いつも以上に長くキレイに咲いてくれる。

 

「好き」

 

その気持ちが、世界を作っている。

好きだから気もかけられるし、手もかけられる。

できないことが見つかれば、なんとか克服したいと思うようになる。

嫌なことがあっても、いつかまた楽しい時が来ると信じることができる。

 

お花が大好きなお花屋さんが手入れをしたお花は、そのお花を受け取った人を笑顔にする。

笑顔になった人は、周囲にちょっとだけ優しくなれる。

ちょっとだけ優しくされた人は、また明日もがんばろう、と思う。

 

そうやって、世界は今日も動いてる。

誰かの好きがバトンになって、世界を動かしている。

 

一日働いて部屋に帰ってきたとき。

まだお花が見事にのびのび咲いててくれると、ただそれだけでちょっと嬉しくなる。

 

そういえば、東京ではまだお気に入りのお花屋さんを見つけてなかったなぁ。

 

ついつい話を聞きに通いたくなってしまう。

そんなお花屋さんと、出会えるといいな。

 

 

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http://www.hyakkaen.co.jp

 

 

は! 週末母の日∑(゚Д゚)

 

なんか、なんかこどもたちが、メロンパン、メロンパンって追いかけて来るんですけど!!!!!

もう10年も前のことになる。

フィリピンで仕事をしていた時、よく日本人の大学生ボランティアの人たちが、困った顔をして助けを求めてきた。

 

「なんか、なんかこどもたちが、メロンパン、メロンパンって追いかけて来るんですけど!!!!!」

 

ん? メロンパン? 

そんな美味しい高級パンはこの辺じゃ売ってないぞ? 

 

きむら「おい、こどもたちや、こどもたち。

おまえたちはどうして彼らを追いかけているんだい?」

 

こどもたち「よくぞ聞いてくだすった、やすえ姉さん! そいつらまだお菓子を隠し持っているのに、もう無いなどと嘘をついて、逃げやがったでござんす!」

 

きむら「あ、なるほど。ガッテン!」

 

 

こどもたちが言ってた言葉は、

myroon pa! (meron pa!)

メェロン パァッ!!!!

=まだある!!!

 

日本人学生がお菓子を一緒に食べながら、

頃合いをみて

「はい、もうおしまい。もうないよ」

と言ってしまったもんだから、

「まだある! まだある!」と追いかけていたらしい。

 

もしも、お菓子をポッケに隠して

「もうないよ」と言ったなら、

恐らくポッケを指差して

"meron pa jan!!!"

めぇろん ぱ じゃーーーん!!! と

追いかけてくるでしょう。

 

メェロン ある

パ まだ

ジャン そこに

 

つまり

 

「めぇろん ぱ じゃーーーーん!!!」は

「まぁだ ある じゃーーーーん!!!」と、

言う意味でございます。

 

もし日本のお店で

「お買い得品はたった今完売しました」

「限定品は終了しました」と言われながらも奥に隠しているのを見つけたら、

「めぇろん ぱ じゃーーーん!!!」と言ってみましょう。

 

もしかしたら(……こいつやべぇぞ、と思われて)ひとつくらい出してくれるかもしれません。

 

【応用編】

では日常でもつかってみましょう。

「あれ? 靴下ない?」

「そこにあるじゃーーーん!!!」

 

 

「あれ? 靴下ない?」

「めぇろん じゃーーーん!!!」

 

はい。復習です。

 

メェロン ある

ジャン そこに

 

つまり

「めぇろん じゃーーーん!!!」は

「そこあるじゃーーーん!!!」です。

 

「あれ? にんじんないよ?」

「めぇろん じゃーーーん!!!」

「ん? 家の鍵が無いな」

「めぇろん じゃーーーん!!!」

「え、スマホどこやったっけ?」

「めぇろん じゃーーーん!!!」

 

喧嘩の原因になりがちな

「あれ? どこやったっけ?」

「そこ、あんじゃん!」も、

フィリピンマジックで愉快な時間に変わることでしょう。

 

【もひとつ、おまけに】

 

では最後に復習です。

 

「もうないよ」

「まぁだ あるよー」

 

も、練習しておきましょう。

 

めぇろん ある

ぱ まだ

 

めぇろん ぱ = まだある

めぇろん ぱぁーーーー

= まだあるでしょう。そんな殺生なー

 

おかわりの茶碗を差し出したとき

「ごはんはもう無いよ」

「めぇろん ぱーーーー」

 

デートの相手がチラチラ時計を見ながら

「ごめんなさい、もう時間がなくて」

「めぇろん ぱーーーー」

 

中華屋さんで

「おまえに食わせるタンメンはもうねぇっ!」

「めぇろん ぱーーーー」

 

 

さぁ、これであなたもめろんぱマスター!

 

 

 

おじいちゃんとおばあちゃんとアンパンと。

「アンパンは入れたもんな」

「うん、アンパンは大丈夫」

 

昨晩の仕事の帰り道。

疲れたなぁーと思い、お惣菜を買いにスーパーへ。

 

「あ、すみません」

 

おじいさんとおばあさんが、

カゴを持ったまま悩んで、

パンコーナーとお惣菜コーナーを通せんぼ。

 

「あとは大丈夫かな。アンパンはもういいしな。」

「そうね、アンパンはいいわよね」

 

やっぱりお惣菜はやめて、自分で何か作ろうかと思い立ち、野菜コーナーに向かう。

もやし、豆腐、卵をカゴに入れて、

最後にまたお惣菜コーナーを抜けてレジに向かう。

 

「よし、いいだろう。アンパンがあるから大丈夫」

「そうね、アンパンはあるから帰りましょう」

 

……あのおじいさんとおばあさん、まだアンパンの話してる。

 

わたしの買い物時間も短かったけど、

それにしたって、アンパン気にしすぎじゃないか。

 

あんかけもやしの材料を袋に詰め、

いつもの道を歩いて帰る。

 

 

もしかして。

 

 

毎朝二人で緑茶でも入れて、ゆっくりアンパンでもかじってるのかな。

 

「あれ、ばあさんや、アンパンがないじゃないか」

「あらあら、じゃああとで買ってきましょうか。今朝は食パンでも焼きましょうね」

 

緑茶をズズズ

 

「やっぱり、朝の緑茶にはアンパンだな」

「そうね、今日は忘れずに買いましょうね」

 

そんな会話でもあったなのかなーと、ぼんやり考えながら帰り道を進んでいく。

 

いいなー

わたしもおばあさんになったら、

「やっぱりアンパンは美味しいね」と言いながら、おじいさんとお茶すすって、のんびりテレビでも観たいなぁ。

 

そう思った時だった。

 

 

 

もうゴールデンウィークか。

 

ってことは。

 

もしかして。

 

 

「わーい、アンパン大好き\(^o^)/」

「そうかそうか、よかったな」

「うん、もうおじいちゃんとおばあちゃんちに住みたいよ!」

「あらあら、じゃあ毎日アンパン用意しとかなきゃ。ふふふ」

 

もしかしたら、連休中にアンパンが好きな孫が、遠くから遊びに来るのかもしれない。

 

そういえば、

わたしもこどもの頃、おじいちゃんとおばあちゃんちに行くと、いつもお菓子が用意されていた。

 

「あれ? 母さん! やすえのお菓子どこいった?」

「やいや、そこさ入れてたしょ」

「見えねーど。ねぇんでねーか?」

「やぁ、そういえば父さんさっきなんか食べてなかった?」

「あ……あれかぁ。よし、やすえ、買い物行くぞ!」

 

近所のスーパーに行って、おやつをごっそり買ってもらって、まるでお姫様にでもなったかのような至れり尽くせりの時間だった。

 

懐かしいなぁ。

 

連休中は、そんなおじいちゃんとおばあちゃんと孫たちの楽しい時間もあるのかもしれない。

 

そう思ったら、なんだか気持ちがふんわりしてきて、疲れも和らいだ気分だ。

 

さて、連休まであとちょっと!

午後もがんばるぞ!

 

ちなみに今日のお昼は、

あんかけもやしのお弁当と、デザートはコンビニで買ったアンパンです。

長澤まさみのようなものに、わたしはなりたい。

「よかったよねぇ、長澤まさみ

「いや、想像以上によかったね」

 

現在絶賛公開中の映画『SING /シング』

わたしは二度も劇場に足を運んだ。

しかも、同じ面子で。

 

なぜなら。

 

字幕も吹替もどっちも観たい!!

 

はじめに吹替版を観たところ、めちゃくちゃいい。

とにかく面白い。

心が震え、劇場内でシャウトしたくなる。

トーリーは抜群に面白い。

何よりも、歌がいい。

最高にいい。

 

だとしたら、

もう一度お金を払って本家の歌も聴いてみたい!

どっちがいいかジャッジしたい!!

 

そう思って字幕版も観に行ったところ、

もうお手上げ状態。

 

なぜなら。

とにかくいい。

字幕版も吹替版もどちらも違って、どちらもいい。

 

「本家のコアラもいいけど、ウッチャンもよかったよね」

「さすがの本家もあのMISIAには勝てないとおもったけど、いや〜甲乙つけがたいね」

「ネズミもどっちもよかったね。マイウェイ歌いたくなっちゃう」

「あのちっちゃいグループは字幕版で謎が解けたね」

「あのおばあさんの秘密は吹替だとわかるね」

 

もう、どっちもいい。

とにかくいい。

 

みんな興奮しすぎて、鑑賞後に立ち寄った居酒屋では料理が一品出てくるたびに

「お〜」

「美味しそ〜」

「食べたーい」

と、大きな声で叫ぶ叫ぶ。

店員さんが

「ありがとうございます! 

当店の一押しでございます」と

笑顔で答えてくれるくらい、みんな上機嫌。

 

まさにシング・ハイ。

お酒要らずです。

 

そしてそんなご機嫌さんなメンバーが、

映画を振り返りながら、ふと、黙る。

 

「だけどさ」

「うん」

「だよね」

「やっぱり」

 

長澤まさみ、よかったよね〜』

 

パンクスターを夢見るヤマアラシの女の子を演じた長澤まさみ

よかった。

うん、ほんとよかった。

 

あのちょっと眠そうで甘いハスキーな声。

だけど爽やかで明るさもある。

純粋なのにちょっとアンニュイなかんじもあって。

 

「いいよね〜」

「うん、なんかいいよね」

 

女優には色々な代名詞がつく。

「憧れの顔」「彼女にしたい人No.1」

「小悪魔モテ美女」などなど。

 

だけど長澤まさみを形容するのは難しい。

たしかにカワイイけど、キレイだけど、それだけじゃない。

セクシーや色っぽさだけでもない。

太陽みたいに明るいこともあれば、月のように影が見えることもある。

 

一言で形容できないから、

「なんかいいよね」が、しっくりくる。

 

笑い方も、モノマネが注目されてからも

わざと変えたりせずにそのまんま。

飾らないのにかっこよくて、

自然体なのに美しくて、

清潔感があるのに、色っぽくて。

 

「よかったよね、長澤まさみ

「うん、なんかいいよね」

 

観た人の記憶にじんわりと残る。

「あぁ、今回もよかった」

「このテイストもいいんだ」

そのじんわりがどんどん広がり、熱が高まっていく。

「あれも観てみたいなぁ」

「これもやってほしいなぁ」と

主役以外にも名作からどんどん声がかかる。

 

いいなぁ、長澤まさみ

女性としても、書き手としても、

そんな風にじんわりじわじわと、

誰かの記憶に残れたらいいな。

 

今度はこれを書いてほしい。

こっちにも来てほしい。

オーダーをかけたくなる存在になれたらいいな。

 

そして「なんかいいよね」と

みんなにじんわり記憶を残す。

キャスティングを考えたときに

「あの人ほしいよね」と頭に浮かべてもらえる。

 

倉本聰に呼ばれれば涙を流し、

ウッチャンに呼ばれればコメディの期待にも答え、

番宣のバラエティでは無邪気にはしゃぐ。

 

ジブリでは清純で爽やかなヒロインを貫き、

君の名は。』では艶っぽい先輩に化け、

『SING /シング』ではヤマアラシの女の子。

芯が強くて、いじらしくって、かわいくって、愛おしい。

 

同年代の女優と比べられても自分のスタイルを貫き、

スキャンダルで叩かれてもものともせず、

ただ世間の期待に応え、その上をいく。

 期待され続け、それに応え続ける。

そんな人がプロと呼ばれ、本物として認められる。

 

そういうものに、わたしもなりたい。

そんな、長澤まさみのようなものに、わたしはなりたい。

 

あぁ。

映画『SING /シング』

もっかい吹替版も観たいなぁ。

桜の木の下で

「知恵つくもんだねぇ」

「ほんと物凄い速さで知恵つくもんだねぇ」

 

桜の木の下ではしゃぐ3〜4歳児を眺めながら

おばあちゃんふたりが呟いている。

一体、あの子達は何をしたんだろうか。

「成長したわね」は褒め言葉だけど、

「知恵つくもんだね」は、純粋な褒め言葉ではないような。

ーーあいつら、やりやがったな。

そんな、本音が滲んでいる気がする。

おばあちゃん達にとっては、

本来可愛くて仕方がないはずのちびっ子達。

無邪気にはしゃぎながら、あの子達はなにをしていたんだろうか。

 

「日本でいう結婚相談所みたいなもんらしいよ」

「あ、そう。じゃあちゃんとしたやつなの?」

別の60代くらいの女性ふたりが、

自転車を押しながら桜の木の下を歩いている。

「じゃあ、いかがわしいやつじゃないのね?」

「え?」

「いかがわしいやつじゃないのね?」

「え、いや、そうだと思うけど」

 

なんの会話だろう。

めっちゃ気になる。

でもふたりはゆっくりゆっくり歩いている。

後ろをずっとついてたら、不審者と間違われてしまう。

 後ろ髪をひかれながらふたりを追い越していく。

 

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小雨混じりの満開の桜の木の下。

みんな全然桜と関係ない話ばっかりしてるなー。

 

そう思って、ふと考える。

ん?

そもそも、桜に似つかわしい、それっぽい会話ってなんだろう?

 

「桜、きれいだね」

「そうだね」

 

……あ、終わっちゃうね。

 

「あっちも咲いてるね」

「きれいだね」

 

……うん、終わっちゃうなぁ。

 

桜にまつわる話題なんて、二言三言で終わっちゃって、

四言目辺りからはもう、

会社の給湯室とか居酒屋とか井戸端とか、

そんなところと変わりない話題になるのかもしれない。

 

「外国人はね、お花見の文化に感動するらしいんだ」

今度は50代くらいの穏やかな夫婦が歩いてきた。

「お花を見ながら仲間達と楽しむってのが、

そもそも外国には無いらしいんだよ。

だから、感動するらしいんだ」

「へー、そうなんだ。

やっぱりいいもんだよね、お花見」

微笑み合いながら歩いていくふたり。

 

「ぼくは きのう アルバイトを くびになりました」

少し先にいる韓国人風の男性とヨーロッパ風の男性の会話が聞こえてきた。

「だから らいしゅう めんせつを うけます」

「それは たいへんですね」

ふたりは、小雨降る灰色の空を背景に、

桜の花を大きなカメラで撮影している。

彼らも今この瞬間、お花見の文化に感動しているだろうか。

アルバイトやいろんな場面で出合った嫌なことを全部水に流して、それでも日本の文化が好きだと思ってくれているだろうか。

 

「あ〜、よごれちゃったー!」

困ったような声を出しながら、小さな女の子が長靴で水たまりの中をジャンプしてる。

「あーあ、汚れちゃったじゃなくて、自分で汚したんでしょ?」

「えへへ〜」

楽しいだろうなぁ。

カッパ着て、長靴履いて。

普通の靴の日は絶対許されないのに、長靴の日だけは許される水たまりでのジャンプ。

 

「雨が降ってよかった」

ちょうど桜が満開の週末。

あいにくの天気だったけど、

あの子だけは雨を喜んでいたかもしれない。

 

「さぁ、明日からまたがんばりますか」

桜の花を眺めながら、飲んで食べて愚痴って笑って、元気を充電して日常に戻っていく。

 

娘達に預けられたヤンチャな孫も、

帰ってしまえばまた会いたくなる。

 

いくつになってもこどもはこども。

一人前の社会人になってくれたものの、

いつになったら結婚してくれるのか、

悩みは尽きない。

 

夢に見た外国での生活も、

住んでしまえば厳しい現実が待っている。

 

それでも。

「よし、またがんばるか」

そう思わせてくれる不思議な力が、桜にはある。

 

 花びらがすべて落ちるまで。

力強い緑の葉が生い茂り、

「また来年」と思わせてくれるその時まで、

桜は今日も誰かの笑顔を支えている。

 

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【女子大生と32歳の会話】健康診断でのボキャブラ的ジェネレーションギャップ

ユニクロなんですけど、大丈夫ですか?」

 

健康診断の受付で、学生さんに何度もそう聞かれた。

ーーいや、メーカーとかどこでもいいけど。

そう思うのをぐっとこらえ、

「柄は入ってないですよね?」

「はい」

「じゃあ大丈夫ですよ」

というやりとりを繰り返し行う。

 

何百人と来る中で、

一発で「ハイ」と言ってくれた人はほぼいない。

だけど話を聞いてみるとほとんどの人の答えは「ハイ」で問題ないのだ。

 

ーーなんで、一回で「ハイ」って言ってくれないのかな。

 

そう思いながら考えていた時、ふと気が付いた。

 

は、もしかして?!

 

「中に無地のインナー着てますか?」

 

無地……むじ……ムジ……MUJI

 

「中にMUJI(無印良品)のインナー着てますか?」

ユニクロなんですけど大丈夫ですか?」

「柄は入ってないですよね?」
「はい」
「じゃあ大丈夫ですよ」

そうゆうことか。

学生さんは学生さんで、

ーーえ、無印(むじ)? 

なんでメーカー限定されてんの?

と思っていたのかもしれない。

 

あぁ、ジェネレーションギャップ。

いまや「むじ」は、

無地ではなく、無印良品なのね。

ボキャブラみたい!

って、それも今の学生さんには伝わらないか_| ̄|○

がっくしどよよーん

 

ちなみに

「中に無地のインナー着てますか?」

と聞くより

「中にヒートテック着てますか?」と聞く方が圧倒的に早い。

 

恐るべし、ユニクロ

もはや、国民的インナーは

ババシャツからヒートテックへと変わっているのね。

頭も心も体も年齢を重ねるのは避けられないけど、

アンテナだけは磨き続けなきゃー

誰もが異色であり、同時に無色である

「自分らしい」って、なんだろう。

「普通」って、なんだろう。

 

文章を書いていると時々悩むことがある。

他の誰でもない自分らしい文章を書きたい。

だけど何か奇抜なことを言うのではなく、

共感を抱いてもらえるような、

「自分のことだ」と思ってもらえるような、

そんなことばを探している。

 

はてさて、一体何を書いたらいいんだろう。

唯一の「わたし」だから書ける、無数の「あなた」に届くことば。

どうしたら書けるんだろうか。

 

誰もが異色であり、同時に無色である。

最近そんなことを強く感じるようになった。

 

本を読むこと、文章を書くこと。

読み書きに時間を割いて熱中していると、今まで見えなかった世界や気づかなかった自分の姿が見えてくる。

あー、読んで書くって面白い! 

発見がいっぱい! 

みーんな、やってみたらいい。

きっとみんな楽しいと思うから!

 

この時のわたしは、自分がみんなと同じ色だと疑いもなく思っている。

だけど、そんなことをずっと言ってると違和感や温度差を感じるようになる。

 

あれ? 

本を読む人って思ってるより少ないのかな。

書くのが嫌いな人っていっぱいいるな。

コツを覚えたら上手くなる人もいっぱいいるけど、

そんなの知りたくないって人も、いっぱいいるんだな。

 

否定されているわけではない。

だけど、なんだか周囲と色が違う。

自分だけが浮いているような気がしてくる。

 

何かを好きになればなるほど、

 強く思えば思うほど、熱くなればなるほど、

ふと周りとずれているような感覚になる。

 

自分はなんか違うのかな? 変なのかな?

 

なんだか不安になって、同じことが好きな人達の輪の中に入ってみる。

本が好きな人。書くことが好きな人。

探せばたくさんいる。

え、こんなに?! って、笑っちゃうくらいにたくさん。

すると、やっぱり話しが合う。

あぁ、自分だけじゃなかった。

こんなにも仲間がいる! 

共感できて、泣いたり笑ったり。

おんなじ色に囲まれるって、居心地がいい。

これがわたしなんだ。

ようやく見つけた! 

そう思えて安心してあたたかい気持ちなる。 

 

だけどそれでハッピーエンドかと言えばそんなことはない。 

嬉しさと同時に不安も募ってくる。

あれ? 同じ色に囲まれて嬉しいと思ったけど、

わたしただ埋もれてしまっただけじゃないかな。

わたしにしか出せない色が全然ない。

たくさんいる人達の中から、わたしを選んでもらえる。

そんな特別な色が全然ない。

このままじゃ、いないのと一緒。

「普通」じゃだめなんだ。

「普通」じゃ、つまらないんだ。

もっともっと自分にしか出せない色を持たなきゃ。

他人と違う色を出さなきゃ。

どうしたらいいんだろう。

 

「普通じゃない」と思えば心配になり、

「普通でしかない」と気付けば悲しくなる。

 

誰でもない「わたし」でいたいのに、

みんなと違う「誰か」になるのも怖い。

 

「自分らしい」って、なんだろう。
「普通」って、なんだろう。

 

どうしたら、自分らしさのまま、受け入れてもらえるんだろう。

 

その答えを探してた。

たったひとつの答えを。

 

だけど、ようやく気が付いた。

「誰もが異色であり、同時に無色である」

 

答えはひとつじゃない。

「自分らしさ」はひとつじゃない。

自分の色は、一色だけじゃない。

周囲が変われば、自分の色の見え方も変わる。

周囲が変わらなくても、自分の色が変わることもある。

 

だから。

どんな時でも、自分の色は美しいと信じる。

それを忘れちゃいけない。

信じることが出来れば、時にいつもの自分と違ったって、周囲と違ったって、

不安にならず楽しむことができる。

たとえ誰かに否定されたって、そんな時こそ信じることが大切だ。

 

せっかくキレイな色なのに、

周りに合わせて、無理やり嫌な色で塗り潰してしまったら、もったいない。

そうせざるを得ないなら環境を変えることも手かもしれない。

ただ相性が合わなかっただけ。

もしくはお互いに少しずつ色が変わっていっただけ。

一緒にいて居心地のいい場所、互いがより美しくいられる場所は必ずある。

 

だけど。

浮いてしまうのが苦しいなら、自分の色を意固地になって守る必要もない。

色を馴染ませて寄せていったって、本来の美しさは損なわれない。

むしろ彩りを合わせることでより美しくなれることもある。

混ぜることで、新しい色を作り出せるはずだ。

自分の色は美しいと信じているからこそできる、挑戦。

 

もしも、同じ色の中にいて居心地が良いなら、その場所を守ればいい。

崩れないように色褪せないように、丁寧に守り続ければいい。

それでも、その中でもひときわ輝く一色になりたいなら、それ相応の相当な努力が必要だ。

一点がキラッと光れば、周囲もそれに気付いて自分も輝こうと必死になる。

他が磨かれていく中で、何もせずに留まっていれば、

自分は変わっていないと思っていても、ただそれだけで濁って見えてしまう。

常に上へ、常により良く変わり続けなければならない世界もある。

 

他の誰でもない

自分だけの色を磨き続ける努力も忘れずに、

周囲と調和しながら日々を過ごす。

 

そんな生き方を日々貫くことが、今の時点の、わたし「らしさ」なのかもしれない。

 

異色であることを恐れず、

無色になることに臆病になる。

自分の色は美しいと信じ、

他人と比較して後ろ向きになるのではなく、

調和できる自由度を楽しむ。

 

いろんな人の声を聞き、

いろんなことを書きながら、

最近そんなことを、思っている。

 

誰もが異色であり、同時に無色である。

だから、どんな色も美しい。

そう信じれば、世界が変わらずとも周囲が変わらずとも、毎日はちょっとだけ楽しくなる。

もうすぐ冬が終わる。

あたらしい色に会いに行ってみよう。

今しかない、この季節だけの特別な色に。

そうすればきっと、わたしの色もどんどん濃くなり、透明度も増していく。

そうやってちょっとずつ、進化していきたい。