本日はNew Year's Eve

30代OLが「書き手」になる夢を叶えるドキュメンタリー

魚が、魚らしく泳げることばを、集めていこうと、思います。

「わかるなぁ」

自分のことを本当にわかってくれる友人の「わかるなぁ」は、どうしてこうも、心に染みるんだろう。

 

あぁ、よかった、これからも生きていられる。

そうやって安心する。

なんだか、深い深い海の底から、ぷはぁっと顔を出して、ようやく息ができる気分だ。

 

いつからだろう。

気づくと、息ができなくなっていた。

自分では出したことのないスピードで走り出して、

気づけば、スッテーンと派手に転んでいた。

 

どこかで、立ち上がることはできたんだろうか。

むしろ、転んで地面に付いている意識すら、なかったのかもしれない。

 

気づくと、なんだか、もう疲れていた。

疲れて、起き上がることすらままならなかった。

世界はゆっくりとぐるぐる回って、息ができなくて、

そして、友達も家族も、遠く感じた。

 

意識的に遠ざけていたからだろう。

どうやって近づいたらいいかが、わからなくなっていた。

 

だから。

自分の気持ちを隠して、水の中に潜るのをやめてみた。

水の中は、思いし、苦しい。

だからこそ、体を鍛えることは、できる。

でも、たとえ、誰かにぶつかられても、沈められても、外からは見えない。

自分の意思で沈んで行ったとしても、気づけば、息が苦しくなって、どうしたらいいか、わからなくなる。

何も、見えなくなる。

 

小さい時、3歳か4歳くらいだろうか。

川で溺れたことがある。

しかも、底の浅い川だ。

兄は、「あの川で溺れる方が難しい」と大きくなってから笑っていた。

 

そう思う。

いくら運動神経が悪いからって、何も、

立てば足がつくようなところで、むしろ、腰あたりまでしか水のないところで、

溺れる方が、却って難しい。

だけど、あの時は、本当に溺れたんだ。

足を滑らせたのか何かはわからない。

気づいた時には、水の中にいて、

白い世界に丸がいっぱいあって、

「苦しい」と「怖い」でいっぱいだった。

 

ぷはぁって飛び出した時、なんとなく体に手をかけられて、

それで、お父さんの顔があった時、

「あぁ、よかった」ってすごく安心した覚えがある。

 

死ぬかと思った。一人じゃダメだった。

「助けられる」というのを実感した時だった。

 

自分は大丈夫って、思っていると。

これくらいなんてんことないよ、って思っていると。

安心しきっていると。

足元をすくわれることがある。

 

「危ない!」って意識がなければないほど、

足を滑らせた感覚がなければないほど、

気づけばあっという間に、水の底に、沈んでしまう。

 

だけど。

 

きっと大丈夫だ。

誰かが、助けてくれる。

きっと、手を伸ばしてくれる。

 

他の人から見たら、バカみたいな転び方かもしれない。

そんなとこボーッと寝転んでないで、サッサと走れよ、って、思っているんだろう。

どんなに視界が悪くなろうと、頭が働かなかろうと、息ができなかろうと。

どうしてか、そういう人の本音は伝わってくる。

水の中にいるときくらい、他人の気持ちに鈍感になれたらいいのに。

 

だから、全部を諦める。

もがけばもがくほど、沈んでいく。

全部を手放して力を抜いたら、きっと、どこかには浮いていけるはずだ。

 

なにも、運動神経が悪いから、抜けてるからって、どこでも溺れてしまうわけじゃない。

泳ぎが得意な魚だって、淡水魚が海へ出たら、あっという間に死んでしまう。

海水魚が川へ登ったら、苦しくなって死んでしまう。

住むべきところ、いるべきところを見誤れば、あっという間に苦しくなってしまう。

 

海に暮らす魚は、海が最高なのになー、と思い、

川に暮らす魚は、川は暮らしやすいのになーって思う。

魚それぞれだ。

みんなあちこち旅をして、ようやく暮らすところをみつけてる。

 

もしも苦しいなら、息ができないなら、

泳ぎやすいところへ向かえばいい。

スイスイいきていける川や海を探せばいい。

 

「わかるなぁ」

自分のことを本当に理解してくれる友人のその言葉は、何より救いになる。

わたしがサボってる時は「何やってんの!」って、ちゃんと叱ってくれる。

わたしが間違っていれば、ひとつずつ説明してくれる。

そんな友達の「わかるなぁ」は、おばあちゃんちで飲んだ緑茶みたいに、あったかく、こころに、染み渡る。

ことばって、こんなにやさしいんだなぁ、と、なんだか、泣きたくなる。

 

そうだ。

ことばは、やさしいんだ。

人を傷つけるためじゃない。

本当はきっと、人を励まし、癒し、あっためるためにあるんだ。

誰かを攻撃するのではなく、

誰かをそっと抱きしめるためのことば。

そんなことばを、こころの中に集めていこう。

そしたらきっと。

水の中に沈んでしまった誰かに、手を伸ばすことができる。

 

弱ってる誰かを、スイスイ泳がせてくれる、

元いた場所へと、連れてってくれる、ことば。

 

そんな、そんなことばに触れて、囲まれて、自分の中にためていこう。

いつかそんなことばを、自分のことばにできるように。