本日はNew Year's Eve

30代OLが「書き手」になる夢を叶えるドキュメンタリー

大人になるにつれ、幼き頃の母の教えが身に染みる

「心の中では四六時中ブチ切れていますよ」

「ええっ?!」

 

謙遜したつもりが、度が過ぎていてドン引かれることがある。

 

わたしはどうも外面が良いようで、出会ったばかりの人には「怒ることなさそうだよね」と言われることが多い。

 

そんなことはない。

満員電車でつま先踏まれれば、

全力で振った炭酸を渡してやろうかと思うし、

店員さんに雑にお釣りを渡されれば、

節分の豆まきみたいに投げ返してやろうかと思う。

 

日常の些細なことでさえ、

イライラしてしまうことはたくさんある。

 

それでも、わたしが「怒らなそう」と思われることには、思い当たる節もある。

 

それは恐らく、幼き頃の母の教えが、いまだに根底にあるからだと思う。

 

「腹の立つやつなんかと、同じ土俵に立つな」

こどもの頃、何か理不尽なことに怒っていると、母はよくそう言っていた。

 

「世の中理不尽なこともあるし、くだらないやつもいる。だけど、いちいち腹を立てて同じ土俵に立ったら負けだよ。自分のレベルがさがっちゃうよ」

当時まだ幼かったわたしは、歯を食いしばり、涙も鼻水も垂れ流しながら、腹の立つ奴らを頭に浮かべ、

「おなじ、どひょうに、たちたくない」と、

心の中で繰り返していた。

 

だから、わたしは腹が立つときは黙る。

相手はなんでそんなことをしているんだろう。

どういう意味で言っているんだろう。

わたしはどうするべきだろう。

どうすれば、同じ土俵に立たず、闘わず、解決することができるだろうか。

 

たとえ腹の中は煮えくり返っていても、

それを出さない自分との闘いを続ける。

 

それもうまくいきそうにないときは、

もう、笑ってしまうしかない。

 

腹の立つことがあったら、

腹の中でぐるぐる巡ってるマグマみたいな感情を、「あははは」と言いながら、口から吐き出す。

溜めてしまったらきっと、怒りに食いつぶされてしまう。

だから、笑う。

自虐でもふざけても、なんでもいい。

ただ、笑う。

ステージを変えるんだ。

そうすれば、何が本論だったかわからなくなる。

それでいい。

わかってしまえば腹が立つ。

笑いのレベルは低くていい。

滑ってもいい。

ただ、「あははは」って声を出すタイミングを作るんだ。

 

そうすれば、ぐにゃんと世界が歪んで、足元が変わる。

気づけば、腹の立つ人と一緒にいた土俵から飛び出して、トランポリンでふわふわ飛んで、別のところに移動できる。

腹が立ったことも、忘れることができる。

 

さらに母は、こうとも言っていた。

 

「それでも腹が立つなら、おならかけてやれ。それくらいの気持ちで接しなさい」

 

え?! お、おならですか?!

そ、それは教育としてどうなんでしょうか?(笑)

 

でも、これは不思議な魔法のことばだ。

 

ほんとに許さないから、おならかけてやろう! って思うと、案外笑けてきて

「まぁ、そこまででもないか」という気持ちになる。

 

だって、その人にだって、家族がいる。

夢がある。

きっと、好きな本とか座右の銘もある。

今も心の中で忘れられない初恋の人とかがいるはずなんだ。

 

そんな人に、おならをかけるのは、さすがに、人として忍びない。

その人は、それに値するだけのことをしたのだろうか?

そう、自分に問うてみる。

 

すると、

「いや、そこまでじゃない。そこまでは腹が立ってない。うん、ならもういいや」

と、スーッと怒りが消えていく。

 

あまり大きな声でおススメはできないが、わたしにとっては、魔法のことばだ。

 

そんな幼い頃の母の教えは、

案外30過ぎた今、胸に響くものが多い。

大人になるにつれ、人間環境や作業がふくざつになっていくだけで、きっと、こころは、そんなに変わらないんじゃないだろうか。

5歳とかそのくらいのこどもに、

母がなんて伝えたらいいんだろうと、考えに考え抜いて発したことば。

わかりやすくシンプルな教え。

 

それは今だから、大人になった今だからこそ、きっと、心に響いてくるのかもしれない。