本日はNew Year's Eve

30代OLが「書き手」になる夢を叶えるドキュメンタリー

世の中にイノベーションなんて起こさなくてもいい。毎日にちょっとだけ波風を起こせば、なんだか日常が面白くなってくる。

「世の中は、常識を疑う偏屈な人たちによって変わってきた」と、何かで読んだ。

 

他の人が「そんなの当たり前だよ」と思い、疑いもしなかったことに、疑問を持つ人。

 

例えば「外国」もそうだろう。

 

「海には向こう側がある」と世界で初めて気づいた誰かがいたはずだ。

「いやいや何言ってるの、海はあそこで終わりだよ」とみんなは言うのに、

「いや絶対向こう側がある!」と、きっと言い張った人がいるはずだ。

 

それで行ってみたら、海には向こう側があった。

それは、日本の人かもしれない。

海外の人かもしれない。

 

もちろん、大航海をした人は教科書に載っているけど、最初にそう思った人が、その人とは限らない。

 

きっと中学生みたいなノリで

「俺、海の向こう側行くぜー」とか言い出した人がいるんだ。

 

そのうちに「こんなこと言った馬鹿がいてね」という笑い話を天才が耳にして

「それだ!」と実現のための行動に移したんだ。

 

何も大きなことだけじゃない。

日常のささいなことだってそうだ。

 

例えば生まれて初めて、頭を洗った人とかだ。

それまではきっと誰も気にしてなかったのに、水をかぶった瞬間に「あれ? なんかいつもと違う」って、気づいた人がいるんだ。

 

みんなが「いやいや濡れて乾いただけでしょ(笑)」って笑う中、

「いや、違うってサッパリするよ!」

「今日はベタベタがない!」

「てか、鼻をふんふんした時の空気が違う」

そうやって言う中、いつのまにか、

「ホンマや!」って言う人が現れて、それが習慣化されていったのかもしれない。

 

そう思うと、昔の昔は、毎日いろんな発見が楽しかったんじゃないだろうか。

まだインターネットもなければSNSもない。

世の中ではとっくに見つかっていることでも「世界で初めて見つけた!!!!」って感動があちこちであったはずだ。

 

「なにこれ?!」って誰かが言って、

「いやいやいやいや」って、みんなで笑って、

「え、マジだ?!」ってみんなで目を合わせて。

 

え、もっかいもっかい! ってみんなで騒いで。

 

あ、でもそう考えたら、もしかして、今もそんなに大して変わらないかもしれないな。

 

そりゃ、世界初や世の中を変えるような、そんな新しい発見にはそうそう出会えるものじゃない。

 

だけど、「わたしの人生で初めて」なら、視点を変えれば日常に溢れているはずだ。

そうやって毎日「初めて」を重ねて楽しんでいけば、何か、新しいことに出会うかもしれない。

 

そんなことを思って、普段はやらないことをやってみた。

 

お昼ごはんは、初めて行くお店に入る。

あれ? ここにこんなお店あったっけ?

え、なにこれ美味しいな!

うーん、だけどやっぱりいつものファミマがいいな。

 

ごはんを食べるという行為の中で、毎日いろんな発見と出会いが生まれてくるようになる。

知らなかったことに気づくこと。

知っていたことの理解を深めていくこと。

なにかを決めると、何かが見えてくる。

 

例えば、今まで観たことのなかったアニメを真剣に観てみる。

え、次どうなるの?!

そんなこと言ったらあの人がかわいそうだよ。

うぇー、ここでそんなことあるーー???

いつも以上に心が揺さぶられる。

なんとなくテレビがついてたり、人から話を聞いても、そんなに興味は惹かれなかった。

だけど「真剣に観る」って決めて観ると、これが、面白い。

夢中になる。

発見ばかりだ。

 

「世の中を変える」

「常識を疑う」

そんな大それたことに、チャレンジはしなくてもいい。

 

だけど「新しいことを見つける」「真剣にやる」「楽しむことに没頭する」「ダメって決めつけない」

そうやって、いろんなことを心の中で決めてみる。

慣れてきたら、決めてたことをやめてみる。

 

そうやって、自分の人生に波風を起こしていくと、なんだか毎日に動きが出てくる。

 

あ、ここで毎回嫌な気持ちになるな。

これは何度やっても好きだな。

え、これってこんな感情になるんだ。

 

毎日まじめに生きる必要もない。

他人に働きかける必要もない。

 

自分自身の中でチャレンジを起こせば、毎日がちょっとだけ面白くなる。

他人の評価は気にならなくなり、自分に集中して考えることができる。

 

自分に集中したところで、案外他人は気にしない。

妙に気にする人がいれば、距離を保てばいい。

 

「わたしの人生はこうあるべき」

そんな自分自身を偏屈になって疑ってみると、いつもと違う見え方ができる。

そんな生き方も、ちょっと、面白いのかもしれない。