世の中にイノベーションなんて起こさなくてもいい。毎日にちょっとだけ波風を起こせば、なんだか日常が面白くなってくる。
「世の中は、常識を疑う偏屈な人たちによって変わってきた」と、何かで読んだ。
他の人が「そんなの当たり前だよ」と思い、疑いもしなかったことに、疑問を持つ人。
例えば「外国」もそうだろう。
「海には向こう側がある」と世界で初めて気づいた誰かがいたはずだ。
「いやいや何言ってるの、海はあそこで終わりだよ」とみんなは言うのに、
「いや絶対向こう側がある!」と、きっと言い張った人がいるはずだ。
それで行ってみたら、海には向こう側があった。
それは、日本の人かもしれない。
海外の人かもしれない。
もちろん、大航海をした人は教科書に載っているけど、最初にそう思った人が、その人とは限らない。
きっと中学生みたいなノリで
「俺、海の向こう側行くぜー」とか言い出した人がいるんだ。
そのうちに「こんなこと言った馬鹿がいてね」という笑い話を天才が耳にして
「それだ!」と実現のための行動に移したんだ。
何も大きなことだけじゃない。
日常のささいなことだってそうだ。
例えば生まれて初めて、頭を洗った人とかだ。
それまではきっと誰も気にしてなかったのに、水をかぶった瞬間に「あれ? なんかいつもと違う」って、気づいた人がいるんだ。
みんなが「いやいや濡れて乾いただけでしょ(笑)」って笑う中、
「いや、違うってサッパリするよ!」
「今日はベタベタがない!」
「てか、鼻をふんふんした時の空気が違う」
そうやって言う中、いつのまにか、
「ホンマや!」って言う人が現れて、それが習慣化されていったのかもしれない。
そう思うと、昔の昔は、毎日いろんな発見が楽しかったんじゃないだろうか。
まだインターネットもなければSNSもない。
世の中ではとっくに見つかっていることでも「世界で初めて見つけた!!!!」って感動があちこちであったはずだ。
「なにこれ?!」って誰かが言って、
「いやいやいやいや」って、みんなで笑って、
「え、マジだ?!」ってみんなで目を合わせて。
え、もっかいもっかい! ってみんなで騒いで。
あ、でもそう考えたら、もしかして、今もそんなに大して変わらないかもしれないな。
そりゃ、世界初や世の中を変えるような、そんな新しい発見にはそうそう出会えるものじゃない。
だけど、「わたしの人生で初めて」なら、視点を変えれば日常に溢れているはずだ。
そうやって毎日「初めて」を重ねて楽しんでいけば、何か、新しいことに出会うかもしれない。
そんなことを思って、普段はやらないことをやってみた。
お昼ごはんは、初めて行くお店に入る。
あれ? ここにこんなお店あったっけ?
え、なにこれ美味しいな!
うーん、だけどやっぱりいつものファミマがいいな。
ごはんを食べるという行為の中で、毎日いろんな発見と出会いが生まれてくるようになる。
知らなかったことに気づくこと。
知っていたことの理解を深めていくこと。
なにかを決めると、何かが見えてくる。
例えば、今まで観たことのなかったアニメを真剣に観てみる。
え、次どうなるの?!
そんなこと言ったらあの人がかわいそうだよ。
うぇー、ここでそんなことあるーー???
いつも以上に心が揺さぶられる。
なんとなくテレビがついてたり、人から話を聞いても、そんなに興味は惹かれなかった。
だけど「真剣に観る」って決めて観ると、これが、面白い。
夢中になる。
発見ばかりだ。
「世の中を変える」
「常識を疑う」
そんな大それたことに、チャレンジはしなくてもいい。
だけど「新しいことを見つける」「真剣にやる」「楽しむことに没頭する」「ダメって決めつけない」
そうやって、いろんなことを心の中で決めてみる。
慣れてきたら、決めてたことをやめてみる。
そうやって、自分の人生に波風を起こしていくと、なんだか毎日に動きが出てくる。
あ、ここで毎回嫌な気持ちになるな。
これは何度やっても好きだな。
え、これってこんな感情になるんだ。
毎日まじめに生きる必要もない。
他人に働きかける必要もない。
自分自身の中でチャレンジを起こせば、毎日がちょっとだけ面白くなる。
他人の評価は気にならなくなり、自分に集中して考えることができる。
自分に集中したところで、案外他人は気にしない。
妙に気にする人がいれば、距離を保てばいい。
「わたしの人生はこうあるべき」
そんな自分自身を偏屈になって疑ってみると、いつもと違う見え方ができる。
そんな生き方も、ちょっと、面白いのかもしれない。