もし、おじいちゃんがもっと長生きしていたら。
「もし、おじいちゃんがもっと長生きしていたら、あいつの人生も、もう少し楽だったんだろうな」
いつの時か、兄が母に言ったという言葉を思い出す。
こどものころ、わたしは、おじいちゃんっ子だった。
と言うよりも、おじいちゃんにしか、心を許していなかったかもしれない。
お母さんは、いつも怒ってた。
正しいことを教えるために。
間違ったことを、しないために。
今思えばもちろんそれは必要だったと思う。
自分より倍以上も大きなお兄さんに喧嘩を売ったり、思うようにならないと、草むらの中で数時間寝転んで、皮膚科の先生に怒られるようなわたしだ。
いくら自由でもそこまでしちゃダメだ。
人に対してはそんなこと言っちゃダメだ。
何をしでかすかわからないクソガキンチョの娘に、毎日ハラハラドキドキしていたんだろう。
父の記憶はあまりない。
元々仕事に忙しく出張も多かった。
無口な性格で、こどもを可愛がるタイプでもなかった。
気づけば、いつのまにか父は単身赴任で遠くに行ってしまい、会えない日が増えた。
久しぶりに会話をしたかと思えば「勉強はどうだ? こないだのテストは何点だ?」と気の抜けない会話ばかりだった。
祖母は、男の子を可愛がることで、まわりにも知られていた。自分は女の子を2人産み、自分の兄弟も、妹が多かったらしい。
だから、家の中にいる男の子は珍しかった。
祖母が、兄を誰よりも可愛がることは、みんな知っていた。
まして、教頭の妻として、シャンとしてなければならない。
人が怖くて、誰か来るたびにテーブルの下に隠れたり、言うこと聞かずに鼻ほじってるような孫娘は、衝撃的な存在だったのだろう。
「女の子なんだからちゃんとしなさい!」
そう怒られるたびに「好きで女の子になったんじゃない」と、ふてくされることも多かった。
そんな中で、祖父だけは、違った。
祖父だけは、やさしかった。
「あの子は本当はいい子なんだよ。それを表に出せないだけだ」
長年教師をしていた祖父は、そう言って、いつも誰よりも味方でいてくれた。
だけど、そんなひねくれもののガキンチョのわたしにとって、祖父の死はあまりにも早かった。まだ小学生だった。
自分のことを省みたり、学校とか組織に所属することの意味を理解し始めた頃には、祖父はもういなかった。
祖父は戦争を経験した後、
教師として多くの人に慕われていた。
おじいちゃんになったあともよく、校長先生やいろんな人が遊びに来ては麻雀をしていた。
だから、遊びに行っても祖父を独り占めできないことは、しょっちゅうだった。
それに、わたしは極度の人見知りだった。
「こんにちは」すら言えないこどもだった。
挨拶をして、声が小さいとか、あの子はいい子じゃないとか、そんなジャッジをくだされるなら、そもそも顔を合わせなければいいと思っていた。
だから、お客さんが来るとわかればすぐに2階に逃げた。
間に合わない時は、テーブルの下で、お客さんが帰るまで何時間でもジッとしていた。
2階に逃げた時、いつも迎えに来てくれるのは、祖母だった。
ほんとはもうお客さんが帰ったってわかってるのに、2階でごろーんと寝転がっていると、「はぁ、よいしょ」と祖母の声がした。
とん、とん、とん、と、階段を登る音。
「これ、いつまでそうやってんだ? もう帰ったよ!」
そう言って祖母はかかとをポンとたたく。
それがなんだか嬉しくて、いつもそこで待っていた。
いつもお兄ちゃんにとられてしまうおばあちゃんが、その時だけは、わたしを迎えにきてくれたから。
祖父は、よくお酒を飲む人だった。
飲まない時は優しいおじいちゃんだったけど、
飲んでる時は、何を言ってるかわからないこともしょっちゅうだった。
よく、戦争の話をしていた。
そんな時は祖母が、バスに乗ってデパートへ連れてってくれた。
バスの中で海を眺めながら、ずっと行くと、デパートがあった。
祖母のパッチワークの材料を見たり、お洋服屋さんやおもちゃ屋さんを見たり。
なんだか全部がキラキラして見えた。
「喉乾いたね」と、最後は、その場で作ってくれるジュース屋さんに立ち寄る。
2人でベンチに座って「ぷはぁ」と飲む瞬間が、たまらなく好きだった。
わけのわからない孫だけど、祖母は、ちゃんと大事にしてくれた。
祖父が早くにいなくなってからも、ずっと「父さんは、あんたはいい子なんだってよく言ってたっけね」と言いながら、大事にしてくれた。
「もし、おじいちゃんがもっと長生きしていたら、あいつの人生も、もう少し楽だったんだろうな」
兄が言う通りもし、おじいちゃんが、わたしが中学生、高校生、大学生、さらには社会人になるまで生きててくれたら、どんなによかったろうと思う。
だけど。
その分、おばあちゃんに大事にしてもらった。
お父さん、お母さんにも、大事にしてもらった。
いつか父や母にも。
たとえ、わたしのようなへんちくりんだとしても、孫を持つ幸せを体験してもらうことは、できるだろうか。
もしそういう人生じゃなかったとしてもきっと、「手のかかる娘で精一杯だよ」と笑ってくれるような気がする。
会うたびに年をとっていく父と母に、自分がこどもだった頃の、祖父と祖母の姿がかさなってくる。
これからどんなことを一緒にできるかな。
親孝行なんて、わたしにできるだろうか。
敬老の日に祖父母のことを思い出しながら、なんだかそんなことを、考えた。