本日はNew Year's Eve

30代OLが「書き手」になる夢を叶えるドキュメンタリー

もし、おじいちゃんがもっと長生きしていたら。

「もし、おじいちゃんがもっと長生きしていたら、あいつの人生も、もう少し楽だったんだろうな」

 

いつの時か、兄が母に言ったという言葉を思い出す。

 

こどものころ、わたしは、おじいちゃんっ子だった。

と言うよりも、おじいちゃんにしか、心を許していなかったかもしれない。

 

お母さんは、いつも怒ってた。

正しいことを教えるために。

間違ったことを、しないために。

今思えばもちろんそれは必要だったと思う。

自分より倍以上も大きなお兄さんに喧嘩を売ったり、思うようにならないと、草むらの中で数時間寝転んで、皮膚科の先生に怒られるようなわたしだ。

 

いくら自由でもそこまでしちゃダメだ。

人に対してはそんなこと言っちゃダメだ。

 

何をしでかすかわからないクソガキンチョの娘に、毎日ハラハラドキドキしていたんだろう。

 

父の記憶はあまりない。

元々仕事に忙しく出張も多かった。

無口な性格で、こどもを可愛がるタイプでもなかった。

気づけば、いつのまにか父は単身赴任で遠くに行ってしまい、会えない日が増えた。

久しぶりに会話をしたかと思えば「勉強はどうだ? こないだのテストは何点だ?」と気の抜けない会話ばかりだった。

 

祖母は、男の子を可愛がることで、まわりにも知られていた。自分は女の子を2人産み、自分の兄弟も、妹が多かったらしい。

だから、家の中にいる男の子は珍しかった。

祖母が、兄を誰よりも可愛がることは、みんな知っていた。

まして、教頭の妻として、シャンとしてなければならない。

人が怖くて、誰か来るたびにテーブルの下に隠れたり、言うこと聞かずに鼻ほじってるような孫娘は、衝撃的な存在だったのだろう。

「女の子なんだからちゃんとしなさい!」

そう怒られるたびに「好きで女の子になったんじゃない」と、ふてくされることも多かった。

 

そんな中で、祖父だけは、違った。

祖父だけは、やさしかった。

「あの子は本当はいい子なんだよ。それを表に出せないだけだ」

長年教師をしていた祖父は、そう言って、いつも誰よりも味方でいてくれた。

 

だけど、そんなひねくれもののガキンチョのわたしにとって、祖父の死はあまりにも早かった。まだ小学生だった。

自分のことを省みたり、学校とか組織に所属することの意味を理解し始めた頃には、祖父はもういなかった。

 

祖父は戦争を経験した後、

教師として多くの人に慕われていた。

おじいちゃんになったあともよく、校長先生やいろんな人が遊びに来ては麻雀をしていた。

 

だから、遊びに行っても祖父を独り占めできないことは、しょっちゅうだった。

それに、わたしは極度の人見知りだった。

「こんにちは」すら言えないこどもだった。

 

挨拶をして、声が小さいとか、あの子はいい子じゃないとか、そんなジャッジをくだされるなら、そもそも顔を合わせなければいいと思っていた。

だから、お客さんが来るとわかればすぐに2階に逃げた。

間に合わない時は、テーブルの下で、お客さんが帰るまで何時間でもジッとしていた。

 

2階に逃げた時、いつも迎えに来てくれるのは、祖母だった。

ほんとはもうお客さんが帰ったってわかってるのに、2階でごろーんと寝転がっていると、「はぁ、よいしょ」と祖母の声がした。

 

とん、とん、とん、と、階段を登る音。

「これ、いつまでそうやってんだ? もう帰ったよ!」

そう言って祖母はかかとをポンとたたく。

それがなんだか嬉しくて、いつもそこで待っていた。

いつもお兄ちゃんにとられてしまうおばあちゃんが、その時だけは、わたしを迎えにきてくれたから。

 

祖父は、よくお酒を飲む人だった。

飲まない時は優しいおじいちゃんだったけど、

飲んでる時は、何を言ってるかわからないこともしょっちゅうだった。

よく、戦争の話をしていた。

 

そんな時は祖母が、バスに乗ってデパートへ連れてってくれた。

バスの中で海を眺めながら、ずっと行くと、デパートがあった。

祖母のパッチワークの材料を見たり、お洋服屋さんやおもちゃ屋さんを見たり。

なんだか全部がキラキラして見えた。

 

「喉乾いたね」と、最後は、その場で作ってくれるジュース屋さんに立ち寄る。

2人でベンチに座って「ぷはぁ」と飲む瞬間が、たまらなく好きだった。

 

わけのわからない孫だけど、祖母は、ちゃんと大事にしてくれた。

祖父が早くにいなくなってからも、ずっと「父さんは、あんたはいい子なんだってよく言ってたっけね」と言いながら、大事にしてくれた。

 

「もし、おじいちゃんがもっと長生きしていたら、あいつの人生も、もう少し楽だったんだろうな」

 

兄が言う通りもし、おじいちゃんが、わたしが中学生、高校生、大学生、さらには社会人になるまで生きててくれたら、どんなによかったろうと思う。

だけど。

その分、おばあちゃんに大事にしてもらった。

お父さん、お母さんにも、大事にしてもらった。

 

いつか父や母にも。

たとえ、わたしのようなへんちくりんだとしても、孫を持つ幸せを体験してもらうことは、できるだろうか。

もしそういう人生じゃなかったとしてもきっと、「手のかかる娘で精一杯だよ」と笑ってくれるような気がする。

 

会うたびに年をとっていく父と母に、自分がこどもだった頃の、祖父と祖母の姿がかさなってくる。

これからどんなことを一緒にできるかな。

親孝行なんて、わたしにできるだろうか。

 

敬老の日に祖父母のことを思い出しながら、なんだかそんなことを、考えた。