怒っているのに気持ちがいいのは、なぜだろう。
植松さんは、ブログでいつも怒ってる。
見た目はとても穏やかなのに。
映像で見ると、とても朗らかなのに。
文字で読むと、いつも怒っている。
だけど。
嫌な気持ちにならないのは。
なんだか読んでて、イライラしたりしないのは。
きっとその植松さんの怒りは、
自分を守るための、
誰かを攻撃するための怒りではないからだ。
より良くなるための、
誰かを守るための、怒り。
傷ついている人の代わりに、怒っているんだ。
植松さんのブログは、ロックだ。
いつもそう思う。
だから、口調は怒っているのに。
時に辛辣な言葉が並んでいるのに。
それでもなんだか心があったかくなって、時に涙するほど嬉しくなるのは、
植松さんの綴る言葉が、その精神が、ロックだからだ。
ロックな大人はかっこいい。
強いだけのものに屈さない。
弱さを潰そうともしない。
ただ、自分の真ん中に軸を持って、芯を通して。
そこからぶれることなく。
熱を持って、スピードを持って、勢いを持って。
ただ進んでいく。
ものすごいエネルギーで、前に向かって進んでいく。
そんな大人に、なりたいと、いつも願う。
そうやって、自分も突き進みながらも、
下の世代を守っていける。
そんな大人になりたいと願いながら、
あぁ、すごいなぁ、ロックだなぁ、と目頭拭いながら、
今日も1日が、終わっていく。
「負けないよ。大丈夫だよ」
いつも思い出すのは、フィリピンを離れる時に、年下の友人がくれたプレゼント。
フィリピンの伝統的な武器のレプリカだった。
「あなたから強さを学んだ。だからわたしも、必ず強くなるよ。闘うよ」
時々、神様のお迎えを願う彼女に、わたしはいつも「もう少しだけ耐えて」と伝えていた。
もしかしたら、明日、1時間後、いや、5分後に楽しいことがあるかもしれない。
それなのに、これまでがんばったことを無駄にしたらもったいないよ! って。
ちゃんとご褒美もらってから力抜こうって。
時にまじめに、時にふざけて笑いながら。
彼女を応援し続けた。
日本に帰る場所のあるわたしと、
フィリピンで15人兄弟の長女として生まれた彼女。
明らかに、もっとがんばらなきゃいけないのは、わたしだった。
もう、十分すぎるほど耐えていたのは彼女だった。
だけど。
「頑張ろう。頑張ろう。もうすぐ、楽しいことが起こるよ。あとちょっと! できるできる!」
毎日毎日言い続けた。
そして、それを、わたしは後悔した。
彼女が「ありがとう」とくれたプレゼント。
これからはあなたがいなくても、1人で闘うよって、言ってくれた、プレゼント。
武器の、レプリカだった。
あぁ、違う。
これは、強さじゃない。
攻撃する強さは、本物じゃない。
弱いから、攻撃をして闘うんだ。
本当の強さは、その武器もろとも抱きしめても、傷つかない強さだ。
大丈夫だ、安心して、武器を手放そうと、抱きしめてあげられる、心と体の強さだ。
わたしは、弱いから、きっとフィリピンでひとり、必死で闘っていたんだ。
誰かに完全に心を許すことなく。
どこかで、いつ誰に騙されるかわからない、と、ビクビクしていた。
その弱さと不安を吹き飛ばすために、武器を振り回して、負けてなるもんか、と生きていたんだ。
そんなわたしの姿を見て、彼女は攻撃できる強さを覚えようと覚悟を決めていた。
だけど。
きっと、本当は、本当の強さは、誰かを信じることだ。
信じて、攻撃をしないことだ。
植松さんのような、強さだ。
植松さんは、いつも怒っている。
だけどそれは、武器を振り回すような怒りや攻撃とは違う。
今は弱い立場にいる人も、それぞれ必ず好きなことと、発揮できる力があると、信じている。
そしてきっと、同じ想いを持って、より良い方向に一緒に進んでくれる人がいると、信じている。
だから、その怒りは、特定の誰かを否定したり、攻撃したりする怒りじゃない。
自分は一緒にいるよ。
こんなことがあっても大丈夫だよ。
今はそんな間違ったことが起こっていたとしても、未来には必ずいいことがある。
そのことを伝えるために、怒っている。
ロックの魂で、叫んでいるんだ。
不安に怒りを乗せるのではなく、
前に進むためのエネルギーとしての怒り。
すごいなぁ。
そして、ありがたいなぁ、と思う。
「どうせ無理」と思いたくなっても、「だったら!」と前向きに切り替えることができる。
いつかこんな風に。
世の中の矛盾や理不尽や
いろんな切ないことを。
全部受け止めて、その上で、不安に震える若い人たちを、抱きしめあげられる大人になりたいなぁ、と、思う。