なぜいつも怒られるのに、つい「おじさんのくしゃみ」で笑ってしまうのだろうか。
「へっくしょい、ちくしょーぃっ!」
おじさんがくしゃみをすると、わたしは必ず怒られる。
理由はふたつだ。
「人のくしゃみで笑うなんて失礼でしょ! やめなさい」
もしくは
「もう、こっちまで我慢できなくなるから、まじでやめて。くくく。ちょっと本気で笑わないで!!!!」
そう、わたしは、おじさんのくしゃみで、つい笑ってしまうのだ。
それで、
失礼だからやめなさい! か、
つられて笑ってしまうからやめなさい、の
どちらかで怒られてしまう。
だからわたしとしたら
どっちにしても怒られてしまうから、
「おじさんくしゃみしないでよ!!!」と、逆ギレしたい気分なのだ。
どうして、おじさんのくしゃみで笑う人と、笑わない人がいるんだろう。
わたしの場合、おそらくその非常事態に驚いて、思わず笑ってしまうんだと思う。
だって、大の大人が、人混みの中で突然大声で「ぶぇーっくしょん」なんて、普通は言ったりしない。
「ぶぇー」なんて言葉、存在しない。
何事か! と思わざるを得ないのだ。
そんな異常事態にビクっ!とし、心臓がキューっとなり、そして「なんだおじさんのくしゃみか」と思うと、可笑しくなるのだ。
そんな何でもないことに驚き、心臓を一瞬でも痛めてしまった自分がなんだか恥ずかしく、同時に安心し、可笑しくてたまらなくなるのだ。
だけど一方で、くしゃみくらいで驚いたり反応したりしない人にとっては、恐らく、わたしがおじさんをばかにしていると思うのだろう。
きっと
「くしゃみ、ウケるwww」と笑っていると思われてしまうのだ。
だから「なんて失礼な人間なんだ」と怒られてしまう。
そうじゃない。そうじゃないんです。
わたしは、くしゃみに驚いたビビリな自分が可笑しくて笑っているんです。
例えば、何でもないのに、
友達が突然「あーーーー!!!!!」と叫ぶとそれより大きな声で「わーーー!!!!」と叫んでしまい、ふと我に返って笑ってしまうように。
逆さまに立てかけていたモップがオバケに見えて、思わず後ずさりしてしまった自分が恥ずかしくて笑ってしまうように。
怖い話のテレビを観ていたら、ふとした瞬間に画面が暗くなり、恐れおののいた自分の顔が映って見えて、なんて顔しているんだ! と可笑しくなるように。
そう。おじさんのくしゃみが可笑しいのではなく、くしゃみごときにビビってしまった自分が、なんだか恥ずかしく、笑けてしまうのだ。
きっと、そうなんだ。
「ひ、ひっくしゅん!!」
そんなことを考えながら夜道を歩いていたら、思わず体が冷えてくしゃみをしてしまい「ふふふ」と笑ってしまった。
そしてふと「つられて笑ってしまうからやめなさい!!」と怒る友人を思い出す。
ん? 友人は、なんで笑ってしまうんだ?
時間差があって笑うということは、驚いたとかでなく、ただくしゃみ自体に笑っているんだろうか。
そういや。
昔から日本には「くしゃみ芸」がある。
加藤茶の「ヒックシュ!」は、くせになってしまう。
こどものころは、ちびまる子ちゃんみたいに、お腹を抱えて笑っていた。
「やめて、やめて!」と言いながら、ブラウン管の向こうでカトちゃんがくしゃみをするたびに、ゲラゲラと笑っていた。
もしかしたら、おじさん+くしゃみ=面白いという脊髄反射になってしまっているのだろうか。
うーん。
だとしたら、「芸」ではなく、素でくしゃみをしてしまったおじさんに、やっぱり失礼なことをしているのだろうか。
もちろんそのおじさんが、具合悪そうな場合は、ちっとも笑えたりはしない。
ということは、くしゃみにも、いろんな種類があるのだろうか。
頭を抱えていると、LINEで家族からメッセージが届いた。
あ。
そうだ。
そういえば昔、
父は「ぶぇっくしょーい!」と豪快にくしゃみをすると、きまって「へへへ」と、笑っていた。
わたしがビックリして笑うと、
父も「カカカカ」と、楽しそうに笑う。
それでわたしももっと可笑しくなって止まらなくなって、時には父とふたり、涙が出そうなほど、ひーひー言って笑っていた。
「もう、意味がわからないよ」
その様子を見ていた母が苦笑いをし、頭を抱えてしまうくらい、
ふたりで「くしゃみ、くしゃみ!」と言いながら笑い続けていた。
普段は無口な父と、感情表現が苦手な娘。
ふたりにとってくしゃみは、ことばのいらない、大切なコミュニケーションのひとつに、なっていたのかもしれない。
そうか。
わたしがおじさんのくしゃみを笑ってしまうのは、父からの遺伝と、こどものころの楽しかった思い出の影響なのかもしれないな。
「ぶぇっくしょーーい!」
こんな風に噂をしてしまったから、
きっと今ごろ父は、どこかでくしゃみでもしているのかもしれない。
ーー風邪ひかないようにね。
こころの中で思いながら、ふふふと、なんだか口元が綻んでいた。