本日はNew Year's Eve

30代OLが「書き手」になる夢を叶えるドキュメンタリー

嫌われ者の「がんばれ」が、わたしはどうしても好きなんだ。

もう10年が経とうとしている。

当時わたしは、NGOのスタッフとして現地の支援活動の調整役のためにフィリピンで暮らしていた。

その中で出会い仲良くなったのは、5~6歳下の奨学金をもらいながら大学に通う学生たち。
彼らにとってわたしは、いつも口うるさい日本人として映っていただろうと思う。

 

「諦めちゃダメだ」

「勉強だけはどんな時でも続けた方がいい」

「チャンスは一瞬だから絶対逃しちゃダメだ」

 

そんな風にいつも言い続けていた。

今思えば、何も努力していない人が何を言っているんだ、と思われていたかもしれない。

 

だけど、当時のわたしは、いつも真剣だった。

自分よりも頭が良く、性格も人柄も良く、才能もあって本当に大好きな人たちが「貧しい」と言う理由だけで、将来の可能性を狭められていたことが、悔しくて仕方がなかったからだ。

 

だから、自分の何十倍も頑張っている人たちに、わたしは毎日「がんばれ、がんばれ!」と言い続けていた。

 

最大限に頑張っても夢が叶う可能性は限られている。

それなのに、手を抜いてしまったら、可能性は限りなく消えてしまう。

そのことを、黙って見ていることができなかった。

 

フィリピンに暮らしていたとき、よく赤ちゃんを抱っこしている若い女の子に出会った。

話を聞くと、学校に通っていたときはトップクラスの成績だったと言う子が多かった。

現状として、優秀な女の子たちが突然妊娠をし、学校をやめ、そのまま夢を諦めてしまうことは、少なくなかった。

「本当はね、こどもが好きだから学校の先生を目指していたんだ。でもいいの。今は毎日こどもと一緒にいられるから」

「観光業の仕事をしたいと思って、英語を勉強していたんだ。あー、今役に立ってよかった!」

本当は地域のために、さらには国のために活躍できるような力を持っている人もいたのに、

「暑いねぇ」と言って汗を拭きながら子どもをあやして、一日中座っているようになる。

街を歩けば、そんな人たちばっかりだった。

しあわせは、他人には測ることができない。

だけど、

いつもどんなこともジョークに変えて笑っている彼女たちが、ふとした瞬間に見せる寂しそうな目線に、心がえぐられそうなことが何度もあった。

 

だから。

「がんばれ! がんばれ! 絶対できる!」

まだ学生の子たちには、毎日毎日顔をあわせる度にそう言っていた。

「諦めた瞬間にチャンスが来たらどうするの? 

ここまで頑張ったんだから、その時まで頑張ろうよ」

今より10歳も若かったわたしは、妙な熱を持って、いつも泣きそうになりながら真剣にそう伝えていた。

未だに「まだできるまだできる、っていつも言ってたよね」と笑われることがある。

だけど、当時はそう信じていた。この人なら必ずできる。諦めさえしなければ、必ずチャンスをつかむことができる。心からそう信じて、応援していた。

 

あれから10年が経った。

その間に日本では「がんばれアレルギー」が広がるようになってしまった。

まるで「がんばれ」と言う人は、他人の気持ちをわからずに傷つけてしまう自分勝手な人、と言うレッテルを貼られるようになってしまった。

 

だから、誰かに「がんばれ」と言うときは、ものすごく気を遣う。

そう言うことで、その人を傷つけたりしないだろうか。

嫌な気持ちにさせないだろうか。

 

だけど、それでもわたしは、「がんばれ」と言うことばが好きだ。

相手を応援する覚悟を決めた時に、伝えることができることばだからだ。

苦しいときには力になるから。辛い時も、いつだって見守っているからね。

ずっとずっと信じて応援しているよ。

だから。やるべきことをやりなさい。

あなたの努力だけが、あなたを幸せにしてくれるから。

大丈夫だよ。

そんな思いが、「がんばれ」の一言には、詰まっていると思う。

 

「がんばれよーーーーー」

幼い頃、良く祖母から震える文字の手紙を受け取った。

その一言だけで、わたしは頑張ることができた。

期待を裏切っちゃいけない。

そうやって、覚悟を決めることができた。

 

「ガンバレーーーーー」

留学中やフィリピンで暮らしているとき、

函館を離れ東京で暮らしているときには、

母から手紙やメールが届いた。

母は、自分に似た娘が、擦り切れるまで頑張っていることは知っていたはずだ。

だけどそれでも、今の娘に必要なのは「ガンバレ」の一言だと信じて、エールを送り続けてくれた。

 

あぁ、そうか。だからか。

振り返ってみると、わたしのそばにはいつも

「がんばれ」と言ってくれる大人がそばにいてくれた。

 

甘やかさず、ときには厳しかったけれど、

それでもわたしのことを心から信じ応援してくれた大人が

「がんばれ」の一言に思いを込めて、そう励ましてくれていた。

 

自分一人でいたら、すぐにふてくされて、いじけて、諦めてしまうわたしだったけど、その一言があるから、いつだって頑張ってこれたんだ。

 

30代になり、今は自分よりも若い才能溢れる人に出会う機会も増えて来た。

うざがられるかもしれない。邪魔くさがられるかもしれない。

だけど、それでも、もしそれがその人のこれからにつながるのであれば。

わたしは「がんばれ」と言い続けたい。

 

それにきっと「がんばれ」の言葉は、これからのバロメーターになる。

苦しくても辛くても挑戦したいのか。

もう諦めてしまいたいのか。逃げてしまいたいのか。

 

他人に言われた「がんばれ」の一言で、心の中の本音に気づけることも、あるはずだ。

 

だから、わたしはこれからも、

「古い」とか「空気が読めない」とか「優しくない」とか思われたとしても、

 それでも、たった一人のために「がんばれ」と伝え続けたいと思う。

 

そして、そうするためにはもちろん、自分自身も挑戦し続けなければいけない。

「あの人が言うなら」と「がんばれ」のことばを「がんばる」力にしてもらえるように。

いつまでも「がんばれ」と言ってもらえる人で、い続けられるように。