本日はNew Year's Eve

30代OLが「書き手」になる夢を叶えるドキュメンタリー

ハガネの女の唯一やわらかいところ

「俺だって楽しいしさ、帰りたくないよ」

そう呟いた彼の言葉は、アルコールのにおいが混じっていた。

湿度のせいか、お酒のせいか、妙に蒸し暑い。

 

彼はそっと肩に手を伸ばし、グッと自分の胸元に引き寄せた。

まるで世界に2人だけしかいないように。

特別な時間が流れていた。

 

なぜだろう。

池袋の水曜の夜は、やたらと酔っ払ったカップルが多い。

 

私はと言えば、

ーーごめんなさいね。と

心の中で呟きながら、終電に間に合うようにその横をぶったぎっていく。

 

せっかくの甘いムードのところ、

その横をリュックを背負ったおばさんが鬼の形相で通り抜けていくのはなんだか申し訳ない。

それでも、そんなことを全く気に留めもしない二人が羨ましかったりもする。

 

ーーいいなぁ。

心の片隅でそう思っている自分もいる。

過去の思い出と、未来への期待に意識が飛んでいく。

 

だけどすぐに、

ーーあ、あれ終わってない。あの人にも連絡しなきゃ。

うぉー、こんな時間じゃ逆にダメだから明日にしよう。と、

甘い空気なんてどこ吹く風だ。

リュックのショルダーベルトをぎゅっと握り、駅のホームへ猛進していく。

 

横目に流れていく女性たちは、みなとてもやわらかそうに見える。
好きな人に寄り添う女性はどうしてあんなにもやわらかそうなんだろう。

くにゃっとしなだれて、フニャッと笑顔を見せて。

今のわたしにも、あんなやわらかそうな瞬間があるのだろうか。

 

「え?!」

「え?!」

 

わたしの腰に手を伸ばしたその人が、思わず声をあげた。

わたしも驚き、つられて声をあげた。

 

「これって、筋肉ですよね? 骨じゃないですよね?!」

 

先日、腰が爆破宣告をしてきたので、慌ててマッサージに駆け込んだ時のことだ。

さっきまで、明るく元気に丁寧に接客してくれていた女性が、

突然素の声を発した。

 

「え?!」

「え?! 今度はなんですか?」

 

彼女は再び声をあげ、わたしもすぐに声をあげた。

 

「首も、固すぎて……

 

ーーよく生きてますね。

 

という言葉が後にでも続きそうな反応だった。

1ヶ月に何十人もの疲れた人の体に触れるプロが驚いている。

どうりで体が思うように動かないわけだ。
それだけ筋肉が固まっているということは、恐らく血の流れも悪いだろう。

 

「お客様の筋肉の硬さは、豆腐から鋼鉄でいうと……鋼鉄です。

先ほども、こんなところにも骨があるのかと驚いてしまいましたが、

あれは、筋肉です」

どうやら新人らしいそのお姉さんは、丁寧に真面目に、教えてくれた。

 

「あれは、筋肉です」とそんな真顔で言われても……。

悲しいことに今のわたしは「それ」を背負って生きてくしかないのだ。

 

「ただ……これは理由がよくわからないのですが、

太ももの裏だけが、

平均よりも物凄くやわらかいのです」

と首を傾げならお姉さんは言う。

 

はて。太ももの裏? 

なぜそんなところがやわらかくなるのだろうか。

肉付きが良いからか? 感触の問題か? 

特にヤンキー座りもしていないし、ストレッチもしていない。
レジ下の物を探したり、冷凍庫を開けるのに頻繁にしゃがむことはあるが、

さすがにそれだけで鋼鉄の女がやわらくなるわけがない。

……んー、なんだろうか。

あれこれ考えていたところ

「あ!」

と、気が付いた。

 

それは、ボディメイクトレーナーの友人が、

「腰痛予防に」と教えてくれた太ももの裏を伸ばすストレッチだった。

 

運動やヨガは続かないものの、なんとかその動きだけは毎晩寝る前にやっていた。

もしかしたら、それが効いていたのかもしれない。

ということは逆に、それすらもしていなかったら、

完全にわたしの体は、蝋人形みたいに固まってしまっていたのだろう。

 

昔から、バカの一つ覚えみたいに、言われたことは必ず守るようにやってきた。

「もっと肩の力を抜いた方がいいよ」

「融通効かせた方が、うまくいくよ」

そうアドバイスをもらっても、

今度は肩の力を抜くことに真面目になってしまい、足に力が入らなくなる。

融通を効かせることに真面目になりすぎて、本末転倒なことばかりしてしまう。

 

ちょうど良い加減、「いい加減」がなかなか身につけられない。

 

結果、バカみたいに真面目すぎるせいで、頭が固すぎるせいで全身はカチコチになってしまった。

だけどどうやら、バカみたいに真面目な性分のおかげで、太ももの裏だけはやわらかくなったようだ。

 

今度友人に会った時は、腰と首のやわらかくなる方法も教えてもらおう。

同時に、頭と心がやわらかくなる方法も、誰か教えてくれないだろうか。

せめて、血が通う普通の人間になれたらいいのにな。

そんなことを願いながら、明日もハガネの女は真面目に生きていくのだろう。