読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

本日はNew Year's Eve

30代OLが「書き手」になる夢を叶えるドキュメンタリー

絶望が落としたもの〜collateral beauty

collateral beauty

コラテラレル ビューティ

 

生まれて初めて耳にしたそのことばに、

涙が止まらなかった。

3時間近くが経っていただろうか。

電車の中でも涙が溢れ、スマホの画面に目を落とすことができない。

ただひたすら泣きながら上を見上げ、

「春の金麦」の広告を読んでいた。

濃い青に、やわらかな桜色が映える。

 

言語化の力は、凄まじい。

そのことばの存在を知った瞬間、

見えなかったことが急に見えてくる。

 

collateral beauty

 

確かに、確かにそれはあったんだと気付く。

前からわかっていたような気はしていた。

でもどこかで受け入れようとはしなかった。

 

だけど。

 

スクリーンの中の彼女の台詞にハッとした。

collateral beauty

それは、そこにある。

確かに存在している。

 

だけど、ただそれだけなんだ。

 

ずっと思っていた。

そんなものいらない。

そんなものを手に入れるくらいなら、

死んでしまった人を返してほしい。

亡くなった人に会わせてほしい。

 

でも、それは違った。

 

collateral beauty

それと死とは引き換えにできない。

代わりに、なんてできない。

 

ただ、それはそこにあって、

その人は死んだ。

ただその事実があるだけなんだ。

 

若くして命を落とした大切な友人の家に、

わたし達はよく集まるようになった。

最初は、娘と同じ年のわたし達の姿さえ、

ご両親は見たくないんじゃないかと、戸惑った。

でも、あれからもうすぐ10年が経とうとしている。

最初は行く度に辛くて涙が止まらなかった。

だけど、そんな空気が変わったのは、

同級生の友人に赤ちゃんが生まれた時のこと。

新しい命が、死の苦しみや悲しみをすっぽりと丸く包んでくれた。

「あ〜、笑ったー♡」

「えー、何今の仕草ーー!!!」

部屋中に笑い声が響くようになった。

そうして時が経つにつれ、新しい命も随分増えた。

最近では託児所みたいに賑やかだ。

彼女がいないことで作られた、あたたかい空間が、そこにはある。

笑い声が響き、1人になって振り返ると、様々な気付きをくれる、そんな空間が。

 

collaterall beauty

 

あんなにも悲惨な死の側にも、

それはそっと置かれていった。

もしも彼女が帰ってくるなら、そこにいるみんなが喜んでそれを手離しただろう。

だけど、それは叶わない。

死は、死として存在している。

そこに、それもある。

ただ、それだけなんだ。

 

何も親しい人だけではない。

きちんと目を凝らしてみれば、

どんなつながりでも、そこにはそれがある。

 

数ヶ月前、突然入った訃報にわたしは戸惑いを隠せなかった。

決して親しかったわけではない。

同じ職場で、時々顔を合わせれば挨拶をする。

それくらいの付き合いだった。

それでも。

前途明るい青年が命を落としたという報せは、あまりに辛い。

どうか嘘であってほしいと願わずにはいられなかった。

 

彼とは一度だけお酒の席で話したことがある。

職場でも好かれていて華のあるタイプだったが、その席でも彼は好青年だった。

酔っ払って悪態つく同僚をうまく宥め、その場を和やかに保っていた。

 

彼はその時、

「実はやってみたい仕事がある」と話していた。

それはわたしの所属していた部署の仕事だった。

「だったら上に言ってみなよ」

「まずは伝えないことには、伝わらないよ」

その場にいる人がみんな彼を応援し、

彼も「そうですね」と深く頷いていた。

 

しばらくしてわたしは仕事を辞めた。

 

彼がその後、何か行動を起こしたのか、

その仕事をやりたいと願い続けていたのかもわからない。

亡くなった当時、彼は以前と同じ部署にいた。

 

collateral beauty

 

彼の死をきっかけに、わたしは自分の人生を考え直した。

わたしは本気で自分の仕事と向き合っているだろうか。

自分がやるべきことを、全力でやれているだろうか。

誰かが願った何かを、わたしは無駄にしていないだろうか。

人と人とが出会うことには、何か意味があるのだろうか。

 

collateral beauty

それは映画の中で

「幸せのオマケ」と訳されていた。

 

死の側に、その後に、必ずそこにある。

そっと残された気付き。

 

小さな娘を亡くした主人公は拒絶する。

「そんなものいらない」と。

 

でも、作品を見ていて思う。

それは何かと引き換えにすることも、

拒絶することもできない。

ただ、そこにあるだけなんだ。

そして、気付かない人は、気付かない。

虹がかかっていても、足元ばかり見ている人がいるように。

それは、ただそこにあって、それ以上の意味はない。

 

collateral beauty

それは、

「絶望が落としたぬくもり」

なんじゃないかと思う。

 

空気の中に蒸気が集まりすぎると雨になって落ちてくるように、

絶望が集まると、そこからぬくもりが落とされる。

 

絶望には、誰かへの愛情や、信頼、期待とか、そんなあたたかい感情が奥底に秘められている。

それがギュッと集まった瞬間、

収まりきれなくなった悲しみの中から、

奥に仕舞い込まれていたぬくもりが、ひとつ落ちてくる。

 

失って気付く大切なこと。

死が教える命の尊さ。

愛することの意味。

 

どんな死の側にも、

きっとそれは、そっと置かれている。

 

『COLLATERAL BEAUTY』

 

美しいことばや抽象的な概念の並ぶ世界観の中で、

大切な人を失った人の声が胸に刺さる。

 

「自分を取り戻したいんだ」

「無理よ。あなたは娘を亡くしたんだから」

 

大切な人を亡くしてしまった人は、

決してその悲しみを忘れ、乗り越えることはできない。

生きている限り、死と向き合い続ける。

 

 

「前を向こう。なんて、クソ喰らえ!!」

そう叫ぶ主人公を見ていると、

不思議と安心している自分がいる。

 

乗り越えなくていい。

乗り越えることなんて、できないから。

誰かにそう、はっきりと言ってもらいたかったのかもしれない。

 

生きている限り、死から逃げることはできない。

身近な人、大切な人、名前だけを知ってる人。

どんな人の死も、やっぱり悲しまずにはいられない。

 

それでも、死は絶望ではない。

collateral beauty

必ずそれはそこにある。

気付く事ができれば、

今日の自分を生きる事ができる。

 

原題『COLLATERAL BEAUTY』

邦題『素晴らしきかな、人生』

 

心の奥にしまいこんでしまった

死と向き合う時間、

それを味わう痛みを、思い出させてくれた。

「言語化」の力は、生きる力にもなる。

 

ことばにすることで、人は生きていく。

ことばにできれば、人は生きていける。

 

もうあんなに泣くのは嫌だけど、

誰かを失って辛い時、もう一度観たくなる作品だ。