電車の中だって、誰かに見られたって、そんなの脱がしちゃいなよ。
ある時から疑問を抱くようになった。
「どうして隠さなきゃいけないんだろう」
人に見られるから?
恥ずかしいから?
……何がだろう。
何を隠そうとしていたんだろう。
そう思い、覆い被せていたものを脱がせてみた。
あぁ、スッキリ。
わたしはこっちのほうが好きだ。
恥ずかしいことなんかあるもんか。
隠しているから恥ずかしくなるんだ。
電車の中でも、人前でも構わない。
誰にも迷惑なんてかけやしない。
わざわざダサくする必要なんてない。
無理に着飾る必要もない。
そのまんまが一番かっこいい。
そのまんまが一番好きだ。
やめた、やめた!
ある時から、
わたしは本をカバーで隠すことをやめた。
「カバーおかけしますか?」
本屋さんのレジで必ず聞かれるそのことば。
前は必ず「お願いします」と答えていた。
だって自分が何の本を読んでるか、人に見られたら恥ずかしい。
でもあるときふと疑問に思った。
「何が恥ずかしいんだろう」
表紙を見られるのが恥ずかしい?
たくさんの大人達が色んなアイディアを出し合って作った表紙なのに、
それを見せることが恥ずかしいだなんて。
そんなわけがない。
むしろ「かっこいいでしょ?」と自慢したらいい。
タイトルが恥ずかしい?
タイトルだって同じだ。
どうすれば手にとってもらえるか、
興味を持ってもらえるか、
考えに考え抜いたタイトルは、
どこに出したって恥ずかしくないはずだ。
それに本屋さんに行くと、タイトルを眺めているだけで、色んなヒントが浮かんでくる。
だとしたら、本屋さん以外でも、タイトルをあちこちで見る事ができたら、むしろ有難いんじゃないだろうか。
だけど。
うわ〜、あの人あんな本読んでる!
そう思われる事が、恥ずかしいように思っていた。
なーんで、そんなこと思ってたんだろう。
第一、もし本当に見られるのが恥ずかしいような本を読んでいるのなら、カバーをかけて隠したって、背後の人には丸見えじゃないか。
わざわざベージュのザラ紙にくるんで
「それは本です」
くらいにしかわからない見た目にされて。
せっかくカッコよく作ってもらったのに、
「恥ずかしいからこれ着てなさい!」ってみーんなおんなし格好にさせられて。
本からしたら、そっちのほうが恥ずかしいかもしれない。
事実、
他人が読んでいる本は、気になる。
女子高生が夢中になってる小説は、何の話だろうか。
いかにも仕事ができそうなキャリアウーマンが眉間にしわ寄せて読んでいるその本には、何が書かれているんだろう。
ページを捲る仕草の美しい彼は、何に惹かれてその本を選んだのだろうか。
本屋さんに平積みされている一冊より、
目の前の人が読むその本に、
グイッと興味はそそられる。
だからこそ、
隠していたらもったいない!
せっかくの面白い本は、もっとみんなに見せたらいい。
電車の中で、街の中で。
カバーなんて脱がしちゃえばいい。
そしたら、もっともっと本を読みたい人が増えるかもしれない。
気になる本に出会える可能性も高まるかもしれない。
本を介した出会いと縁が、
声を出さずにどんどん広がっていく。
そんな風景が日常になると思うと、なんだかワクワクしてくる。
偶然隣にいた人が同じ本を読んでたら。
「あ、一緒ですね」
照れながら微笑み合い、物語が始まるかもしれない。
そんなことを想像しながら、今朝は新たに小説を読み始めた。
まだ最初の30ページくらいなのに。
気付けば景色が滲んでいる。
油断していた。
書き出しでこんなに感情が込み上がってくるなんて。
涙が溢れないように、本から目を離し、少し上を見上げた。
するとなんとなく、視線を感じる。
あ。こんにちは。
目の前に座っていた同世代くらいのお姉さんが、わたしの表情と本の表紙とを見比べている。
「めっちゃ面白いですよ。
まだ30ページですけど」
無言でメッセージを送る。
良い本は、内容から得るだけではなく、
読んでるそばから物語が始まり出すんだ。
これはまた新しい発見だ!
いつか同じ本を読んでいるお姉さんと、電車の中で再会できたらおもしろいなー。
そんなことをニヤニヤ想像しながら、
わたしは明日もカバーをかけずに本を読む。