本日はNew Year's Eve

30代OLが「書き手」になる夢を叶えるドキュメンタリー

衝撃!!!! 北海道以外の人って【変なところ】に入っちゃわないんですか???

え?!!!

 

検索していた手が思わず止まる。

ライティングの授業の課題の記事に、

函館に遊びに行きたくなるような、

そんな記事を書きたいなと思い、

情報を確かめていた時だった。

 

「北海道の人がむせていたので

「大丈夫?」と聞くと

「変なところに入っちゃって」と返してくる」

 

……返してくる?

 

「気管ですよね?」

 

……え、そうなの?! 

え、あれって、気管に水とかが入っちゃってるの?

え、気管って、そんなご飯とか入っちゃって大丈夫なの?? 

うぇっ? てか、北海道以外の人って、あそこが気管だって、わかってるの??? 

 

うぇっ?!!!!

 

完全にパニックです。

生まれてこの方、

むせるのは「変なところ」に入っちゃうからだと信じて疑いもしませんでした。

ゴクって飲み込むはずが、

「変なところ」に入っちゃったから、

むせて吐き出そうとしてるんだと思ってました。

 

まさか、それが、気管だったなんて……

 

しかも、あんな苦しい状況でも

「あぁ、気管に入った!」と判断できる人がいるなんて。

 

まさか

「変なところ」が方言として扱われているなんて。

 

進学するために函館から上京した時も、

それはそれは驚きの連続でした。

はじめて富良野にやってきた『北の国から』の純のように、毎日毎日全力で驚いていました。

 

「やきとり」って言ったのに、どうして何も聞かずに鶏肉が出てくるんですか?! 

 

お正月なのに口取りが売ってないなんて、どういうことですか? エビからいこうか鯛からいこうか、むしろさくらんぼにしちゃおうか、迷えないじゃないですか!!!

 

七夕にお菓子をもらえなかったら、夏休みのおやつはどうするんですか?! 

 

まだ18歳の若かったわたしには、東京がまるで異国の地のように感じられました。

しまいには、自分の名前の発音まで直される始末……

カルチャーショックの連続。

 

それでも、30歳を過ぎて大人になり

大体のことは「あ、そんなこともあるのねー」と

受け入れられるようになってきました。

 

だけど、今回は久しぶりにひっくり返るような衝撃を受けました。

「変なところ」が「気管」だったとは。

「変なところ」という表現が方言と認識されているとは。

 

てか「気管」だと世間的に認識されているのに

「変なところ入っちゃったー」とか言ってたなんて、恥ずかしいな。

「変なところ」ってどこだよ。

 

あー、これから先、

「変なところ」に入っちゃった時、

なんて言ったらいいんだろう。

格好つけて「気管に入っちゃった」って言える余裕があるかな。

うっかり癖で「変なところ」って言った瞬間、恥ずかしくなっちゃって笑っちゃって、

さらにむせて苦しくならないかな。

 

「うへっ、ぶへっ、あぁ、変なところに、あ、変なところじゃなくて、うぇーっへい、うぇっへぃ、どこだっけ、あの、うぇーっへい、あー苦しい」って、ならないかな。

 

これから人前でなんか飲むときは妙な緊張感が走りそうだな。

 

北海道のみなさん、むせるあそこは変なところじゃないそうです。気管だそうです。

 

道外のみなさん、いつもむせる度に

「ん?」と思わせてごめんなさい。

ちなみに、函館は北海道の持つところじゃありません。そんなとこ持ったらポキっともげてしまいます。

 

お互い驚きは色々ありますが、これからも道産子を、北海道をどうぞよろしくお願いします。

ゆずの「サヨナラバス」を聞いて思い出すのは、あの日のナポレオンズと、機内でもらえなかったジュースのこと

台所でネギを切っていた時だ。

「あ…….」

テレビから懐かしいメロディが聞こえてきた。

 

思わず右手に包丁を持ったままテレビを覗き込む。

「懐かしいなぁ」

鼻歌をうたいながらネギを刻んでいると、自然とぶわっと涙が滲んでくる。

 

「あはは、あの時ジュースもらえなかったんだよな」

ひとりで泣いたり笑ったり大忙しだ。

 

あれはもう、16〜7年も前になるだろうか。

あの日、わたしは函館空港にいた。

今みたいにキレイにリニューアルされる前で、もっと狭くて古くて、味のある青い空港の頃だった。

 

その時のわたしはまだ16歳。

ボブにした髪の毛は、

右側も左側も、いつも右側に流れていた。

 

確か、お気に入りのブルーのチェックの半袖のシャツを羽織り、緑か赤のリストバンドをしていたと思う。

それに存在感の強いミレーの大きなリュックを背負って、いかにも田舎の元気な高校生の格好をして、空港のベンチに座っていた。

 

最初は、同じクラスの男の子2人がやってきた。昨日観たテレビの話とか、今日来ている服の話をしながら、いつものように笑っていた。

 

そのうちに、仲良しの女の子の友達がやってきて、ワイワイ賑やかに騒いでいた。

わたしの好きな人の名前で終わるしりとりで遊びながら、いつもと変わらず、みんなで笑っていた。

 

このままこの時間がずっと続けばいいのに。

腕時計の針がどんどん進んでいくうちに、ドキドキする鼓動も早くなっていった。

 

「ちょっとちょっとそこのきみぃ〜」

屋上のゲームセンターで16画素くらいしかなさそうな、今となってはアナログと呼ばれそうなほど荒いプリクラを交代で撮った。

 

歩くと「カーンカーン」とうるさい音の鳴る階段をゆっくり降りていく。

なぜか階段の下にはマジシャンのナポレオンズがいて、高校生に囲まれて人だかりになっていた。

 

「ん?」

気付くとポッケの中でPHSがブーブー鳴っている。

画面を見ると幼馴染の名前。

 

「なんで?(笑)」

すぐ近くにいるのに、わざわざ電話をかけてきた。

 

「ちゃんと話せないと困るだろ。ちょっと待ってろ」

そう言って、ちゃんと最後に挨拶したい人たちに代わってくれた。

 

あぁ。行きたくないな。

こんなに大好きな人がいるのに、離れたくないな。

 

思わず、涙が浮かんでくる。

 

ーー行くって決めたのは、自分だ。

 

空いている方の手で拳をギュッと握った。

泣いたら、わけがわかんなくなる。

見える景色も真っ白になって、体は熱くなって、時間はあっという間に過ぎる。

話も出来なくなるのはいやだ。

ちゃんと覚えていたい。

 

そう思って、いつもみたいに一緒に笑った。

みんなの声を必死で聞いて、みんなの顔を何度も見て、いつまでも忘れないようにしようと、脳に刻みつけた。

 

「したら行くね」

「うん、待ってるからね」

 

みんなに手を振って、わたしだけゲートをくぐって向こう側に行った。

自分の足で進まなきゃいけないことが、こんなにも辛いことだなんて、はじめて知った。

 

「よし、がんばろう」

窓側の席に座り、覚悟を決めて、カチッとシートベルトを締めた時だった。

 

ふっと窓の外を見ると、空港の屋上が見えた。

みんなが、いた。

20人くらいいたのかな。

もっとかな。

横にずらっと一列に並んでいる。

時々奥の方にいる人も、いる。

窓の向こうに、みんながいた。

 

何かを叫んでる……?

いや、歌ってる!!!

 

気付いた瞬間、それまで我慢していた涙が溢れ出した。

みんなの姿が見たくって、何度も何度も拭うのに、涙は止まってくれなかった。

 

あれは、

みんなが歌っているのは、サヨナラバスだ。

ゆずが歌うお別れの曲。

みんなで何度も歌ったし、

わたしにも歌ってくれた。

 

飛行機の厚い窓の向こう側。

決して聞こえてこないサヨナラバス

だけど、泣きながら全身で叫んでいる友達の姿に、涙が止まらなかった。

 

ありがとう。

自分は本当に幸せもので、これは人生のピークだとも思った。

大好きな人たちが、自分のために来てくれて歌ってくれるなんて、そんなしあわせは、求めて手に入れられるものじゃない。

 

みんなに出会えてよかった。

本当にしあわせだ。

それなのに、どうして自分はみんなから一年も離れるなんて決めたんだろう。

アメリカに行こうなんて思ったんだろう。

英語なんてできるようにならなくたって、夢なんて叶えなくたって、こんなにしあわせなのに。

 

貴重な日本のポケットティッシュを、あっという間に使ってしまった。

まだ、函館空港からすら飛び立っていないというのに。

これから羽田に行って、そこからさらに1年間、アメリカに行って暮らすと言うのに。

 

気持ちを落ち着けているうちに、飛行機はあっという間に雲の上だった。

泣き過ぎて喉はカラカラだったけど、ドリンクサービスが近づいて来ると思わず目を閉じた。

体をギュッと窓側にねじって、顔を見られないようにして、眠っているふりをした。

 

「ど、どうしました? 大丈夫ですか? お、お客様の中に、お医者様はいらっしゃいませんか?」

顔を見られたら、恐らくフライトアテンダントのお姉さんは慌ててそう叫んだだろう。

 

それくらい、泣きじゃくって、顔がおかしなことになっていた。

 

田舎の高校生は、機内でもらうジュースに憧れていたけど、ギュッと目をつむって、グッと我慢した。

 

帰国してから何年も経って、

あの時授業の途中で学校を飛び出し、見送りに来てくれた友人が

先生にこっぴどく叱られたことを知った。

それなのにわたしは、

何も知らずに

「アメリカ人デカくて怖いよ」とか

「英語が通じないよ」とかメールをする度に弱音を吐いていた。

「大丈夫だよ、待ってるからね!」

「がんばってるのは、やすえだけじゃないよ! 一緒にがんばろう!」

どんな気持ちで、そうやっていつも励ましてくれたんだろう。

どんだけ愛情深くて心の広い人たちなんだろう。

今となっては1年なんて一瞬だけど、あの頃の1年間は長かった。

いつまでも終わらないんじゃないかと思う日々の中で、日本にいる友人の存在だけが、心の支えだった。

あれから16年くらいが経って、今でも高校時代の友人に支えられて生きている。

それぞれが活躍する様子を聞く度に、「自分もがんばろう!」と奮起することができる。

 

久しぶりにテレビから流れてきたゆずの「サヨナラバス」が、あの日の記憶をハッキリと蘇らせてくれた。

同時に、あの時の倍の年齢になった今だから気付けることや感じられる感情も生まれていた。

 

 「あはは、なんでジュース飲めなかったとか覚えてるんだろう(笑)」

ひとりで泣いて笑って、刻んだネギを豆腐の上にのせた。

あれから大人になって変わったこともあれば、ずっと変わらないこともある。

これからも、この先も、ゆずは時々「サヨナラバス」を歌ってくれるだろうか。

おばさんになっても、おばあちゃんになっても、きっとあのハーモニカを聞いた瞬間、わたしはあの日の16歳に戻ることができるだろう。

「ひぃっ」

生姜の代わりにのせたワサビが鼻にツーンとくる。

大人の毎日も、泣いたり笑ったり、いそがしい。

【花の命は長い】お花をこころから愛する函館のちいさなお花屋さんに教わったお花を長く愛でるコツ

「かわいいでしょ〜」

お花が大好きで大好きで仕方がないお花屋さん。

函館山の麓、路面電車が目の前を走るちいさなお店。

 

お花が大好きでアルバイトをしていたら、

いつの間にかお店を任せられていたという社長さん。

 

一歩お店の中に入ると、

お花をこころから愛する人が選んだ

鮮やかなお花がビッシリと並んでいる。

定番のお花。

季節のお花。

見たことのないお花。

 

これは? え、じゃあこれは? と、

ついついお話を聞きながら長居してしまう。

 

「好き」

 

その気持ちに、敵うものはない。

そのお花屋さんに出会ってお話を聞いていると、強く強くそう思う。

 

「かわいいでしょ〜」

「このお花もね、すごいんだよ〜」

お花屋さんが嬉しそうに教えてくれるお話に

時間も忘れて夢中になってしまう。

 

そんなお花屋さんに教えてもらった、

お花を長く愛でるコツがある。

 

「花の命は短い、

なんて言われるけどそんなことはない。

ちゃんと気にかけて手もかけてあげれば、

長く楽しませてくれるんだよ」

 

必要なのは、新鮮なお水と新しい切り口。

毎朝茎をカットして、新しい切り口がお水に触れるようにする。

ドロっとしてたり、茶色くなった部分は全カット! 

硬くて新鮮な切り口が出てくるまでスパスパ切っていく。

 

お花を入れる器も毎日キレイに洗って、

新鮮で冷たいお水を用意。

茎が浸かり過ぎないよう程よい加減を心がける。

 

ピッと、器にお花をさすと、

 

「あれ……?」

 

花びらがふわ〜っと広がり出す。

このお花、こんなに大きかったっけ? 

なんだか誇らしげに咲いているようにすら見えてくる。

 

ガーベラとかラナンキュラスとか、

大きなお花は最後の最後まで茎をカット。

ラストは、小皿にお水を入れてプカプカ浮かべる。

 

花瓶にただ挿しっぱなしにしていると、

花の命は短くあっという間。

でも毎日お水と切り口を新しくしていけば、

花の命は長い! 

最初から最後まで、見事に咲き誇ってくれる。

 

気にかけて手もかけて愛でたお花は、

いつも以上に長くキレイに咲いてくれる。

 

「好き」

 

その気持ちが、世界を作っている。

好きだから気もかけられるし、手もかけられる。

できないことが見つかれば、なんとか克服したいと思うようになる。

嫌なことがあっても、いつかまた楽しい時が来ると信じることができる。

 

お花が大好きなお花屋さんが手入れをしたお花は、そのお花を受け取った人を笑顔にする。

笑顔になった人は、周囲にちょっとだけ優しくなれる。

ちょっとだけ優しくされた人は、また明日もがんばろう、と思う。

 

そうやって、世界は今日も動いてる。

誰かの好きがバトンになって、世界を動かしている。

 

一日働いて部屋に帰ってきたとき。

まだお花が見事にのびのび咲いててくれると、ただそれだけでちょっと嬉しくなる。

 

そういえば、東京ではまだお気に入りのお花屋さんを見つけてなかったなぁ。

 

ついつい話を聞きに通いたくなってしまう。

そんなお花屋さんと、出会えるといいな。

 

 

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http://www.hyakkaen.co.jp

 

 

は! 週末母の日∑(゚Д゚)

 

なんか、なんかこどもたちが、メロンパン、メロンパンって追いかけて来るんですけど!!!!!

もう10年も前のことになる。

フィリピンで仕事をしていた時、よく日本人の大学生ボランティアの人たちが、困った顔をして助けを求めてきた。

 

「なんか、なんかこどもたちが、メロンパン、メロンパンって追いかけて来るんですけど!!!!!」

 

ん? メロンパン? 

そんな美味しい高級パンはこの辺じゃ売ってないぞ? 

 

きむら「おい、こどもたちや、こどもたち。

おまえたちはどうして彼らを追いかけているんだい?」

 

こどもたち「よくぞ聞いてくだすった、やすえ姉さん! そいつらまだお菓子を隠し持っているのに、もう無いなどと嘘をついて、逃げやがったでござんす!」

 

きむら「あ、なるほど。ガッテン!」

 

 

こどもたちが言ってた言葉は、

myroon pa! (meron pa!)

メェロン パァッ!!!!

=まだある!!!

 

日本人学生がお菓子を一緒に食べながら、

頃合いをみて

「はい、もうおしまい。もうないよ」

と言ってしまったもんだから、

「まだある! まだある!」と追いかけていたらしい。

 

もしも、お菓子をポッケに隠して

「もうないよ」と言ったなら、

恐らくポッケを指差して

"meron pa jan!!!"

めぇろん ぱ じゃーーーん!!! と

追いかけてくるでしょう。

 

メェロン ある

パ まだ

ジャン そこに

 

つまり

 

「めぇろん ぱ じゃーーーーん!!!」は

「まぁだ ある じゃーーーーん!!!」と、

言う意味でございます。

 

もし日本のお店で

「お買い得品はたった今完売しました」

「限定品は終了しました」と言われながらも奥に隠しているのを見つけたら、

「めぇろん ぱ じゃーーーん!!!」と言ってみましょう。

 

もしかしたら(……こいつやべぇぞ、と思われて)ひとつくらい出してくれるかもしれません。

 

【応用編】

では日常でもつかってみましょう。

「あれ? 靴下ない?」

「そこにあるじゃーーーん!!!」

 

 

「あれ? 靴下ない?」

「めぇろん じゃーーーん!!!」

 

はい。復習です。

 

メェロン ある

ジャン そこに

 

つまり

「めぇろん じゃーーーん!!!」は

「そこあるじゃーーーん!!!」です。

 

「あれ? にんじんないよ?」

「めぇろん じゃーーーん!!!」

「ん? 家の鍵が無いな」

「めぇろん じゃーーーん!!!」

「え、スマホどこやったっけ?」

「めぇろん じゃーーーん!!!」

 

喧嘩の原因になりがちな

「あれ? どこやったっけ?」

「そこ、あんじゃん!」も、

フィリピンマジックで愉快な時間に変わることでしょう。

 

【もひとつ、おまけに】

 

では最後に復習です。

 

「もうないよ」

「まぁだ あるよー」

 

も、練習しておきましょう。

 

めぇろん ある

ぱ まだ

 

めぇろん ぱ = まだある

めぇろん ぱぁーーーー

= まだあるでしょう。そんな殺生なー

 

おかわりの茶碗を差し出したとき

「ごはんはもう無いよ」

「めぇろん ぱーーーー」

 

デートの相手がチラチラ時計を見ながら

「ごめんなさい、もう時間がなくて」

「めぇろん ぱーーーー」

 

中華屋さんで

「おまえに食わせるタンメンはもうねぇっ!」

「めぇろん ぱーーーー」

 

 

さぁ、これであなたもめろんぱマスター!

 

 

 

おじいちゃんとおばあちゃんとアンパンと。

「アンパンは入れたもんな」

「うん、アンパンは大丈夫」

 

昨晩の仕事の帰り道。

疲れたなぁーと思い、お惣菜を買いにスーパーへ。

 

「あ、すみません」

 

おじいさんとおばあさんが、

カゴを持ったまま悩んで、

パンコーナーとお惣菜コーナーを通せんぼ。

 

「あとは大丈夫かな。アンパンはもういいしな。」

「そうね、アンパンはいいわよね」

 

やっぱりお惣菜はやめて、自分で何か作ろうかと思い立ち、野菜コーナーに向かう。

もやし、豆腐、卵をカゴに入れて、

最後にまたお惣菜コーナーを抜けてレジに向かう。

 

「よし、いいだろう。アンパンがあるから大丈夫」

「そうね、アンパンはあるから帰りましょう」

 

……あのおじいさんとおばあさん、まだアンパンの話してる。

 

わたしの買い物時間も短かったけど、

それにしたって、アンパン気にしすぎじゃないか。

 

あんかけもやしの材料を袋に詰め、

いつもの道を歩いて帰る。

 

 

もしかして。

 

 

毎朝二人で緑茶でも入れて、ゆっくりアンパンでもかじってるのかな。

 

「あれ、ばあさんや、アンパンがないじゃないか」

「あらあら、じゃああとで買ってきましょうか。今朝は食パンでも焼きましょうね」

 

緑茶をズズズ

 

「やっぱり、朝の緑茶にはアンパンだな」

「そうね、今日は忘れずに買いましょうね」

 

そんな会話でもあったなのかなーと、ぼんやり考えながら帰り道を進んでいく。

 

いいなー

わたしもおばあさんになったら、

「やっぱりアンパンは美味しいね」と言いながら、おじいさんとお茶すすって、のんびりテレビでも観たいなぁ。

 

そう思った時だった。

 

 

 

もうゴールデンウィークか。

 

ってことは。

 

もしかして。

 

 

「わーい、アンパン大好き\(^o^)/」

「そうかそうか、よかったな」

「うん、もうおじいちゃんとおばあちゃんちに住みたいよ!」

「あらあら、じゃあ毎日アンパン用意しとかなきゃ。ふふふ」

 

もしかしたら、連休中にアンパンが好きな孫が、遠くから遊びに来るのかもしれない。

 

そういえば、

わたしもこどもの頃、おじいちゃんとおばあちゃんちに行くと、いつもお菓子が用意されていた。

 

「あれ? 母さん! やすえのお菓子どこいった?」

「やいや、そこさ入れてたしょ」

「見えねーど。ねぇんでねーか?」

「やぁ、そういえば父さんさっきなんか食べてなかった?」

「あ……あれかぁ。よし、やすえ、買い物行くぞ!」

 

近所のスーパーに行って、おやつをごっそり買ってもらって、まるでお姫様にでもなったかのような至れり尽くせりの時間だった。

 

懐かしいなぁ。

 

連休中は、そんなおじいちゃんとおばあちゃんと孫たちの楽しい時間もあるのかもしれない。

 

そう思ったら、なんだか気持ちがふんわりしてきて、疲れも和らいだ気分だ。

 

さて、連休まであとちょっと!

午後もがんばるぞ!

 

ちなみに今日のお昼は、

あんかけもやしのお弁当と、デザートはコンビニで買ったアンパンです。

長澤まさみのようなものに、わたしはなりたい。

「よかったよねぇ、長澤まさみ

「いや、想像以上によかったね」

 

現在絶賛公開中の映画『SING /シング』

わたしは二度も劇場に足を運んだ。

しかも、同じ面子で。

 

なぜなら。

 

字幕も吹替もどっちも観たい!!

 

はじめに吹替版を観たところ、めちゃくちゃいい。

とにかく面白い。

心が震え、劇場内でシャウトしたくなる。

トーリーは抜群に面白い。

何よりも、歌がいい。

最高にいい。

 

だとしたら、

もう一度お金を払って本家の歌も聴いてみたい!

どっちがいいかジャッジしたい!!

 

そう思って字幕版も観に行ったところ、

もうお手上げ状態。

 

なぜなら。

とにかくいい。

字幕版も吹替版もどちらも違って、どちらもいい。

 

「本家のコアラもいいけど、ウッチャンもよかったよね」

「さすがの本家もあのMISIAには勝てないとおもったけど、いや〜甲乙つけがたいね」

「ネズミもどっちもよかったね。マイウェイ歌いたくなっちゃう」

「あのちっちゃいグループは字幕版で謎が解けたね」

「あのおばあさんの秘密は吹替だとわかるね」

 

もう、どっちもいい。

とにかくいい。

 

みんな興奮しすぎて、鑑賞後に立ち寄った居酒屋では料理が一品出てくるたびに

「お〜」

「美味しそ〜」

「食べたーい」

と、大きな声で叫ぶ叫ぶ。

店員さんが

「ありがとうございます! 

当店の一押しでございます」と

笑顔で答えてくれるくらい、みんな上機嫌。

 

まさにシング・ハイ。

お酒要らずです。

 

そしてそんなご機嫌さんなメンバーが、

映画を振り返りながら、ふと、黙る。

 

「だけどさ」

「うん」

「だよね」

「やっぱり」

 

長澤まさみ、よかったよね〜』

 

パンクスターを夢見るヤマアラシの女の子を演じた長澤まさみ

よかった。

うん、ほんとよかった。

 

あのちょっと眠そうで甘いハスキーな声。

だけど爽やかで明るさもある。

純粋なのにちょっとアンニュイなかんじもあって。

 

「いいよね〜」

「うん、なんかいいよね」

 

女優には色々な代名詞がつく。

「憧れの顔」「彼女にしたい人No.1」

「小悪魔モテ美女」などなど。

 

だけど長澤まさみを形容するのは難しい。

たしかにカワイイけど、キレイだけど、それだけじゃない。

セクシーや色っぽさだけでもない。

太陽みたいに明るいこともあれば、月のように影が見えることもある。

 

一言で形容できないから、

「なんかいいよね」が、しっくりくる。

 

笑い方も、モノマネが注目されてからも

わざと変えたりせずにそのまんま。

飾らないのにかっこよくて、

自然体なのに美しくて、

清潔感があるのに、色っぽくて。

 

「よかったよね、長澤まさみ

「うん、なんかいいよね」

 

観た人の記憶にじんわりと残る。

「あぁ、今回もよかった」

「このテイストもいいんだ」

そのじんわりがどんどん広がり、熱が高まっていく。

「あれも観てみたいなぁ」

「これもやってほしいなぁ」と

主役以外にも名作からどんどん声がかかる。

 

いいなぁ、長澤まさみ

女性としても、書き手としても、

そんな風にじんわりじわじわと、

誰かの記憶に残れたらいいな。

 

今度はこれを書いてほしい。

こっちにも来てほしい。

オーダーをかけたくなる存在になれたらいいな。

 

そして「なんかいいよね」と

みんなにじんわり記憶を残す。

キャスティングを考えたときに

「あの人ほしいよね」と頭に浮かべてもらえる。

 

倉本聰に呼ばれれば涙を流し、

ウッチャンに呼ばれればコメディの期待にも答え、

番宣のバラエティでは無邪気にはしゃぐ。

 

ジブリでは清純で爽やかなヒロインを貫き、

君の名は。』では艶っぽい先輩に化け、

『SING /シング』ではヤマアラシの女の子。

芯が強くて、いじらしくって、かわいくって、愛おしい。

 

同年代の女優と比べられても自分のスタイルを貫き、

スキャンダルで叩かれてもものともせず、

ただ世間の期待に応え、その上をいく。

 期待され続け、それに応え続ける。

そんな人がプロと呼ばれ、本物として認められる。

 

そういうものに、わたしもなりたい。

そんな、長澤まさみのようなものに、わたしはなりたい。

 

あぁ。

映画『SING /シング』

もっかい吹替版も観たいなぁ。

桜の木の下で

「知恵つくもんだねぇ」

「ほんと物凄い速さで知恵つくもんだねぇ」

 

桜の木の下ではしゃぐ3〜4歳児を眺めながら

おばあちゃんふたりが呟いている。

一体、あの子達は何をしたんだろうか。

「成長したわね」は褒め言葉だけど、

「知恵つくもんだね」は、純粋な褒め言葉ではないような。

ーーあいつら、やりやがったな。

そんな、本音が滲んでいる気がする。

おばあちゃん達にとっては、

本来可愛くて仕方がないはずのちびっ子達。

無邪気にはしゃぎながら、あの子達はなにをしていたんだろうか。

 

「日本でいう結婚相談所みたいなもんらしいよ」

「あ、そう。じゃあちゃんとしたやつなの?」

別の60代くらいの女性ふたりが、

自転車を押しながら桜の木の下を歩いている。

「じゃあ、いかがわしいやつじゃないのね?」

「え?」

「いかがわしいやつじゃないのね?」

「え、いや、そうだと思うけど」

 

なんの会話だろう。

めっちゃ気になる。

でもふたりはゆっくりゆっくり歩いている。

後ろをずっとついてたら、不審者と間違われてしまう。

 後ろ髪をひかれながらふたりを追い越していく。

 

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小雨混じりの満開の桜の木の下。

みんな全然桜と関係ない話ばっかりしてるなー。

 

そう思って、ふと考える。

ん?

そもそも、桜に似つかわしい、それっぽい会話ってなんだろう?

 

「桜、きれいだね」

「そうだね」

 

……あ、終わっちゃうね。

 

「あっちも咲いてるね」

「きれいだね」

 

……うん、終わっちゃうなぁ。

 

桜にまつわる話題なんて、二言三言で終わっちゃって、

四言目辺りからはもう、

会社の給湯室とか居酒屋とか井戸端とか、

そんなところと変わりない話題になるのかもしれない。

 

「外国人はね、お花見の文化に感動するらしいんだ」

今度は50代くらいの穏やかな夫婦が歩いてきた。

「お花を見ながら仲間達と楽しむってのが、

そもそも外国には無いらしいんだよ。

だから、感動するらしいんだ」

「へー、そうなんだ。

やっぱりいいもんだよね、お花見」

微笑み合いながら歩いていくふたり。

 

「ぼくは きのう アルバイトを くびになりました」

少し先にいる韓国人風の男性とヨーロッパ風の男性の会話が聞こえてきた。

「だから らいしゅう めんせつを うけます」

「それは たいへんですね」

ふたりは、小雨降る灰色の空を背景に、

桜の花を大きなカメラで撮影している。

彼らも今この瞬間、お花見の文化に感動しているだろうか。

アルバイトやいろんな場面で出合った嫌なことを全部水に流して、それでも日本の文化が好きだと思ってくれているだろうか。

 

「あ〜、よごれちゃったー!」

困ったような声を出しながら、小さな女の子が長靴で水たまりの中をジャンプしてる。

「あーあ、汚れちゃったじゃなくて、自分で汚したんでしょ?」

「えへへ〜」

楽しいだろうなぁ。

カッパ着て、長靴履いて。

普通の靴の日は絶対許されないのに、長靴の日だけは許される水たまりでのジャンプ。

 

「雨が降ってよかった」

ちょうど桜が満開の週末。

あいにくの天気だったけど、

あの子だけは雨を喜んでいたかもしれない。

 

「さぁ、明日からまたがんばりますか」

桜の花を眺めながら、飲んで食べて愚痴って笑って、元気を充電して日常に戻っていく。

 

娘達に預けられたヤンチャな孫も、

帰ってしまえばまた会いたくなる。

 

いくつになってもこどもはこども。

一人前の社会人になってくれたものの、

いつになったら結婚してくれるのか、

悩みは尽きない。

 

夢に見た外国での生活も、

住んでしまえば厳しい現実が待っている。

 

それでも。

「よし、またがんばるか」

そう思わせてくれる不思議な力が、桜にはある。

 

 花びらがすべて落ちるまで。

力強い緑の葉が生い茂り、

「また来年」と思わせてくれるその時まで、

桜は今日も誰かの笑顔を支えている。

 

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