本日はNew Year's Eve

30代OLが「書き手」になる夢を叶えるドキュメンタリー

灰色の世界に必要なのは

「……ざけんな、ばぁーろー」

 

春だなぁ。

缶チューハイを片手におじさん達が公園に吸い込まれていく。

 

冬の間、このおじさん達はどこに潜んでいたんだろうか。

春一番を合図にどこからともなく現れ、

見るもの全てに文句をつけながら、ふらふらとどこかへ消えていく。

 

休日の公園は、恋人達や家族連れで賑わっている。

 

ように見える。

 

でも、よくよく見渡してみると、

片手に缶チューハイはあちこちで見られるし、

池とスマホの画面とを

ただ交互に眺め続けている人も少なくない。

それに、池の水はよどんでいるし、なんだか臭う。

 

「何が都会のオアシスだ」

 

部屋の中にいたら日差しが暖かそうだったから外に出てきたのに、段々と視界が霞んでくる。

 

家に帰ったらあれをしなきゃ。

うわ、あの仕事まだ終わってなかったんだ。

週明けには、あれも片付けなくちゃ。

 

緑に囲まれているというのに、

段々と見える景色は灰色に変わってくる。

 

いつからだろうか、こんな風に変わってしまったのは。

いつまでだろうか、こんな生活が続くのは。

 

気付けば、見たくないものばかりを探し、

聞きたくないことばかりに耳をそばだてるようになる。

 

日常がつまらないのは仕方がない。

夢を叶えるには辛い日々を乗り越えなければいけない。

 

本当にそうだろうか。

 

白いワイシャツのボタンを上まで閉めて、

なんの個性もない黒のパンツを履き、

髪は邪魔にならないように後ろに束ねる。

 

「つまらないなぁ」

そりゃそうだ。

そんなつまらない格好をしていたら、

何をしててもつまらない。

 

ロイヤルブルーのスカートに着替えて、

真っ赤なトートバッグを肩から下げれば、

物語は動き出す。

 

お気に入りのリップを塗って、

チークで頬をふんわり彩れば、

それだけでなんだか口角が上がってくる。

 

気分が落ちていると、鮮やかな色を身につけることに、気がひけてくる。

鼻歌を歌ってはいけない気分になる。

 

色を消して、地味な暗い色に包まれることで、

前に進むことを拒もうとする。

 

でも、誰にそうしろと言われたわけじゃない。

 

灰色な世界を作り出し、

留まり続けているのは、

全部、自分自身だ。

 

そんな状態で、ふらふらと「自分」を探しに行ったって、見つかるわけがない。

 

好きな色を身につけ、

お気に入りの歌を口ずさめば、

見える景色はどんどん変わっていく。

 

一度や二度、似合わない色を身につけて恥ずかしい思いをしたからって、鮮やかな色が似合わないとは限らない。

いろんな色を試してみるからこそ、

好きな色、似合う色が見つかってくる。

 

「本当に」似合う色も、存在しない。

 

「違うかもしれない」という不安が、色を霞ませる。

その時その時で、今の自分が選ぶ色を信じたらいい。

年を重ねれば、似合う色も変わってくる。

同じ色に固執する必要だってないんだ。

 

見たことのない色には自然と心惹かれる。

自分には無理と諦める必要もないし、

似合わないのに無理して手を出す必要もない。

 

ただ、その色を見つめた時、思い出した時、

どんなメロディが聞こえてくるか。

耳をすませばわかるはずだ。

ウキウキするような曲なのか、

悲しく切ない旋律なのか。

正しいとか間違っているなんて、誰にも決められない。

メロディが聞こえれば、自然と心は反応する。

ただ素直になるだけだ。

 

大好きな色を身に纏い、

心弾む歌を口ずさんでいれば、

世界はダイナミックに動き出す。

 

たとえ暗闇に包まれても、

自分の色があれば、

決して闇に溶けて消えてしまうことはない。

 

世界が灰色に変わってきたら、

心弾むような色を身の回りに集め、

胸が踊る音楽を流しておく。

 

世界を変えるのは、

自分でしかない。

 

ある時、意を決して友人に聞いてみた。

「見えないって、どんな感覚なの?

ずっと、暗いの?」

彼はやさしく微笑んだ。

「暗くはないよ。

見えないけど、わかるから。

空は青いって、知ってるよ」

 

手話もわからないのに、聞いてみた。

「どうしてダンスができるの?

なんでわかるの?」

力強く動く手が教えてくれた。

「聞こえないけど、動きは見えるよ。

それに、ズンズン響くのは伝わるよ」

 

世界には色と音が溢れている。

 

例え見えなくても、聞こえなくても、

感じる時、伝わる時があるという。

 

だったら。

自ら見えないふり聞こえないふりをすることに、なんの意味があるのだろうか。

 

辛いことがある度に、

灰色の布をかぶって隠れ続けてきた。

 

そうすれば、誰かがきっと見つけてくれるから。

「大丈夫?」って、あったかい手を伸ばしてくれるから。

 

でも、そこには色も音もない。

そんな世界、つまらない。

 

前に進むには、

色も音も自分で選ぶしかない。

それはきっと楽しいはずだ。

いつでも好きな色と音楽に囲まれれば

自然と力が湧いてくる。

 

それでも自分だけではどうしようもないこともある。

そんな時のために、映画や音楽や物語がある。

 

色が伝わるように、

音が感じられるように、

思いを込めて創られる。

 

たったひとりに届けるために。

全てを注ぎ、創られる。

 

そんな誰かの強い思いに触れた瞬間、

鮮やかな景色が見えた時、

熱い音楽が奏でられた時、

きっと、心が動き出す。

 

映画『ラ・ラ・ランド』

 

人は、どんな瞬間も美しい。

人生は、どんなに切なくとも愛おしい。

 

この映画から色と音楽を消してしまったら、

なんともつまらない作品になるだろう。

 

自分のいる世界も同じだ。

色も音も自ら奪ってはつまらない。

 

もうすぐ暖かい春がやってくる。

探せば探すほど、

心弾む色が目に映る季節がやってくる。

電車の中だって、誰かに見られたって、そんなの脱がしちゃいなよ。

ある時から疑問を抱くようになった。

「どうして隠さなきゃいけないんだろう」

 

人に見られるから? 

恥ずかしいから? 

 

……何がだろう。

何を隠そうとしていたんだろう。

 

そう思い、覆い被せていたものを脱がせてみた。

あぁ、スッキリ。

わたしはこっちのほうが好きだ。

恥ずかしいことなんかあるもんか。

隠しているから恥ずかしくなるんだ。

 

電車の中でも、人前でも構わない。

誰にも迷惑なんてかけやしない。

わざわざダサくする必要なんてない。

無理に着飾る必要もない。

 

そのまんまが一番かっこいい。

そのまんまが一番好きだ。

 

やめた、やめた!

ある時から、

わたしは本をカバーで隠すことをやめた。

 

 

「カバーおかけしますか?」

本屋さんのレジで必ず聞かれるそのことば。

前は必ず「お願いします」と答えていた。

 

だって自分が何の本を読んでるか、人に見られたら恥ずかしい。

 

でもあるときふと疑問に思った。

 

「何が恥ずかしいんだろう」

 

表紙を見られるのが恥ずかしい?

 

たくさんの大人達が色んなアイディアを出し合って作った表紙なのに、

それを見せることが恥ずかしいだなんて。

 そんなわけがない。

むしろ「かっこいいでしょ?」と自慢したらいい。

 

タイトルが恥ずかしい? 

 

タイトルだって同じだ。

 

どうすれば手にとってもらえるか、

興味を持ってもらえるか、

考えに考え抜いたタイトルは、

どこに出したって恥ずかしくないはずだ。

 

それに本屋さんに行くと、タイトルを眺めているだけで、色んなヒントが浮かんでくる。

だとしたら、本屋さん以外でも、タイトルをあちこちで見る事ができたら、むしろ有難いんじゃないだろうか。

 

だけど。

うわ〜、あの人あんな本読んでる!
そう思われる事が、恥ずかしいように思っていた。

 

なーんで、そんなこと思ってたんだろう。

 

第一、もし本当に見られるのが恥ずかしいような本を読んでいるのなら、カバーをかけて隠したって、背後の人には丸見えじゃないか。

 

わざわざベージュのザラ紙にくるんで

「それは本です」

くらいにしかわからない見た目にされて。

 せっかくカッコよく作ってもらったのに、

「恥ずかしいからこれ着てなさい!」ってみーんなおんなし格好にさせられて。

本からしたら、そっちのほうが恥ずかしいかもしれない。

 

事実、

他人が読んでいる本は、気になる。

 

女子高生が夢中になってる小説は、何の話だろうか。

いかにも仕事ができそうなキャリアウーマンが眉間にしわ寄せて読んでいるその本には、何が書かれているんだろう。

ページを捲る仕草の美しい彼は、何に惹かれてその本を選んだのだろうか。

 

本屋さんに平積みされている一冊より、

目の前の人が読むその本に、

グイッと興味はそそられる。

 

だからこそ、

隠していたらもったいない!

 せっかくの面白い本は、もっとみんなに見せたらいい。

 

電車の中で、街の中で。

 

カバーなんて脱がしちゃえばいい。

 

そしたら、もっともっと本を読みたい人が増えるかもしれない。

気になる本に出会える可能性も高まるかもしれない。

 

本を介した出会いと縁が、

声を出さずにどんどん広がっていく。

 

そんな風景が日常になると思うと、なんだかワクワクしてくる。

 

偶然隣にいた人が同じ本を読んでたら。

 

「あ、一緒ですね」

 

照れながら微笑み合い、物語が始まるかもしれない。

 

そんなことを想像しながら、今朝は新たに小説を読み始めた。

まだ最初の30ページくらいなのに。

気付けば景色が滲んでいる。

 

油断していた。

書き出しでこんなに感情が込み上がってくるなんて。

 

涙が溢れないように、本から目を離し、少し上を見上げた。

 

するとなんとなく、視線を感じる。

あ。こんにちは。

 

目の前に座っていた同世代くらいのお姉さんが、わたしの表情と本の表紙とを見比べている。

 

「めっちゃ面白いですよ。

まだ30ページですけど」

 

無言でメッセージを送る。

 

良い本は、内容から得るだけではなく、

読んでるそばから物語が始まり出すんだ。

これはまた新しい発見だ!

いつか同じ本を読んでいるお姉さんと、電車の中で再会できたらおもしろいなー。

 

そんなことをニヤニヤ想像しながら、

わたしは明日もカバーをかけずに本を読む。

 

 

 本日は、お日柄もよく (徳間文庫)

 

本日は、お日柄もよく (徳間文庫)

 

 

 

誰か正直に教えてください。わたしは変なおじさんに見えるのでしょうか。

「は?! まただ……」

 

いつからだろうか。

大したことはないけれど答えが見つからず悩み続けていることがある。

悩みなんて言ったら笑われるかもしれないが、

本人はけっこう真剣に悩んでいる。

 

普通の人なら難なくできるソレが、

わたしは自然とできないのだ。

 

スーッと行って、スッで終わるはずなのに、

スーッと行って、……

あれ? どした? スッが来ない。

 

シーンってなんだ。

なんで、だめなんだ。

なんで、できないんだ。

 

わからない、答えがまったくわからない。

一つだけ考え得るのはそう。

 

もしかしたら、

わたしが変なおじさんに見えているのではないか、ということだ。

 

わたしの実年齢は32歳、女性。

見た目はそれより低く見られることが多く、

長い付き合いの友人に久しぶりに会うと、

「変わらないね(笑)」と、

必ず「かっこわらい」付きでしみじみと言われる。

 

仕事では、社会人になってそろそろ10年経つと言うのに、

「若いのにしっかりしているね」と言われることが多い。

「いえ、もう32ですから」と答えると、

確実に疑いの目を向けられる。

なんなら、

……騙したな、くらいの目で見てくる人もいる。

 

 

 

他人の目に自分がどう映っているのか、イマイチわからない。

ただどうやら、年齢より若く見られるらしい。

 

そう思っていた。

 

 

でもやっぱりあの場面になると、

どうもまたあの疑問がわいてくる。

 

わたしは、変なおじさんに見えているのではないだろうか。

 

今日もそんな場面があった。

仕事で展示会に行き、休憩中に「他のブースも見ておいで」と声をかけられ、

会場内をウロウロしていた時のことだった。

 

美味しいにおいに誘われて歩いていくと、

餃子や生ハムやうどんなどの試食が配られていた。

 

うーん、でもお腹いっぱいだしなと思っていると……

 

ハッ! 

 

アイスクリーム!!!

アイスクリームの試食が配られている!!!!!

欲しい! 食べたい!! アイスクリーム!!!!! 

 

ウキウキしながら鼻歌交じりで列の後ろに並ぶ。

 

小さなコーンにちょっこり乗ったアイスクリーム。

前の人たちが、スーッと近付きスッと受け取り去っていく。

ちょっと先で立ち止まり、嬉しそうにアイスを食べている。

 

スーッ、スッ。

スーッ、スッ。

 

どんどん近づいてくる。

 

スーッ、スッ。

スーッ、スッ。

 

スーッ ……

 

ん? 

 

……

 

はっ! まただ! 

なんで、なんで?! 

 

なんでよりによって、アイスクリームで!!!

 

わたしの悩みはそう。

なぜか試食をもらえないことだ。

 

さっきまでの、スーッと行って、スッと受け取る、

その自然な流れが突然止まってしまう。

 

物が無くなったり、前のお客さんが話を始めたり、

店員さんがあっちを向き始めたり。

 

なんでだ、なんでだ。

なんでわたしは自然に試食をもらうことができないんだ?? 

 

何がおかしいんだ? 何がいけないんだ? 

「買わないけどタダならください」感が出すぎてるのか? 

もしくは「別にほしくないけど」オーラを

出してると思われているのか? 

 

はたまた。

やっぱり。

やっぱり、それしかないよね。

 

わたしは、変なおじさんに見えているのだろうか。

 

みんなが自然に受け取るものをもらえないって、

志村けんの変なおじさんか、ミスタービーンくらいじゃないか。

どっちにしたって変なおじさんだ。

 

みんながスーッと行って、スッともらうから

自分もスーッと行ったのに、……シーン

 

おかしいなと首をかしげ、

キョロキョロしたり、

身震いしたり、

店員のお姉さんをこちょがしてみたり、

思いっきりクシャミをしてみたり。

 

あらゆる策を講じるのにもらえない。

 

それで、

あそこならもらえそう! と、

別の列に並ぶと、銀のタライが降ってきたり、鉄の棒にぶつかったりするオチじゃないか。

 

変なおじさんじゃないのになぁ。

あー、食べたかったな、あの北海道産ミルクのアイス。

そもそも機械を売ってるから、あのアイス自体は売ってなくて試食じゃなきゃ食べられないのに。

 

なんで、なんでわたしはもらえないのかなー。

うーむ、わからない。

自分じゃ自分が見えないからわからない。

 

誰か、正直に教えてほしい。

わたしは変なおじさんに見えているんだろうか。

 

そんなことを考えていた帰り道。

渋谷駅の埼京線に向かう動く歩道で、

反対側から若い女性が歩いてきた。

 

帰宅ラッシュの渋谷駅。

歩きながら

まん丸の今川焼にかじりつく、

ポッチャリしたピンクのコートの女性。

 

なんか気持ちいいくらいにしあわせそうで、

嬉しそうで。

もしもわたしのポッケに今川焼が入ってたら

あげたくなっちゃうくらい。

 

人混みに紛れたあのホクホクの笑顔を見ていたら、

試食がもらえるもらえないなんて、

なんだかどうでもよくなってきた。

 

何をわたしは、ああでもないこうでもないと考えていたんだ。

自分を変なおじさんにはめこんで、一体なんの答えがほしかったというのだ。

 期待する反応が起きないからって、アタフタして一人考え込んで。

何をしたかったんだろうか。

 

最寄駅に着く頃には、もう変なおじさんの陰は、わたしの頭の中からすっかり消えていた。

改札を抜けて、まっすぐにコンビニへと向かう。

 

ふふふ。なんのアイスを買って帰ろうかな。

ふと見上げたガラスの窓には、今川焼の彼女のように、にんまり笑うわたしが映っていた。

ランナーになりたければ走る。ライターになりたければ書く。そんなシンプルなことがようやくストンと落ちた本屋での出来事。

「夢を叶えるには、夢が叶ったつもりで行動すると良い」

この一年、いろんな人の本を読んだり、話を聞いたりする中で、

よく目に耳にした言葉だ。

 

うーむ。

言っていることは、わかる。

でも、一体どうしたらいいのかわからない。

 

そんな日々が続いていた。

 

だけど先日仕事帰りに立ち寄った本屋さんで、

「あ」

自分の中で、何かが「ストン」と落ちる感覚があった。

 

 

きっかけは、ささいなことだ。

「そう言えばあの面白いブログの人、本を出したって書いてたな。見てみよう」

 

そう思い、本屋さんに入り、検索機にその人の名前を入力し、

最近出版されたという書籍を探した。

 

「あ、これこれ」

パラパラとめくる手が、ふと止まる。

 

ん? 

これって……

 

何気なく目線をずらして見ると、その先には見覚えのある名前。

「あぁ、確かあの人の知り合いだったかな」

 

ん? 

 

「あれ? この人は、あの人の知り合いだな」

 

むむ? 

 

「これって……」

 

ブログやSNSでよく見かける人達の、

よく目にしている言葉が、本になっている。

 

……あぁ、本ってこうやって作るんだ。

 

読んだことのあるフレーズが章の見出しになっていたり、

ブログに書かれていることが、少し違った切り口で描かれていたり。

 

そうかぁ。そうなんだぁ! 

気付けばひとり、本屋で大きく頷いていた。

 

本って、こうやって本になるんだ!

 

本を書く、本を作るということは、

何だか壮大な果てしない挑戦のように感じていた。

 

運動不足で腰痛持ちのわたしが

突然「エベレストに登ります!」と言い出すくらい、

途方もなく無謀な話のように感じていた。

 

でも。

それを仕事にしている人達にとっては、それが日常。

端から見ていると奇跡のような出来事も、

その人達にとっては起こって当たり前、やって当たり前なことなのだ。

 

もちろん勉強も経験も必要だとしても、

超人だけが成し遂げられる偉業ではない。

そこにたどり着くための方法や道は必ずある。

中でも、視点を変えてみるということは、

色んな人が言う通り、近道になるのかもしれない。

 

「夢が叶ったつもりで行動すること」

つまりそれが「当たり前」の状況に身を置くことだ。

 

書くことを学ぶようになってから、

本気でプロのライターや小説家を目指す人と知り合うようになった。

もちろん、中には既にプロの人もいるし、プロの人の友達はプロだ。

 

すると、自然とSNSには知り合いの知り合いの

プロの物書きの人たちの投稿が表示されるようになっていた。

気付かぬうちに、著者や編集者の人達、

本を作ったり、書くことで食べている人達の声に日常的に触れる環境になっていた。

 

その結果、本屋に行くと、

いつも目にする名前の人の本が並んでいるし、

あ、あの人が作っていた本、こんな風に並べられてる! とか、

おー、あの本かなり売れてる! とか、

そんな目線を持つようになっていた。

 

もちろん直接の知り合いではないし、

生意気な勘違いな見方をしているかもしれない。

だけど、もしもわたしがプロのライターになったとしたら、

もしもその業界にいることが当たり前の毎日になったとしたら、

もしかしたらそんな風に本を見るようになるのかもしれない。

 

「そうか、あのブログの記事を本にするなら、ここをメインにするんだ」

「あー、やっぱりあのフレーズはインパクトがあるからそのまま本にできるんだな」

 

だったら、自分はどうしたらいいんだろうか。

どんな風に書いたらいいのか。

どうすれば、本を書けるのか。

どうしたら読まれる文を書けるのか。

書いて食べていけるようになるのか。

 

本を出している人達の、日常の投稿と出版された書籍とを見比べることで、

「本を書く」「本になる」ということが、

ぐんと近づいて見えたような気がした。

 

あ、そっか。

 

日常的に発している言葉、

書き連ねた文章、

それが、本になる。

 

本は魔法みたいにある日突然現れるものではない。

 書いてたものが本になるのだ。

 

当たり前のようで見えていなかったことが、

「ストン」と自分の中に落ちた。

 

ランナーになりたければ、走る。

ライターになりたければ、書く。

 

やっぱり、それでしかないんだ。

シンプルなことを信じてやり続けるしかない。

 

何度も聞いてることだけど、

ぐるぐると回っては、

「あぁ、やっぱりそうだ」と納得する。

 

書くしかない。

叶えたいことを、やり続ける。

 それだけだ。

 

続けていくことで、そこに道が出来ていく。

石橋も近道も、目の前に突然現れるのではなく、

自分で作っていくんだ。

 

約1ヶ月、書けない期間があった。

最初は体調を崩し辛いから書けなかった。

でも、途中からは、書けないことが辛くなっていった。

当たり前のことが、出来なくなっていくことが、悔しかった。

 

でも、自分と約束した。

 

必ず、元のいた場所に戻るから。

だから、今は休もう。

 

正直、怖かったし、不安ばかりだった。

休めば休むほど、書く力は落ちていく。

もう、一緒に学んでいた人達と、

並んで学べなくなるかもしれない。

 

「大丈夫、必ず戻るから」

 

浮かんでくる言葉をかき消すように、自分に約束をした。

 

必ず、元いた場所に戻ってまたスタートラインに立つ。

ゼロからのスタートでも、なんでもやる。

 

そんな自分を信じることができたのは、

一年に満たなくとも書き続けた時間があったからだ。

書くことで出会えた仲間がいたからだ。

 

昨日は久しぶりに、

書くことが好きで仕方がない人達の場に行くことができた。

嬉しくて、楽しくて仕方がなくて、

少し前の日常がこんなにもしあわせで有難い日々だったということを、痛感した。

 

誰かの当たり前は、決してすべての人の当たり前ではない。

でも、なりたい誰かの当たり前の日常を想像しながらそこに身を置くことができたら、

夢はぐんと近づいて来る。

 

最初は想像でも妄想でもいい。

信じて続けていけば、必ず夢が日常になる日はやってくる。

 

さぁ、もう休んじゃいられない。

今日からまた書く日々を始めます。

書くことが当たり前の毎日を、作っていきます。

「願いを叶える」には、税抜3,000円以上のお買い物をして、LINEでお友達登録するといいらしい。

あ、これ。

もしかして。

引き寄せの法則って、やつじゃん。

 

願って忘れると、手に入る。

 

マジだ。

 

 

 

引き寄せの法則が話題になって、もう何年が経つだろう。

「願うだけで叶うんだって!」

「宝くじ当てたい!」

「結婚したい!」

「世界一周したい!」

 

……

 

 

「え〜、無理じゃ〜ん!

全然叶わないよ〜」

 

 

こんな会話も、そんな思考も、

もう何度と繰り返したかわからない。

 

引き寄せの法則は、決して杖を振って出てくる魔法ではない。

 

「叶え!」と言っただけで、叶うわけじゃない。

嫌いな奴の目の前で「バルス!」と叫んだって、実際には何も変わらないのと一緒だ。

 

引き寄せの法則」は、

今ではアレンジが加えられたり、

強調されたり否定されたり、

色々な形が広まっている。

 

その中から、あくまでもわたしが見聞きして覚えている情報を簡単に言うと、

 

1 叶った状態を強くイメージし、

2 忘れる

 

と、その叶った状態を引き寄せ、現実になるらしい。

 

うそーん。

そんな簡単に? 

 

実際、大きい願いが叶うには時間がかかるから、

例えば食べ物とか、小さなもので練習していくといいらしい。

 

そして今日。

まさにそんなことを体験した。

「引き寄せ」が、目の前で起こったのだ。

 

 

上司から電話が入り、忘れた書類を誰かが届かなければならないことになった。

だけど、上司と落ち合うには退社時刻から数時間後。

 

誰もが目を伏せた。

 

「次の行先に預けて来てもいいなら、私行きますけど」

「おー、それはいいね。そうしよう」

 

定期券内の私がその資料を持って行き、預けてくることになった。

 

定期券内とは言え、少し回り道だ。

ただ書類を届けるだけなら、

「寒いなー、めんどくさいなー」と思ってしまう。

 

「来てよかった」に塗り替えるために、美味しいものを食べるか、買い物をするか、何か楽しいことをしようと思った。

 

目の前にはコスメショップ。

 

「あ、いいね! あれ買おうと思ってたんだ」

 

店内に入ると今話題のコスメがずらりと並んでいる。

近所ではドラッグストアを数軒回らなければ見れないメーカーが、一堂に会している。

 

ーーそうそう、チークももうちょっと発色いいやつ欲しかったんだよね

 

ーーあ、これ毛穴が消えるって話題のやつだ。

ほんと一般人にまで毛穴の無い肌を求めないでよね。どんだけお金かかるんだ

 

ーーえ、塗るだけで強くなるネイル? わぁ、いいな。爪弱いからマニキュアできないけど、これならちょっときれいになりそう! 

 

 

……

 

あれ?

 

 

……

 

なんだっけ?

 

わたし、何欲しかったんだっけ? 

 

 

えっとー、乾燥するからしっとりするやつだよね?

見た目もよくなるんだよね?

あると気持ちよくて、無いと気持ち悪い。

ドラッグストアにもあるけど、ここならいいやつがありそうって思って……

 

だめだ! 全然思い出せない! 

なんだっけなぁ……

 

ん?

あ、まつげ美容液こんなに種類あるんだ! 

眉カラーの色のバリエーションもすごいな。

 

あれ? なんだっけ? 

 

まぁ、いいか。

 

他にも欲しいものありすぎるし。

コスメショップって楽しいなぁ。

こんなのもあるし、こんなのもある!

 

んー、でも全部は買えないから、

これとこれとこれにしよう!

 

 

レジ待ちの列に並んでいると、

「先頭でお待ちのお客様〜」と、

ポッとオレンジ色のチークが可愛い店員さんが一番奥のレジで手を振っている。

 

歩きながらもチラチラ目移りしてしまうほど、欲しい商品がずらりと並んでいる。

 

ピッピッピッ

 

「お客様」

「はい」

「本日税抜3,000円以上お買い物をされたお客様の中で、さらにLINEでお友達登録された方限定で、オーガニック……バーン! をプレゼントしております。

登録されますか?」

 

バーン? 

 

なんだ?

 

まぁオーガニックなら良さそうだし、もらってみようか。

 

「あ、じゃあお願いします」

「ではこちらからご登録ください」

 

QRコードを読み取り、お店とお友達になる。

 

「できました」

「では、こちらを押していただいて。

はい、次はそれです。えぇ。あ、はい。

ありがとうございます。

少々お待ちくださいませ」

 

お姉さんが後ろのカゴをゴソゴソし、戻って来た。

 

「お待たせ致しました。

こちらお買い上げの商品と、

プレゼントのオーガニックリップバームです」

 

 

あ。

 

リップバーム! 

リップクリームか!

 

聞きなれないから、脳内で「バーン!」に変換されちゃったけど、リップバームね!

 

てか、これ。

 

これ! 

 

わたし欲しかったのリップクリームだ!

思い出せなかったのに、もらえちゃったよ!

 

すごい。

奇跡?

ただの偶然か。

 

あ、これ。


もしかして。


引き寄せの法則って、やつじゃん。

 

願って忘れると、手に入る。

 

マジだ。

 

リップクリーム自体は思い出せなかったけど、

それを使ったらどうなるかはハッキリイメージできた。

使えばしっとりして気持ちいいって状態をハッキリと。

でも、それが何かを思い出せないから諦めた。

 

すると。

 

手に入った。

しかも自分じゃ選ばないオーガニックの高そうなやつ! 

 

わお。

 

 

そうか。

わたしは

「書いて食べて行きたい!」

「面白いことしたい!」

「結婚したい!」

「痩せたい!」

「旅行行きたい!」

 「ライブ行きたい!」

……それから、それから

 

と、強く思いすぎていた。

しかも漠然と。

 

叶って嬉しい状態よりも、

叶っていない今の気持ちをただ強調していた。

 

そして、それを考え続けることを止めることもできていない。

 

これじゃあ、願っているのではなく、

ただ不満を言ってるだけのようなものだ。

 

それなのに

「願っても叶わないよー」と、

また叶っていない状況をクリアーに意識する。

 

これじゃあ、だめだったんだ。

 

もっと肩の力を抜いてみよう。

「願う」ことよりも、「近づく」ことにエネルギーを注ごう。

 

「ほしいほしいほしい」と思い続けるより

「税抜3,000円以上のお買い物をしてLINEでお友達登録」をすればいいんだ。

 

投資したり、何か行動をする。

 願いに近づく為に、叶えたい! と騒がず、

淡々とやるべきことをやっていく。

 

そっちにエネルギーを使えばいいんだ。

 

あぁ、なんだかスッキリして力が抜けた。

 

ただの偶然と流すこともできる。

でも、「引き寄せの法則」がある! と思っていれば、長い道も楽しんで続けていけそうだ。

 

「面倒くさいが願いを遠ざける」

これもほんとだ。

面倒くさがらずに書類を届けてよかった。

 

こんなちっちゃなことでも、気付いたりエネルギーに変えたりできるんだ。

 

よし、今日はくちびるも潤っているし、

なんだかぐっすり眠っていい夢が見られそうだぞー! 

 

 

 

 

そんな目で、みないでください。

それは突然のことでした。

 

「わ!」とおどけてみせると、

「何してるの?」と、

彼が真顔で言ったんです。

 

ドキッとしました。

 

彼のことはちょっと前、いやだいぶ前から知ってはいました。

 

でも、特に興味がなくて。

「あ、いるな」すらも思わないくらい。

 

思い出してみれば「いたな」とは思うけど、

ただ、それくらいのことでした。

 

なんででしょう。

何が、変わってしまったんでしょうか。

あんなに一瞬で。

 

心変わりではありません。

もう一人の彼への想いは、何も変わらないのです。

 

では、私の心臓が二つになってしまったのでしょうか。

突然二つに割れて、同時に動き始める。

そんなこと、起こってしまっていいのでしょうか。

本来、私の心臓は一つであるべきなのに。

 

でも、気付けば彼のことを探してしまいます。

ただ、彼のことを。

何を考えているかわからない、まっすぐな視線。

嬉しいのか、悲しいのか。

 

でも、

その動かない表情の下で、

生きている彼は、あたたかいのです。

触れてしまえば、泣けてしまうくらい、

あたたかいのです。

 

知ってるんです。

彼は、ものすごく熱い人なんです。

表に出さないけど、

ひとり肩を震わせて泣くんです。

そんな姿をみてしまったら、

目が離せないじゃないですか。

 

普段はマジメな顔して、

マジメな顔のままふざけたことばかり言います。

もう、それが可笑しくて。

みてるだけで、笑っちゃって。

 

それなのに、突然ハハハって、

目尻を下げて笑うんです。

 

もう、

 

もう、

どうしたらいいんだろう。

 

そんな風にされたら、

もう、彼のことしかみれないじゃないですか。

 

もう一人の彼に会いに行かなきゃいけないのに。

このまま動けないじゃないですか。

 

何その低い声。

何その頭いい発言。

何そのキレイな指先。

 

何、その、全部。

 

 

参った。

 

 

 

あ、すみません。

取り乱しました。

 

 

高良健吾がみたいから、

録画してる『べっぴんさん』を観たいのに、

 

『カルテット』の高橋一生が格好良すぎて、

 

どうしたらいいか、わからない。

 

そんな、長いひとりごとです。

 

高橋一生

前からなんとなく観てた気はするんだけど、

なんとなーくしか覚えていなくて。

『民王』の貝原あたりから気になり始めて。

 

そこにきての『カルテット』でしょ。

 

そりゃぁ、ブームが起きますわ。

 

今回は、

画面を通じて『人間ってとても愛すべき存在なんだ』と伝えてくれるらしいですよ。

そりゃぁ、観る前からたまりませんね。

 

 

それにしても『カルテット』面白いな。

役者陣も、音楽も良い。

みぞみぞしてきました。

 

子猫姉さんとおデブちんへ

「忘れがたいっていうのは、つまり好きってことなんでしょうね」

 

うん。

そうなんでしょうね。

 

ほんとうに。

 

そう思います。

 

わたしにもかつては、いました。

 

いつもぴったり寄り添うパートナー。

忘れ難き存在が。

 

二人。

 

と言えばややこしくなりますか。

 

二匹。

 

そう。

 

気の合う猫が、過去に二匹おりました。

 

アメリカ留学中、ホームステイ先で出会ったミス・キティ。

「子猫姉さん」ってところでしょうか。

 

当時まだ16歳のわたしは、完全なる犬派で、

むしろ猫は怖いと思っていました。

 

でも一年間の留学が終わった時、

そこで出会った誰よりも離れ難かったのは、

子猫姉さんでした。

 

夢だったアメリカでの留学生活は、

なかなか厳しいことも多く、

「夢が叶った( ˆoˆ )/」と浮かれる余裕もありません。

 

今よりさらに未熟者のわたしは、

生まれて初めて経験する

「自分だけが違う」

に、戸惑うばかりでした。

 

家族と一緒にいても、自分だけが馴染めない。

学校へ行っても「英語が話せない日本人」と笑われる。

 

目立ちたいとか、特別な存在になりたいとか、そんなことは願ってない。

ただ、そこにいたい。

そこにいてもいい人になりたいのに、

いつまで経ってもピョコッと浮いてしまい、

異質な存在になってしまう。

 

英語を覚えることよりも、

周囲に溶け込むことのほうが、

ずっと難しく、答えは見えそうになかった。

 

そんな時、いつも変わらず淡々とわたしを受け入れてくれたのが、子猫姉さんでした。

 

日本語で愚痴ってると、

「知るか」と、一瞥をくれてプイッとどこかへ行ってしまう。

 

なのに、一人でメソメソ泣いてると、

「やれやれ。言ってみなさい」

とため息まじりに寄ってきて、

ジーンズの裾に真っ白な毛をこすりつける。

「ほら、しあわせの白い毛。

これであんたもしあわせだ!」と、

似合わない冗談を言ってくるから、

なんだか可笑しくなって、涙も止まって笑けてくる。

 

あの一年。

子猫姉さんがいてくれたから、わたしは最後まで終わらせることができた。

 

時々来てくれなくて、一人で眠る淋しい夜。

目を閉じれば、すぐに涙が落ちて来た。

寝てしまえれば楽なのに、うつらうつら夢と現実を行き来する。

そんな時、夜中にひょいっとあったかい重みが乗ってくる。

「あぁ、ここでもひとりじゃない」

そう思うと、安心して眠ることができた。

 

「忘れがたいっていうのは、つまり好きってことなんでしょうね」

 

えぇ。

まったくその通りです、吉本さん。

わたしは、もう十五年を過ぎた今でも、

子猫姉さんを、忘れがたい。

今でも、会いたくなる。

それは、好きってことなんだと、思うんです。

 

 

つい最近までは、もう一匹いたんです。

30歳になる目前で出てきた東京で出会った一匹が。

 

鶏のからあげみたいに、まるまる太った、おデブちん。

 

会社の建物の手前の角を曲がると、

おデブちんはいつもそこで日向ぼっこをしていて。

 

わたしがネズミの声を出しながら近づいて行くと、うーーーっと伸びをして、

のっそのっそと近づいてくる。

 

ちょうど足下にやってくると、

「あれ? ネズミ見ませんでした?

この辺にいたと思うんすけどねぇ」

と言いながら、

重たくノロい動きで足にからんでくる。

 

たまーに女子大生にお菓子をもらっているおデブちん。

ちょうどわたしが裏口から出ると、

彼女の白くて細い手から、おやつを口で受け取る瞬間。

 

「いやぁ、ワシはいらん言うてんねん。

この人が無理に言うからな……

ワシは仕方なーく……あぁ、おいし」

 

と、

 

ウットリとした目をこちらに向けてくる。

 

暑い季節がくると少し痩せて、

寒い季節がくると、でっぷり太るおデブちん。

 

 

どこいったん。

 

 

ある日突然いなくなったおデブちん。

 

会社行きたくないなーって日も、

電車とかもういやだよーって日も、

よし、がんばるぞーって日も。

 

どんな日も、おデブちんがのっそのっそと来てくれてたから、がんばれてた。

 

おデブちん。

どこいったん。

 

姿を見なくなってもう一年は経ったのかな。

 

「忘れがたいっていうのは、つまり好きってことなんでしょうね」

 

そうなんです、吉本さん。

わたしは、おデブちんが、大好きでした。

だからこそ、忘れがたい。

もう、いないことには、したくない。

 

でも、仕方がない。

 

いつもおデブちんが日向ぼっこしてたその場所は、最近喫煙所に変わりました。

 

朝から疲れた顔の人がプハーっと煙を吐き、

わたしはそれを、頭にかぶりながら出勤するのです。

 

特に大きな意味はなく、ただそれだけの日常ですが、時々、なんだかなーと思ったりもします。

 

またいつか、忘れがたい一匹は、

わたしの元にやってきてくれるでしょうか。

 特別な猫さんに、会える日は来るのでしょうか。

 

それまでは。

 

吉本隆明さんのフランシス子が、こころの友です。

 

これと言って特別なところはない。

だけど、自分にとっては大切な存在。

「うつし」のようにぴったり寄り添う猫さん。

 

哲学者・吉本隆明さんが、ゆっくりやわらかく語ることばが、染みてきます。

 

なんだかわからないけど、

吉本さんのことばを読んでいると、

忘れがたい大切な猫さんと一緒にいるときの、

あのやわらかくてあたたかい気持ちになれるんです。

 

気まぐれに。

目的を見据えたらまっすぐに。

ただ、ぴったりと寄り添って。

 

寒い日は、猫さんに会いたくなります。

寒い夜は、猫さんの本が読みたくなります。

 

フランシス子へ (講談社文庫)

フランシス子へ (講談社文庫)