本日はNew Year's Eve

30代OLが「書き手」になる夢を叶えるドキュメンタリー

誰か正直に教えてください。わたしは変なおじさんに見えるのでしょうか。

「は?! まただ……」

 

いつからだろうか。

大したことはないけれど答えが見つからず悩み続けていることがある。

悩みなんて言ったら笑われるかもしれないが、

本人はけっこう真剣に悩んでいる。

 

普通の人なら難なくできるソレが、

わたしは自然とできないのだ。

 

スーッと行って、スッで終わるはずなのに、

スーッと行って、……

あれ? どした? スッが来ない。

 

シーンってなんだ。

なんで、だめなんだ。

なんで、できないんだ。

 

わからない、答えがまったくわからない。

一つだけ考え得るのはそう。

 

もしかしたら、

わたしが変なおじさんに見えているのではないか、ということだ。

 

わたしの実年齢は32歳、女性。

見た目はそれより低く見られることが多く、

長い付き合いの友人に久しぶりに会うと、

「変わらないね(笑)」と、

必ず「かっこわらい」付きでしみじみと言われる。

 

仕事では、社会人になってそろそろ10年経つと言うのに、

「若いのにしっかりしているね」と言われることが多い。

「いえ、もう32ですから」と答えると、

確実に疑いの目を向けられる。

なんなら、

……騙したな、くらいの目で見てくる人もいる。

 

 

 

他人の目に自分がどう映っているのか、イマイチわからない。

ただどうやら、年齢より若く見られるらしい。

 

そう思っていた。

 

 

でもやっぱりあの場面になると、

どうもまたあの疑問がわいてくる。

 

わたしは、変なおじさんに見えているのではないだろうか。

 

今日もそんな場面があった。

仕事で展示会に行き、休憩中に「他のブースも見ておいで」と声をかけられ、

会場内をウロウロしていた時のことだった。

 

美味しいにおいに誘われて歩いていくと、

餃子や生ハムやうどんなどの試食が配られていた。

 

うーん、でもお腹いっぱいだしなと思っていると……

 

ハッ! 

 

アイスクリーム!!!

アイスクリームの試食が配られている!!!!!

欲しい! 食べたい!! アイスクリーム!!!!! 

 

ウキウキしながら鼻歌交じりで列の後ろに並ぶ。

 

小さなコーンにちょっこり乗ったアイスクリーム。

前の人たちが、スーッと近付きスッと受け取り去っていく。

ちょっと先で立ち止まり、嬉しそうにアイスを食べている。

 

スーッ、スッ。

スーッ、スッ。

 

どんどん近づいてくる。

 

スーッ、スッ。

スーッ、スッ。

 

スーッ ……

 

ん? 

 

……

 

はっ! まただ! 

なんで、なんで?! 

 

なんでよりによって、アイスクリームで!!!

 

わたしの悩みはそう。

なぜか試食をもらえないことだ。

 

さっきまでの、スーッと行って、スッと受け取る、

その自然な流れが突然止まってしまう。

 

物が無くなったり、前のお客さんが話を始めたり、

店員さんがあっちを向き始めたり。

 

なんでだ、なんでだ。

なんでわたしは自然に試食をもらうことができないんだ?? 

 

何がおかしいんだ? 何がいけないんだ? 

「買わないけどタダならください」感が出すぎてるのか? 

もしくは「別にほしくないけど」オーラを

出してると思われているのか? 

 

はたまた。

やっぱり。

やっぱり、それしかないよね。

 

わたしは、変なおじさんに見えているのだろうか。

 

みんなが自然に受け取るものをもらえないって、

志村けんの変なおじさんか、ミスタービーンくらいじゃないか。

どっちにしたって変なおじさんだ。

 

みんながスーッと行って、スッともらうから

自分もスーッと行ったのに、……シーン

 

おかしいなと首をかしげ、

キョロキョロしたり、

身震いしたり、

店員のお姉さんをこちょがしてみたり、

思いっきりクシャミをしてみたり。

 

あらゆる策を講じるのにもらえない。

 

それで、

あそこならもらえそう! と、

別の列に並ぶと、銀のタライが降ってきたり、鉄の棒にぶつかったりするオチじゃないか。

 

変なおじさんじゃないのになぁ。

あー、食べたかったな、あの北海道産ミルクのアイス。

そもそも機械を売ってるから、あのアイス自体は売ってなくて試食じゃなきゃ食べられないのに。

 

なんで、なんでわたしはもらえないのかなー。

うーむ、わからない。

自分じゃ自分が見えないからわからない。

 

誰か、正直に教えてほしい。

わたしは変なおじさんに見えているんだろうか。

 

そんなことを考えていた帰り道。

渋谷駅の埼京線に向かう動く歩道で、

反対側から若い女性が歩いてきた。

 

帰宅ラッシュの渋谷駅。

歩きながら

まん丸の今川焼にかじりつく、

ポッチャリしたピンクのコートの女性。

 

なんか気持ちいいくらいにしあわせそうで、

嬉しそうで。

もしもわたしのポッケに今川焼が入ってたら

あげたくなっちゃうくらい。

 

人混みに紛れたあのホクホクの笑顔を見ていたら、

試食がもらえるもらえないなんて、

なんだかどうでもよくなってきた。

 

何をわたしは、ああでもないこうでもないと考えていたんだ。

自分を変なおじさんにはめこんで、一体なんの答えがほしかったというのだ。

 期待する反応が起きないからって、アタフタして一人考え込んで。

何をしたかったんだろうか。

 

最寄駅に着く頃には、もう変なおじさんの陰は、わたしの頭の中からすっかり消えていた。

改札を抜けて、まっすぐにコンビニへと向かう。

 

ふふふ。なんのアイスを買って帰ろうかな。

ふと見上げたガラスの窓には、今川焼の彼女のように、にんまり笑うわたしが映っていた。

ランナーになりたければ走る。ライターになりたければ書く。そんなシンプルなことがようやくストンと落ちた本屋での出来事。

「夢を叶えるには、夢が叶ったつもりで行動すると良い」

この一年、いろんな人の本を読んだり、話を聞いたりする中で、

よく目に耳にした言葉だ。

 

うーむ。

言っていることは、わかる。

でも、一体どうしたらいいのかわからない。

 

そんな日々が続いていた。

 

だけど先日仕事帰りに立ち寄った本屋さんで、

「あ」

自分の中で、何かが「ストン」と落ちる感覚があった。

 

 

きっかけは、ささいなことだ。

「そう言えばあの面白いブログの人、本を出したって書いてたな。見てみよう」

 

そう思い、本屋さんに入り、検索機にその人の名前を入力し、

最近出版されたという書籍を探した。

 

「あ、これこれ」

パラパラとめくる手が、ふと止まる。

 

ん? 

これって……

 

何気なく目線をずらして見ると、その先には見覚えのある名前。

「あぁ、確かあの人の知り合いだったかな」

 

ん? 

 

「あれ? この人は、あの人の知り合いだな」

 

むむ? 

 

「これって……」

 

ブログやSNSでよく見かける人達の、

よく目にしている言葉が、本になっている。

 

……あぁ、本ってこうやって作るんだ。

 

読んだことのあるフレーズが章の見出しになっていたり、

ブログに書かれていることが、少し違った切り口で描かれていたり。

 

そうかぁ。そうなんだぁ! 

気付けばひとり、本屋で大きく頷いていた。

 

本って、こうやって本になるんだ!

 

本を書く、本を作るということは、

何だか壮大な果てしない挑戦のように感じていた。

 

運動不足で腰痛持ちのわたしが

突然「エベレストに登ります!」と言い出すくらい、

途方もなく無謀な話のように感じていた。

 

でも。

それを仕事にしている人達にとっては、それが日常。

端から見ていると奇跡のような出来事も、

その人達にとっては起こって当たり前、やって当たり前なことなのだ。

 

もちろん勉強も経験も必要だとしても、

超人だけが成し遂げられる偉業ではない。

そこにたどり着くための方法や道は必ずある。

中でも、視点を変えてみるということは、

色んな人が言う通り、近道になるのかもしれない。

 

「夢が叶ったつもりで行動すること」

つまりそれが「当たり前」の状況に身を置くことだ。

 

書くことを学ぶようになってから、

本気でプロのライターや小説家を目指す人と知り合うようになった。

もちろん、中には既にプロの人もいるし、プロの人の友達はプロだ。

 

すると、自然とSNSには知り合いの知り合いの

プロの物書きの人たちの投稿が表示されるようになっていた。

気付かぬうちに、著者や編集者の人達、

本を作ったり、書くことで食べている人達の声に日常的に触れる環境になっていた。

 

その結果、本屋に行くと、

いつも目にする名前の人の本が並んでいるし、

あ、あの人が作っていた本、こんな風に並べられてる! とか、

おー、あの本かなり売れてる! とか、

そんな目線を持つようになっていた。

 

もちろん直接の知り合いではないし、

生意気な勘違いな見方をしているかもしれない。

だけど、もしもわたしがプロのライターになったとしたら、

もしもその業界にいることが当たり前の毎日になったとしたら、

もしかしたらそんな風に本を見るようになるのかもしれない。

 

「そうか、あのブログの記事を本にするなら、ここをメインにするんだ」

「あー、やっぱりあのフレーズはインパクトがあるからそのまま本にできるんだな」

 

だったら、自分はどうしたらいいんだろうか。

どんな風に書いたらいいのか。

どうすれば、本を書けるのか。

どうしたら読まれる文を書けるのか。

書いて食べていけるようになるのか。

 

本を出している人達の、日常の投稿と出版された書籍とを見比べることで、

「本を書く」「本になる」ということが、

ぐんと近づいて見えたような気がした。

 

あ、そっか。

 

日常的に発している言葉、

書き連ねた文章、

それが、本になる。

 

本は魔法みたいにある日突然現れるものではない。

 書いてたものが本になるのだ。

 

当たり前のようで見えていなかったことが、

「ストン」と自分の中に落ちた。

 

ランナーになりたければ、走る。

ライターになりたければ、書く。

 

やっぱり、それでしかないんだ。

シンプルなことを信じてやり続けるしかない。

 

何度も聞いてることだけど、

ぐるぐると回っては、

「あぁ、やっぱりそうだ」と納得する。

 

書くしかない。

叶えたいことを、やり続ける。

 それだけだ。

 

続けていくことで、そこに道が出来ていく。

石橋も近道も、目の前に突然現れるのではなく、

自分で作っていくんだ。

 

約1ヶ月、書けない期間があった。

最初は体調を崩し辛いから書けなかった。

でも、途中からは、書けないことが辛くなっていった。

当たり前のことが、出来なくなっていくことが、悔しかった。

 

でも、自分と約束した。

 

必ず、元のいた場所に戻るから。

だから、今は休もう。

 

正直、怖かったし、不安ばかりだった。

休めば休むほど、書く力は落ちていく。

もう、一緒に学んでいた人達と、

並んで学べなくなるかもしれない。

 

「大丈夫、必ず戻るから」

 

浮かんでくる言葉をかき消すように、自分に約束をした。

 

必ず、元いた場所に戻ってまたスタートラインに立つ。

ゼロからのスタートでも、なんでもやる。

 

そんな自分を信じることができたのは、

一年に満たなくとも書き続けた時間があったからだ。

書くことで出会えた仲間がいたからだ。

 

昨日は久しぶりに、

書くことが好きで仕方がない人達の場に行くことができた。

嬉しくて、楽しくて仕方がなくて、

少し前の日常がこんなにもしあわせで有難い日々だったということを、痛感した。

 

誰かの当たり前は、決してすべての人の当たり前ではない。

でも、なりたい誰かの当たり前の日常を想像しながらそこに身を置くことができたら、

夢はぐんと近づいて来る。

 

最初は想像でも妄想でもいい。

信じて続けていけば、必ず夢が日常になる日はやってくる。

 

さぁ、もう休んじゃいられない。

今日からまた書く日々を始めます。

書くことが当たり前の毎日を、作っていきます。

「願いを叶える」には、税抜3,000円以上のお買い物をして、LINEでお友達登録するといいらしい。

あ、これ。

もしかして。

引き寄せの法則って、やつじゃん。

 

願って忘れると、手に入る。

 

マジだ。

 

 

 

引き寄せの法則が話題になって、もう何年が経つだろう。

「願うだけで叶うんだって!」

「宝くじ当てたい!」

「結婚したい!」

「世界一周したい!」

 

……

 

 

「え〜、無理じゃ〜ん!

全然叶わないよ〜」

 

 

こんな会話も、そんな思考も、

もう何度と繰り返したかわからない。

 

引き寄せの法則は、決して杖を振って出てくる魔法ではない。

 

「叶え!」と言っただけで、叶うわけじゃない。

嫌いな奴の目の前で「バルス!」と叫んだって、実際には何も変わらないのと一緒だ。

 

引き寄せの法則」は、

今ではアレンジが加えられたり、

強調されたり否定されたり、

色々な形が広まっている。

 

その中から、あくまでもわたしが見聞きして覚えている情報を簡単に言うと、

 

1 叶った状態を強くイメージし、

2 忘れる

 

と、その叶った状態を引き寄せ、現実になるらしい。

 

うそーん。

そんな簡単に? 

 

実際、大きい願いが叶うには時間がかかるから、

例えば食べ物とか、小さなもので練習していくといいらしい。

 

そして今日。

まさにそんなことを体験した。

「引き寄せ」が、目の前で起こったのだ。

 

 

上司から電話が入り、忘れた書類を誰かが届かなければならないことになった。

だけど、上司と落ち合うには退社時刻から数時間後。

 

誰もが目を伏せた。

 

「次の行先に預けて来てもいいなら、私行きますけど」

「おー、それはいいね。そうしよう」

 

定期券内の私がその資料を持って行き、預けてくることになった。

 

定期券内とは言え、少し回り道だ。

ただ書類を届けるだけなら、

「寒いなー、めんどくさいなー」と思ってしまう。

 

「来てよかった」に塗り替えるために、美味しいものを食べるか、買い物をするか、何か楽しいことをしようと思った。

 

目の前にはコスメショップ。

 

「あ、いいね! あれ買おうと思ってたんだ」

 

店内に入ると今話題のコスメがずらりと並んでいる。

近所ではドラッグストアを数軒回らなければ見れないメーカーが、一堂に会している。

 

ーーそうそう、チークももうちょっと発色いいやつ欲しかったんだよね

 

ーーあ、これ毛穴が消えるって話題のやつだ。

ほんと一般人にまで毛穴の無い肌を求めないでよね。どんだけお金かかるんだ

 

ーーえ、塗るだけで強くなるネイル? わぁ、いいな。爪弱いからマニキュアできないけど、これならちょっときれいになりそう! 

 

 

……

 

あれ?

 

 

……

 

なんだっけ?

 

わたし、何欲しかったんだっけ? 

 

 

えっとー、乾燥するからしっとりするやつだよね?

見た目もよくなるんだよね?

あると気持ちよくて、無いと気持ち悪い。

ドラッグストアにもあるけど、ここならいいやつがありそうって思って……

 

だめだ! 全然思い出せない! 

なんだっけなぁ……

 

ん?

あ、まつげ美容液こんなに種類あるんだ! 

眉カラーの色のバリエーションもすごいな。

 

あれ? なんだっけ? 

 

まぁ、いいか。

 

他にも欲しいものありすぎるし。

コスメショップって楽しいなぁ。

こんなのもあるし、こんなのもある!

 

んー、でも全部は買えないから、

これとこれとこれにしよう!

 

 

レジ待ちの列に並んでいると、

「先頭でお待ちのお客様〜」と、

ポッとオレンジ色のチークが可愛い店員さんが一番奥のレジで手を振っている。

 

歩きながらもチラチラ目移りしてしまうほど、欲しい商品がずらりと並んでいる。

 

ピッピッピッ

 

「お客様」

「はい」

「本日税抜3,000円以上お買い物をされたお客様の中で、さらにLINEでお友達登録された方限定で、オーガニック……バーン! をプレゼントしております。

登録されますか?」

 

バーン? 

 

なんだ?

 

まぁオーガニックなら良さそうだし、もらってみようか。

 

「あ、じゃあお願いします」

「ではこちらからご登録ください」

 

QRコードを読み取り、お店とお友達になる。

 

「できました」

「では、こちらを押していただいて。

はい、次はそれです。えぇ。あ、はい。

ありがとうございます。

少々お待ちくださいませ」

 

お姉さんが後ろのカゴをゴソゴソし、戻って来た。

 

「お待たせ致しました。

こちらお買い上げの商品と、

プレゼントのオーガニックリップバームです」

 

 

あ。

 

リップバーム! 

リップクリームか!

 

聞きなれないから、脳内で「バーン!」に変換されちゃったけど、リップバームね!

 

てか、これ。

 

これ! 

 

わたし欲しかったのリップクリームだ!

思い出せなかったのに、もらえちゃったよ!

 

すごい。

奇跡?

ただの偶然か。

 

あ、これ。


もしかして。


引き寄せの法則って、やつじゃん。

 

願って忘れると、手に入る。

 

マジだ。

 

リップクリーム自体は思い出せなかったけど、

それを使ったらどうなるかはハッキリイメージできた。

使えばしっとりして気持ちいいって状態をハッキリと。

でも、それが何かを思い出せないから諦めた。

 

すると。

 

手に入った。

しかも自分じゃ選ばないオーガニックの高そうなやつ! 

 

わお。

 

 

そうか。

わたしは

「書いて食べて行きたい!」

「面白いことしたい!」

「結婚したい!」

「痩せたい!」

「旅行行きたい!」

 「ライブ行きたい!」

……それから、それから

 

と、強く思いすぎていた。

しかも漠然と。

 

叶って嬉しい状態よりも、

叶っていない今の気持ちをただ強調していた。

 

そして、それを考え続けることを止めることもできていない。

 

これじゃあ、願っているのではなく、

ただ不満を言ってるだけのようなものだ。

 

それなのに

「願っても叶わないよー」と、

また叶っていない状況をクリアーに意識する。

 

これじゃあ、だめだったんだ。

 

もっと肩の力を抜いてみよう。

「願う」ことよりも、「近づく」ことにエネルギーを注ごう。

 

「ほしいほしいほしい」と思い続けるより

「税抜3,000円以上のお買い物をしてLINEでお友達登録」をすればいいんだ。

 

投資したり、何か行動をする。

 願いに近づく為に、叶えたい! と騒がず、

淡々とやるべきことをやっていく。

 

そっちにエネルギーを使えばいいんだ。

 

あぁ、なんだかスッキリして力が抜けた。

 

ただの偶然と流すこともできる。

でも、「引き寄せの法則」がある! と思っていれば、長い道も楽しんで続けていけそうだ。

 

「面倒くさいが願いを遠ざける」

これもほんとだ。

面倒くさがらずに書類を届けてよかった。

 

こんなちっちゃなことでも、気付いたりエネルギーに変えたりできるんだ。

 

よし、今日はくちびるも潤っているし、

なんだかぐっすり眠っていい夢が見られそうだぞー! 

 

 

 

 

そんな目で、みないでください。

それは突然のことでした。

 

「わ!」とおどけてみせると、

「何してるの?」と、

彼が真顔で言ったんです。

 

ドキッとしました。

 

彼のことはちょっと前、いやだいぶ前から知ってはいました。

 

でも、特に興味がなくて。

「あ、いるな」すらも思わないくらい。

 

思い出してみれば「いたな」とは思うけど、

ただ、それくらいのことでした。

 

なんででしょう。

何が、変わってしまったんでしょうか。

あんなに一瞬で。

 

心変わりではありません。

もう一人の彼への想いは、何も変わらないのです。

 

では、私の心臓が二つになってしまったのでしょうか。

突然二つに割れて、同時に動き始める。

そんなこと、起こってしまっていいのでしょうか。

本来、私の心臓は一つであるべきなのに。

 

でも、気付けば彼のことを探してしまいます。

ただ、彼のことを。

何を考えているかわからない、まっすぐな視線。

嬉しいのか、悲しいのか。

 

でも、

その動かない表情の下で、

生きている彼は、あたたかいのです。

触れてしまえば、泣けてしまうくらい、

あたたかいのです。

 

知ってるんです。

彼は、ものすごく熱い人なんです。

表に出さないけど、

ひとり肩を震わせて泣くんです。

そんな姿をみてしまったら、

目が離せないじゃないですか。

 

普段はマジメな顔して、

マジメな顔のままふざけたことばかり言います。

もう、それが可笑しくて。

みてるだけで、笑っちゃって。

 

それなのに、突然ハハハって、

目尻を下げて笑うんです。

 

もう、

 

もう、

どうしたらいいんだろう。

 

そんな風にされたら、

もう、彼のことしかみれないじゃないですか。

 

もう一人の彼に会いに行かなきゃいけないのに。

このまま動けないじゃないですか。

 

何その低い声。

何その頭いい発言。

何そのキレイな指先。

 

何、その、全部。

 

 

参った。

 

 

 

あ、すみません。

取り乱しました。

 

 

高良健吾がみたいから、

録画してる『べっぴんさん』を観たいのに、

 

『カルテット』の高橋一生が格好良すぎて、

 

どうしたらいいか、わからない。

 

そんな、長いひとりごとです。

 

高橋一生

前からなんとなく観てた気はするんだけど、

なんとなーくしか覚えていなくて。

『民王』の貝原あたりから気になり始めて。

 

そこにきての『カルテット』でしょ。

 

そりゃぁ、ブームが起きますわ。

 

今回は、

画面を通じて『人間ってとても愛すべき存在なんだ』と伝えてくれるらしいですよ。

そりゃぁ、観る前からたまりませんね。

 

 

それにしても『カルテット』面白いな。

役者陣も、音楽も良い。

みぞみぞしてきました。

 

子猫姉さんとおデブちんへ

「忘れがたいっていうのは、つまり好きってことなんでしょうね」

 

うん。

そうなんでしょうね。

 

ほんとうに。

 

そう思います。

 

わたしにもかつては、いました。

 

いつもぴったり寄り添うパートナー。

忘れ難き存在が。

 

二人。

 

と言えばややこしくなりますか。

 

二匹。

 

そう。

 

気の合う猫が、過去に二匹おりました。

 

アメリカ留学中、ホームステイ先で出会ったミス・キティ。

「子猫姉さん」ってところでしょうか。

 

当時まだ16歳のわたしは、完全なる犬派で、

むしろ猫は怖いと思っていました。

 

でも一年間の留学が終わった時、

そこで出会った誰よりも離れ難かったのは、

子猫姉さんでした。

 

夢だったアメリカでの留学生活は、

なかなか厳しいことも多く、

「夢が叶った( ˆoˆ )/」と浮かれる余裕もありません。

 

今よりさらに未熟者のわたしは、

生まれて初めて経験する

「自分だけが違う」

に、戸惑うばかりでした。

 

家族と一緒にいても、自分だけが馴染めない。

学校へ行っても「英語が話せない日本人」と笑われる。

 

目立ちたいとか、特別な存在になりたいとか、そんなことは願ってない。

ただ、そこにいたい。

そこにいてもいい人になりたいのに、

いつまで経ってもピョコッと浮いてしまい、

異質な存在になってしまう。

 

英語を覚えることよりも、

周囲に溶け込むことのほうが、

ずっと難しく、答えは見えそうになかった。

 

そんな時、いつも変わらず淡々とわたしを受け入れてくれたのが、子猫姉さんでした。

 

日本語で愚痴ってると、

「知るか」と、一瞥をくれてプイッとどこかへ行ってしまう。

 

なのに、一人でメソメソ泣いてると、

「やれやれ。言ってみなさい」

とため息まじりに寄ってきて、

ジーンズの裾に真っ白な毛をこすりつける。

「ほら、しあわせの白い毛。

これであんたもしあわせだ!」と、

似合わない冗談を言ってくるから、

なんだか可笑しくなって、涙も止まって笑けてくる。

 

あの一年。

子猫姉さんがいてくれたから、わたしは最後まで終わらせることができた。

 

時々来てくれなくて、一人で眠る淋しい夜。

目を閉じれば、すぐに涙が落ちて来た。

寝てしまえれば楽なのに、うつらうつら夢と現実を行き来する。

そんな時、夜中にひょいっとあったかい重みが乗ってくる。

「あぁ、ここでもひとりじゃない」

そう思うと、安心して眠ることができた。

 

「忘れがたいっていうのは、つまり好きってことなんでしょうね」

 

えぇ。

まったくその通りです、吉本さん。

わたしは、もう十五年を過ぎた今でも、

子猫姉さんを、忘れがたい。

今でも、会いたくなる。

それは、好きってことなんだと、思うんです。

 

 

つい最近までは、もう一匹いたんです。

30歳になる目前で出てきた東京で出会った一匹が。

 

鶏のからあげみたいに、まるまる太った、おデブちん。

 

会社の建物の手前の角を曲がると、

おデブちんはいつもそこで日向ぼっこをしていて。

 

わたしがネズミの声を出しながら近づいて行くと、うーーーっと伸びをして、

のっそのっそと近づいてくる。

 

ちょうど足下にやってくると、

「あれ? ネズミ見ませんでした?

この辺にいたと思うんすけどねぇ」

と言いながら、

重たくノロい動きで足にからんでくる。

 

たまーに女子大生にお菓子をもらっているおデブちん。

ちょうどわたしが裏口から出ると、

彼女の白くて細い手から、おやつを口で受け取る瞬間。

 

「いやぁ、ワシはいらん言うてんねん。

この人が無理に言うからな……

ワシは仕方なーく……あぁ、おいし」

 

と、

 

ウットリとした目をこちらに向けてくる。

 

暑い季節がくると少し痩せて、

寒い季節がくると、でっぷり太るおデブちん。

 

 

どこいったん。

 

 

ある日突然いなくなったおデブちん。

 

会社行きたくないなーって日も、

電車とかもういやだよーって日も、

よし、がんばるぞーって日も。

 

どんな日も、おデブちんがのっそのっそと来てくれてたから、がんばれてた。

 

おデブちん。

どこいったん。

 

姿を見なくなってもう一年は経ったのかな。

 

「忘れがたいっていうのは、つまり好きってことなんでしょうね」

 

そうなんです、吉本さん。

わたしは、おデブちんが、大好きでした。

だからこそ、忘れがたい。

もう、いないことには、したくない。

 

でも、仕方がない。

 

いつもおデブちんが日向ぼっこしてたその場所は、最近喫煙所に変わりました。

 

朝から疲れた顔の人がプハーっと煙を吐き、

わたしはそれを、頭にかぶりながら出勤するのです。

 

特に大きな意味はなく、ただそれだけの日常ですが、時々、なんだかなーと思ったりもします。

 

またいつか、忘れがたい一匹は、

わたしの元にやってきてくれるでしょうか。

 特別な猫さんに、会える日は来るのでしょうか。

 

それまでは。

 

吉本隆明さんのフランシス子が、こころの友です。

 

これと言って特別なところはない。

だけど、自分にとっては大切な存在。

「うつし」のようにぴったり寄り添う猫さん。

 

哲学者・吉本隆明さんが、ゆっくりやわらかく語ることばが、染みてきます。

 

なんだかわからないけど、

吉本さんのことばを読んでいると、

忘れがたい大切な猫さんと一緒にいるときの、

あのやわらかくてあたたかい気持ちになれるんです。

 

気まぐれに。

目的を見据えたらまっすぐに。

ただ、ぴったりと寄り添って。

 

寒い日は、猫さんに会いたくなります。

寒い夜は、猫さんの本が読みたくなります。

 

フランシス子へ (講談社文庫)

フランシス子へ (講談社文庫)

これぞまさに神回! ボクサー村田諒太選手のインタビューを見て、わたしはヴィクトール・フランクルを読もうと決意した

「いやぁ、今後のボクシングが楽になると思います」

 

それまで真顔だったボクシング金メダリスト村田諒太選手が微笑んだ瞬間、涙がぶわぁっと込み上げて来た。

 

「こ、これは神回だ!」

もしもわたしが高校の先生ならば、授業なんてせずに毎回この回のビデオを流したい!

これだけで、人生の大事なことは伝わる。

それくらい、震えた。

そう思える程、濃厚で学び深い1時間だった。

 

大好きなトーク番組『SWITCH インタビュー 達人達』

年末に録画していたのは、

ボクシングミドル級のロンドン五輪金メダリスト村田諒太選手と、哲学者 萱野稔人さんの対談。

 

正直、わたしはボクシングに詳しくない。

血が出たり、倒れたりするのは怖いし、応援している選手がKO負けしたりすると、やりきれない気持ちになってしまう。

 

年末は実家にいて、チャンネルを変えられない状況だったから井岡戦は観たけれど、それ以前のボクシングの記憶と言えば、辰吉対薬師寺の時代だろうか。

やはり、実家でやむなく観ているうちに盛り上がっていた頃だ。

 

だから、村田選手のことも、顔と名前は知ってはいたが、どんな戦いをしてきた人で、どんな方なのかということは、恥ずかしながら知らなかった。

 

でも、そんなわたしも、一瞬で心を奪われた。

 

この人の試合を観てみたい。

この人が影響を受けたという

ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』を読んでみたくて仕方がない。

 

1時間の番組には、これまで必死で戦ってきた、真剣に考え抜いてきた村田選手の時間が濃厚に映し出されていた。

 

だからこそ、なんの前情報も興味も持っていなかったわたしが、一瞬で心を奪われ、惹きつけられたのだ。

 

村田選手は読書家で知られているそうだ。

実際、哲学者との対談でも、自分の考えや思いを率直に言葉で表現していた。

普段から考える習慣が身に付いているからこそ、あれだけ素直に伝わる言葉で話すことができるんだと思う。

 

そんな村田選手が影響を受けたという一冊。

 

ヴィクトール・フランクルがドイツ強制収容所での体験を記録した『夜と霧』

 

な、な、なんて、難しそうな本?!

 

名前は聞いたことはあるが、明らかにわたしが毛嫌いしそうな、固くて難しそうなイメージの本だ。

それに、その頃のドイツの話は読んでて辛くて苦しくなってしまう。

 

でも、話を聞いているうちに、読みたくなってくる。

 

自分の人生に意味を問うのではなく、

人生から与えられた課題にどう応えていくのか。

 

あぁ、確かに最近そんな話を耳にしたな。

でも「フランクル的心理学」という言葉を聞いた瞬間、

「あ、わかんない。わたしには関係ない」って、思っちゃったやつだな……と思い出す。

 

すると、それより前の場面で村田選手が話していたエピソードがよみがえってきた。

 

「言葉は【誰が】言ったかが大事なんだ」と。

 

高校時代、過ちを犯した村田選手に、

当時の先生がある言葉を伝え、それが心に染みて前に進むことができたという。

 

その言葉は、実はある本から引用されたもので、

「って、本に書いてあったんだ」と、先生は言ったそうだ。

 

でも自分でその本を読んでも同じように理解できたとは限らない。

先生が代読してくれたからこそ、心に刺さった。

言葉そのものよりも、

【誰が】言うのか、

人、その人との関係が大事なんだと

村田選手は言う。

 

わたしにとってその【誰か】が、村田選手になった。

 

有名な尊敬する著者の方が同じくフランクルの例を出した時、わたしは「わたしには関係ない」と思ってしまった。

 

気になるなとは思いつつ、難しそうだな、面倒くさそうだなという気持ちに負けてしまった。

 

でも、村田選手から語られるフランクルの言葉は、わたしの心に突き刺さった。

 

「あぁ、この本読んでみたい!難しくても挑戦したい!」という思いが、止まらない。

 

それはきっと、紹介の仕方とか、スキルとかは関係ない。

【誰の】言葉が一番響くのかは、人それぞれなんだと思う。

わたしの場合は、

テレビで村田選手が話した言葉が響いた。

 

命がけで戦う村田選手が、心に残っているその一冊。

わたしが、見るだけでも辛くて目を逸らしてしまうボクシングの選手が、人生の大事な場面で思い出すフレーズ。

 

気になる。

知りたい。

わたしも、そこから何かを学びたい!

 

そんな気持ちが次から次へと溢れてきた。

 

もちろん対談相手の萱野稔人さんの相槌もかなり効いていたと思う。

村田選手の言葉をひとつひとつ受け止め、丁寧に返す。

二人の対談は、真剣で、熱くて、丁寧で深い。

まるで生き様が滲み出ているかのような会話。

一時間のすべてが心に突き刺さり、染み入った。

 

わたしは、偉い人にもスゴイ人にもなれないと思っている。

金メダリストや哲学者にもなれない。

それは、なるための努力もしていないし、なりたいと願っていないからだ。

 

30過ぎると自分の得意なこと不得意なことが、段々見えてくる。

 わたしは0から1を生み出すことが、何より苦手だ。

でも、1を5にも10にも発展させることはできる。

自分がすごくはなれなくても、

「この人がスゴイ!」と、語る時の熱量はかなり高い。

 

そんな、わたしが求められていることとは、なんだろう。

 

誰かの【誰か】になりたい。

そう、強く思う。

 

あの人が言ったから、刺さった。

あの人が言ってたから、読みたくなった。

 

わたし自身に何かを発見したり生み出す力が無いとしても、

誰かに必要な言葉を届けられるなら、

形にはこだわらない。

 

そもそも、世の中も、わたし自身も誰かの言葉の引用で成り立っている。

 

本当に自分の言葉で語れるようになるのは、もしかしたらおばあちゃんに、なるころかもしれない。

 

だとしたら。

 

それまでは、

わたしは必死で誰かの【誰か】になろうと思う。

 

必要な言葉を、求めている人に届ける。

 必要としている人に届ける為に、書き続ける。

 

今わたしが求められているのは、

届けてくれる【誰か】になることかもしれない。

 

そう思えたら、

本を読んだり、映画を観たり、

勉強したり、考えたり、経験したり……

 

全部が

「しなくちゃいけない」から

「したくて仕方がない」に変わっていく。

 

そうすることで、

人生から与えられる課題に応えていきたい。

「何のために生きているのか」と自身で問うのではなく、人生からの問いに応えていく。

 

たった一時間でぐるりと視点が変わった! 

「これから」の大きなヒントを掴んだ。

 

やっぱりテレビは面白い!!

「根っからのテレビっ子です」と言うとひかれることもあるけれど、むしろドンドン押していこうと思う。

 

テレビは面白い。

こんなにも大切な一時間を創りだしてくれて、ありがとうございますm(__)m

 

今日から村田選手を応援します。

『夜と霧』も挑戦する!

萱野稔人さんの本も読んでみよう。

 

あー、のんびりナマケモノなわたしは、

ようやく正月ボケから抜け出して、

エンジンがかかってきたーーー

 

 わーい、

「やらなきゃいけないこと」ではなく、

「やりたくて仕方がないこと」が増えてきたぞー

 

 

夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録

夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録

 

 

 

なんか、あれ足りなくないですか?

わたしだけでしょうか。

みんなはそんなことないのかな。

大したことではないんですが、

ちょっと困っています。

あれ、足りなくないですか?

 

12月辺りからなんとなくモヤモヤしてたんですが、

1月に入るとさすがにムムムに変わってきました。

 

いや、足りないでしょ、これ。

全然足りてないでしょ。

 

困ったな。

いつもは、もういらないよ! って思うくらいなのに。

こんなにどうするの! って思うくらいなのに。

 

おかしいな。

あれ? そろそろだよね? 

そろそろ来るはずだよね? 

ねぇ、来ないの? 

なんで? 

 

困った。

 

さすがにもう、自分でなんとかするしかない。

 

まさかそんなことまで、当たり前と思っていたなんて。

それの、重要性を痛感させられる日が来るなんて。

 

わたし、だけでしょうか。

みんなはそんなことないのかな。
大したことではないんですが、
ちょっと困っています。
あれ、足りなくないですか?

 

今年、すごく少なくなってませんか?

 

あれ? ないぞ? って、困ってませんか? 

 

 

2017年の、カレンダー。

ご挨拶にいただくカレンダー。

 

去年と比べて半減くらいなんですけど。

いつも貼り切れなくて、使い切れなくてちょっと困っちゃうくらいなのに。

 

こんなにも、カレンダーを欲する時が来るなんて。

 

「今年から会社がカレンダーやめちゃって」

「カレンダー作る数減らされちゃって」

 

そんな声をあちこちで聞きました。

 

結果、卓上カレンダーが無い。

 

とりあえず、お歳暮のハムに入っていた

日本ハムファイターズの卓上カレンダーを置いみる。

 

これで日程は確認できるけど、

残念ながら、書き込めません。

恐らく仕事用ではなく、観賞用なのでしょう。

 

「あれ? 日ハムファンだったんだね?」

 

突然のハムのオマケのカレンダーに、

周囲がざわついています。

 

道産子ゆえ、違いますとも言えず。

かと言って、好きな選手は新庄で止まってるもので、好きとも言えず。

 

あぁ、困った。

カレンダーが足りて無い結果、

道民としてのアイデンティティを疑われる危機に面することになりました。

 

早いところ何とかしなければ。

 

さらに、部屋に貼るカレンダーも無い。

いつもは色んな雑誌のオマケについているから、好きなのを選んで買うのに。

今年は探しても探しても、カレンダーがオマケについてない。

 

 むしろ、

雑誌のオマケ、どこいったん?!

 

前までどの雑誌にもどでかいオマケがついてたのに、ぺったんこの雑誌が増えてるし!

 

え、オマケは? 

カレンダーは? 

みんな、どこいったん?!

 

ご挨拶のカレンダーも、

雑誌のオマケのカレンダーも、

なくなってみて始めて気付く。

 

どれだけ有難く、重宝していたか。

 

 

はて、困った。

 

どうしようか。

そろそろ諦めて、買ったほうがいいんでしょうか。

みんな、どうしてるのかな。

 

あぁ、失敗。

早く気付いていれば。

帰省した時に買ってきたのになー。

 

函館の景色のカレンダーなら、

春も夏も秋も冬も、絶対キレイなはずだ!

ひゃー、買ってくればよかったー!!

 

春はやっぱり五稜の星型に咲き誇る桜かなー

あ、遺愛高校のクロッカスもあるね!

 

夏は八幡坂から見下ろす函館湾もいいし、

夜に煌々と光る漁火の夜景もいいし。

 

秋は香雪園の紅葉かなぁ。

いや、中野ダムの紅葉も捨て難い。

 

冬は雪の教会群もいいし、

クリマスツリーとか、イルミネーションも幻想的だし。

 

あぁ、失敗。

 

一年中、キレイで美味しい函館がギュッと詰まったカレンダー、買ってくればよかったなー。

 

まぁでも、新幹線も通ったし、2月からはLCCも来るみたいだし、また帰ればいいか! 

 

なんだか今年のカレンダー選びが楽しくなってきた!

せっかくなら東京ならではのカレンダーにしてみようか。

いや、それともやはり道南魂で、

ごっことか、

ずーしーほっきーのカレンダーを、

どんと職場の机に置いてみようか。