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本日はNew Year's Eve

30代OLが「書き手」になる夢を叶えるドキュメンタリー

子猫姉さんとおデブちんへ

「忘れがたいっていうのは、つまり好きってことなんでしょうね」

 

うん。

そうなんでしょうね。

 

ほんとうに。

 

そう思います。

 

わたしにもかつては、いました。

 

いつもぴったり寄り添うパートナー。

忘れ難き存在が。

 

二人。

 

と言えばややこしくなりますか。

 

二匹。

 

そう。

 

気の合う猫が、過去に二匹おりました。

 

アメリカ留学中、ホームステイ先で出会ったミス・キティ。

「子猫姉さん」ってところでしょうか。

 

当時まだ16歳のわたしは、完全なる犬派で、

むしろ猫は怖いと思っていました。

 

でも一年間の留学が終わった時、

そこで出会った誰よりも離れ難かったのは、

子猫姉さんでした。

 

夢だったアメリカでの留学生活は、

なかなか厳しいことも多く、

「夢が叶った( ˆoˆ )/」と浮かれる余裕もありません。

 

今よりさらに未熟者のわたしは、

生まれて初めて経験する

「自分だけが違う」

に、戸惑うばかりでした。

 

家族と一緒にいても、自分だけが馴染めない。

学校へ行っても「英語が話せない日本人」と笑われる。

 

目立ちたいとか、特別な存在になりたいとか、そんなことは願ってない。

ただ、そこにいたい。

そこにいてもいい人になりたいのに、

いつまで経ってもピョコッと浮いてしまい、

異質な存在になってしまう。

 

英語を覚えることよりも、

周囲に溶け込むことのほうが、

ずっと難しく、答えは見えそうになかった。

 

そんな時、いつも変わらず淡々とわたしを受け入れてくれたのが、子猫姉さんでした。

 

日本語で愚痴ってると、

「知るか」と、一瞥をくれてプイッとどこかへ行ってしまう。

 

なのに、一人でメソメソ泣いてると、

「やれやれ。言ってみなさい」

とため息まじりに寄ってきて、

ジーンズの裾に真っ白な毛をこすりつける。

「ほら、しあわせの白い毛。

これであんたもしあわせだ!」と、

似合わない冗談を言ってくるから、

なんだか可笑しくなって、涙も止まって笑けてくる。

 

あの一年。

子猫姉さんがいてくれたから、わたしは最後まで終わらせることができた。

 

時々来てくれなくて、一人で眠る淋しい夜。

目を閉じれば、すぐに涙が落ちて来た。

寝てしまえれば楽なのに、うつらうつら夢と現実を行き来する。

そんな時、夜中にひょいっとあったかい重みが乗ってくる。

「あぁ、ここでもひとりじゃない」

そう思うと、安心して眠ることができた。

 

「忘れがたいっていうのは、つまり好きってことなんでしょうね」

 

えぇ。

まったくその通りです、吉本さん。

わたしは、もう十五年を過ぎた今でも、

子猫姉さんを、忘れがたい。

今でも、会いたくなる。

それは、好きってことなんだと、思うんです。

 

 

つい最近までは、もう一匹いたんです。

30歳になる目前で出てきた東京で出会った一匹が。

 

鶏のからあげみたいに、まるまる太った、おデブちん。

 

会社の建物の手前の角を曲がると、

おデブちんはいつもそこで日向ぼっこをしていて。

 

わたしがネズミの声を出しながら近づいて行くと、うーーーっと伸びをして、

のっそのっそと近づいてくる。

 

ちょうど足下にやってくると、

「あれ? ネズミ見ませんでした?

この辺にいたと思うんすけどねぇ」

と言いながら、

重たくノロい動きで足にからんでくる。

 

たまーに女子大生にお菓子をもらっているおデブちん。

ちょうどわたしが裏口から出ると、

彼女の白くて細い手から、おやつを口で受け取る瞬間。

 

「いやぁ、ワシはいらん言うてんねん。

この人が無理に言うからな……

ワシは仕方なーく……あぁ、おいし」

 

と、

 

ウットリとした目をこちらに向けてくる。

 

暑い季節がくると少し痩せて、

寒い季節がくると、でっぷり太るおデブちん。

 

 

どこいったん。

 

 

ある日突然いなくなったおデブちん。

 

会社行きたくないなーって日も、

電車とかもういやだよーって日も、

よし、がんばるぞーって日も。

 

どんな日も、おデブちんがのっそのっそと来てくれてたから、がんばれてた。

 

おデブちん。

どこいったん。

 

姿を見なくなってもう一年は経ったのかな。

 

「忘れがたいっていうのは、つまり好きってことなんでしょうね」

 

そうなんです、吉本さん。

わたしは、おデブちんが、大好きでした。

だからこそ、忘れがたい。

もう、いないことには、したくない。

 

でも、仕方がない。

 

いつもおデブちんが日向ぼっこしてたその場所は、最近喫煙所に変わりました。

 

朝から疲れた顔の人がプハーっと煙を吐き、

わたしはそれを、頭にかぶりながら出勤するのです。

 

特に大きな意味はなく、ただそれだけの日常ですが、時々、なんだかなーと思ったりもします。

 

またいつか、忘れがたい一匹は、

わたしの元にやってきてくれるでしょうか。

 特別な猫さんに、会える日は来るのでしょうか。

 

それまでは。

 

吉本隆明さんのフランシス子が、こころの友です。

 

これと言って特別なところはない。

だけど、自分にとっては大切な存在。

「うつし」のようにぴったり寄り添う猫さん。

 

哲学者・吉本隆明さんが、ゆっくりやわらかく語ることばが、染みてきます。

 

なんだかわからないけど、

吉本さんのことばを読んでいると、

忘れがたい大切な猫さんと一緒にいるときの、

あのやわらかくてあたたかい気持ちになれるんです。

 

気まぐれに。

目的を見据えたらまっすぐに。

ただ、ぴったりと寄り添って。

 

寒い日は、猫さんに会いたくなります。

寒い夜は、猫さんの本が読みたくなります。

 

フランシス子へ (講談社文庫)

フランシス子へ (講談社文庫)

これぞまさに神回! ボクサー村田諒太選手のインタビューを見て、わたしはヴィクトール・フランクルを読もうと決意した

「いやぁ、今後のボクシングが楽になると思います」

 

それまで真顔だったボクシング金メダリスト村田諒太選手が微笑んだ瞬間、涙がぶわぁっと込み上げて来た。

 

「こ、これは神回だ!」

もしもわたしが高校の先生ならば、授業なんてせずに毎回この回のビデオを流したい!

これだけで、人生の大事なことは伝わる。

それくらい、震えた。

そう思える程、濃厚で学び深い1時間だった。

 

大好きなトーク番組『SWITCH インタビュー 達人達』

年末に録画していたのは、

ボクシングミドル級のロンドン五輪金メダリスト村田諒太選手と、哲学者 萱野稔人さんの対談。

 

正直、わたしはボクシングに詳しくない。

血が出たり、倒れたりするのは怖いし、応援している選手がKO負けしたりすると、やりきれない気持ちになってしまう。

 

年末は実家にいて、チャンネルを変えられない状況だったから井岡戦は観たけれど、それ以前のボクシングの記憶と言えば、辰吉対薬師寺の時代だろうか。

やはり、実家でやむなく観ているうちに盛り上がっていた頃だ。

 

だから、村田選手のことも、顔と名前は知ってはいたが、どんな戦いをしてきた人で、どんな方なのかということは、恥ずかしながら知らなかった。

 

でも、そんなわたしも、一瞬で心を奪われた。

 

この人の試合を観てみたい。

この人が影響を受けたという

ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』を読んでみたくて仕方がない。

 

1時間の番組には、これまで必死で戦ってきた、真剣に考え抜いてきた村田選手の時間が濃厚に映し出されていた。

 

だからこそ、なんの前情報も興味も持っていなかったわたしが、一瞬で心を奪われ、惹きつけられたのだ。

 

村田選手は読書家で知られているそうだ。

実際、哲学者との対談でも、自分の考えや思いを率直に言葉で表現していた。

普段から考える習慣が身に付いているからこそ、あれだけ素直に伝わる言葉で話すことができるんだと思う。

 

そんな村田選手が影響を受けたという一冊。

 

ヴィクトール・フランクルがドイツ強制収容所での体験を記録した『夜と霧』

 

な、な、なんて、難しそうな本?!

 

名前は聞いたことはあるが、明らかにわたしが毛嫌いしそうな、固くて難しそうなイメージの本だ。

それに、その頃のドイツの話は読んでて辛くて苦しくなってしまう。

 

でも、話を聞いているうちに、読みたくなってくる。

 

自分の人生に意味を問うのではなく、

人生から与えられた課題にどう応えていくのか。

 

あぁ、確かに最近そんな話を耳にしたな。

でも「フランクル的心理学」という言葉を聞いた瞬間、

「あ、わかんない。わたしには関係ない」って、思っちゃったやつだな……と思い出す。

 

すると、それより前の場面で村田選手が話していたエピソードがよみがえってきた。

 

「言葉は【誰が】言ったかが大事なんだ」と。

 

高校時代、過ちを犯した村田選手に、

当時の先生がある言葉を伝え、それが心に染みて前に進むことができたという。

 

その言葉は、実はある本から引用されたもので、

「って、本に書いてあったんだ」と、先生は言ったそうだ。

 

でも自分でその本を読んでも同じように理解できたとは限らない。

先生が代読してくれたからこそ、心に刺さった。

言葉そのものよりも、

【誰が】言うのか、

人、その人との関係が大事なんだと

村田選手は言う。

 

わたしにとってその【誰か】が、村田選手になった。

 

有名な尊敬する著者の方が同じくフランクルの例を出した時、わたしは「わたしには関係ない」と思ってしまった。

 

気になるなとは思いつつ、難しそうだな、面倒くさそうだなという気持ちに負けてしまった。

 

でも、村田選手から語られるフランクルの言葉は、わたしの心に突き刺さった。

 

「あぁ、この本読んでみたい!難しくても挑戦したい!」という思いが、止まらない。

 

それはきっと、紹介の仕方とか、スキルとかは関係ない。

【誰の】言葉が一番響くのかは、人それぞれなんだと思う。

わたしの場合は、

テレビで村田選手が話した言葉が響いた。

 

命がけで戦う村田選手が、心に残っているその一冊。

わたしが、見るだけでも辛くて目を逸らしてしまうボクシングの選手が、人生の大事な場面で思い出すフレーズ。

 

気になる。

知りたい。

わたしも、そこから何かを学びたい!

 

そんな気持ちが次から次へと溢れてきた。

 

もちろん対談相手の萱野稔人さんの相槌もかなり効いていたと思う。

村田選手の言葉をひとつひとつ受け止め、丁寧に返す。

二人の対談は、真剣で、熱くて、丁寧で深い。

まるで生き様が滲み出ているかのような会話。

一時間のすべてが心に突き刺さり、染み入った。

 

わたしは、偉い人にもスゴイ人にもなれないと思っている。

金メダリストや哲学者にもなれない。

それは、なるための努力もしていないし、なりたいと願っていないからだ。

 

30過ぎると自分の得意なこと不得意なことが、段々見えてくる。

 わたしは0から1を生み出すことが、何より苦手だ。

でも、1を5にも10にも発展させることはできる。

自分がすごくはなれなくても、

「この人がスゴイ!」と、語る時の熱量はかなり高い。

 

そんな、わたしが求められていることとは、なんだろう。

 

誰かの【誰か】になりたい。

そう、強く思う。

 

あの人が言ったから、刺さった。

あの人が言ってたから、読みたくなった。

 

わたし自身に何かを発見したり生み出す力が無いとしても、

誰かに必要な言葉を届けられるなら、

形にはこだわらない。

 

そもそも、世の中も、わたし自身も誰かの言葉の引用で成り立っている。

 

本当に自分の言葉で語れるようになるのは、もしかしたらおばあちゃんに、なるころかもしれない。

 

だとしたら。

 

それまでは、

わたしは必死で誰かの【誰か】になろうと思う。

 

必要な言葉を、求めている人に届ける。

 必要としている人に届ける為に、書き続ける。

 

今わたしが求められているのは、

届けてくれる【誰か】になることかもしれない。

 

そう思えたら、

本を読んだり、映画を観たり、

勉強したり、考えたり、経験したり……

 

全部が

「しなくちゃいけない」から

「したくて仕方がない」に変わっていく。

 

そうすることで、

人生から与えられる課題に応えていきたい。

「何のために生きているのか」と自身で問うのではなく、人生からの問いに応えていく。

 

たった一時間でぐるりと視点が変わった! 

「これから」の大きなヒントを掴んだ。

 

やっぱりテレビは面白い!!

「根っからのテレビっ子です」と言うとひかれることもあるけれど、むしろドンドン押していこうと思う。

 

テレビは面白い。

こんなにも大切な一時間を創りだしてくれて、ありがとうございますm(__)m

 

今日から村田選手を応援します。

『夜と霧』も挑戦する!

萱野稔人さんの本も読んでみよう。

 

あー、のんびりナマケモノなわたしは、

ようやく正月ボケから抜け出して、

エンジンがかかってきたーーー

 

 わーい、

「やらなきゃいけないこと」ではなく、

「やりたくて仕方がないこと」が増えてきたぞー

 

 

夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録

夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録

 

 

 

なんか、あれ足りなくないですか?

わたしだけでしょうか。

みんなはそんなことないのかな。

大したことではないんですが、

ちょっと困っています。

あれ、足りなくないですか?

 

12月辺りからなんとなくモヤモヤしてたんですが、

1月に入るとさすがにムムムに変わってきました。

 

いや、足りないでしょ、これ。

全然足りてないでしょ。

 

困ったな。

いつもは、もういらないよ! って思うくらいなのに。

こんなにどうするの! って思うくらいなのに。

 

おかしいな。

あれ? そろそろだよね? 

そろそろ来るはずだよね? 

ねぇ、来ないの? 

なんで? 

 

困った。

 

さすがにもう、自分でなんとかするしかない。

 

まさかそんなことまで、当たり前と思っていたなんて。

それの、重要性を痛感させられる日が来るなんて。

 

わたし、だけでしょうか。

みんなはそんなことないのかな。
大したことではないんですが、
ちょっと困っています。
あれ、足りなくないですか?

 

今年、すごく少なくなってませんか?

 

あれ? ないぞ? って、困ってませんか? 

 

 

2017年の、カレンダー。

ご挨拶にいただくカレンダー。

 

去年と比べて半減くらいなんですけど。

いつも貼り切れなくて、使い切れなくてちょっと困っちゃうくらいなのに。

 

こんなにも、カレンダーを欲する時が来るなんて。

 

「今年から会社がカレンダーやめちゃって」

「カレンダー作る数減らされちゃって」

 

そんな声をあちこちで聞きました。

 

結果、卓上カレンダーが無い。

 

とりあえず、お歳暮のハムに入っていた

日本ハムファイターズの卓上カレンダーを置いみる。

 

これで日程は確認できるけど、

残念ながら、書き込めません。

恐らく仕事用ではなく、観賞用なのでしょう。

 

「あれ? 日ハムファンだったんだね?」

 

突然のハムのオマケのカレンダーに、

周囲がざわついています。

 

道産子ゆえ、違いますとも言えず。

かと言って、好きな選手は新庄で止まってるもので、好きとも言えず。

 

あぁ、困った。

カレンダーが足りて無い結果、

道民としてのアイデンティティを疑われる危機に面することになりました。

 

早いところ何とかしなければ。

 

さらに、部屋に貼るカレンダーも無い。

いつもは色んな雑誌のオマケについているから、好きなのを選んで買うのに。

今年は探しても探しても、カレンダーがオマケについてない。

 

 むしろ、

雑誌のオマケ、どこいったん?!

 

前までどの雑誌にもどでかいオマケがついてたのに、ぺったんこの雑誌が増えてるし!

 

え、オマケは? 

カレンダーは? 

みんな、どこいったん?!

 

ご挨拶のカレンダーも、

雑誌のオマケのカレンダーも、

なくなってみて始めて気付く。

 

どれだけ有難く、重宝していたか。

 

 

はて、困った。

 

どうしようか。

そろそろ諦めて、買ったほうがいいんでしょうか。

みんな、どうしてるのかな。

 

あぁ、失敗。

早く気付いていれば。

帰省した時に買ってきたのになー。

 

函館の景色のカレンダーなら、

春も夏も秋も冬も、絶対キレイなはずだ!

ひゃー、買ってくればよかったー!!

 

春はやっぱり五稜の星型に咲き誇る桜かなー

あ、遺愛高校のクロッカスもあるね!

 

夏は八幡坂から見下ろす函館湾もいいし、

夜に煌々と光る漁火の夜景もいいし。

 

秋は香雪園の紅葉かなぁ。

いや、中野ダムの紅葉も捨て難い。

 

冬は雪の教会群もいいし、

クリマスツリーとか、イルミネーションも幻想的だし。

 

あぁ、失敗。

 

一年中、キレイで美味しい函館がギュッと詰まったカレンダー、買ってくればよかったなー。

 

まぁでも、新幹線も通ったし、2月からはLCCも来るみたいだし、また帰ればいいか! 

 

なんだか今年のカレンダー選びが楽しくなってきた!

せっかくなら東京ならではのカレンダーにしてみようか。

いや、それともやはり道南魂で、

ごっことか、

ずーしーほっきーのカレンダーを、

どんと職場の机に置いてみようか。

 

 

2017年出勤初日早々、カウンターパンチ。恐るべし都会の洗礼

よーし、お正月楽しんだからお仕事がんばるぞー\\\٩( 'ω' )و ////

 

なんてふざけていたら、

即効でカウンターパンチをくらいました。

いや、後頭部に踵落とし。

くらいの衝撃。

 

大都会・東京さんをなめきっておりました。

このままじゃいけない。

わたし、決めました!

今の暮らしを楽しむために、

嫌なことから全力で逃げるぞーーー!!!!

 

約10日ぶりのおなじみの満員電車。

早速の大混雑で20〜25分の遅れ。

久しぶりのとか関係なく押し合いへしあい。

肩を温める暇も無いまま豪速球。

くらいの勢い。

 

ですよね。

それでも地球は回っているように、

仕事が始まれば都会の電車はギュウギュウです。

 

あ、目の前の席が空いた!

ラッキー! やっぱり新年はついてるね!

 

と思った瞬間、目の前に突然のお姉さん!

右手で網棚の手すりをキャッチし、

そこを軸に回転しながら空いた席へ!!

 

わたしポカーン

 

お姉さん LINEと日経を交互に見る

 

すごいな。

昨日までお雑煮とか食べてたほっこり感、

どこいったん?!

 

なんて思ってたら突然の非常停止ボタン!

緊急停止っ!!!!!

 

キキーーーーーっっっつ!!!!

 

 慣性力に抵抗しようと、

つり革握り締め、その場でターンっ!

 

 ふー、あぶなかった。

新年早々なんだ!

穏やかであれ!

お願いじゃ!

 

 

なんとか体制を整えようとつり革にしがみつく。

 

すると、つり革や手すりを持てなかった人たちが、後ろでドミノ倒しに。

 

 

あ、あぶない!

 

 

人の波に押されながら

ゆっくりとおばあさんが、倒れて行った。

 

 え?!

 

 

ドキドキ

 

 

はぁ。頭打たなくてよかったー。

 

 

「大丈夫ですか?」

「つかまってください」

「よいしょ」

「せーの」

 

すぐ近くにいた人たちが協力しておばあさんを支え、起き上がることができた。

 

ズキン

 

「ごめんなさいね。ありがとうございました」

「びっくりしましたね」

「あぶないですね、あんな急に」

 

ズキン

 

おばあさんと、協力していた人たちが笑顔で会話する様子を聞きながら、

心臓がバクバク鳴っていた。

 

 

なんで? 

 

なんで。

 

なんで誰も席を譲らないんだろう。

 

目の前でおばあさんが倒れたのに。

4〜5人が協力してようやく立ち上がれたのに。

 

なんで。

 

さっき華麗なターンで目の前の席に座ったお姉さんは、相変わらずLINEと日経を交互に睨みつけている。

 

その隣のお姉さんは、微動だにせず、どこかを見つめてる。

 

眉間にしわを寄せてる人。

スマホを睨んでる人。

目を瞑っている人。

 

そこにいる誰も、席を立とうとしなかった。

 

でも。

 

「席、空けてもらえませんか?」

 

とは、言えなかった。

 

おばあさんは今は立ってるけど、どこかぶつけたかもしれない。

立ってるのが辛いかもしれない。

 

そう思うのに、言えなかった。

 

わたしが言うのは、何か違うと思ってしまったら、声を出せなかった。

 

「だ、誰か耳あて落としませんでしたか?」

と、灰色の塊を拾うだけで精一杯。

 

そんな自分が、ちょっと嫌になった。

 別に「なんだ、あいつ」と思われたっていいじゃないか。

そう思うけど、言えなかった。

 

座っている人達も、せめて今日だけは座らせてほしいと思っていたかもしれない。

体調が良くないから、座れるように早めに家を出たのかもしれない。

そう思うと、わたしが何かを言うのは違うと思ってしまった。

 

「席、空けてもらえませんか?」と言う自分も、

言えない自分も、どちらも嫌だ。

どっちにも、なりたくなかった。

 

あぁ。

 

と、思った。

 

 

きっと、その場所を好きになれるかどうかは、

その場所にいる自分が好きかどうかに大きく左右されるんじゃないだろうか。

 

東京に暮らしていて、

満員電車に乗っていると、

イライラしたり、困ってる人がいても見て見ぬ振りをしてしまったり。

知りたくない見つけたくない嫌な自分が顔を出す。

 

そうすると自然に、そこにいたくない、そんな自分は見たくないって気持ちが働く。

 

ここから抜け出せば、

環境さえ変われば、

わたしは変われると、勝手な期待を抱く。

 

地元で暮らしていてもそうだ。

刺激がなくなってくると、やる気も無くなり惰性ですることが増えてくる。

丁寧さや真剣さも失ってくる。

そんな自分は嫌だ。見たくない。

 

ここを出ようか。出たい。

もっと刺激のある場所に。

 

そんな風に思うようになる。

 

結局、そこにいる自分が好きじゃなくなると、

その場所も好きではなくなってしまうのだ。

 

でも、重要なのは場所じゃない。

そこにいる自分を好きになれるかどうかだ。

好きでいられる自分を、保ち続けられるかが、大事だったんだ。

 

だったら。

 

 

出来るだけ、嫌なことから逃げてみようかと思う。

嫌いなこと、見たくないものは、

出来るだけ、避けてみよう。

 

満員電車だって、

早い時間に家を出たり、

各駅停車の電車に乗れば、

少しは緩和される。

 

わざわざ、嫌いな見たくない自分に会いに行く必要はない。

 

それに、毎日やることはいっぱいあるし、

挑戦すべきことも努力すべきこともたくさんある。

 

一人一人が使える時間とエネルギーは無限じゃない。

 

だったら、嫌なことは思い切って全部避けてみよう。

 

どのみち好きなことをしていたって、

苦しいこと、大変なことはあるんだから。

それならそっちに一生懸命になればいい。

 

好きになれる自分でがんばっていた方が、効率良く前に進めるはずだ。

 

満員電車の中で、嫌な場所で、

どうしても好きになれない場所で、

必要も無いのに修行することなんて、ない。

 

1分でも長く気持ちよく眠るために、満員電車に乗るか。

1日を気持ちよくスタートさせるために、早く起きて家を出るか。

 

それだけのことだ。

 

 

さぁ、お願いだ。

数時間後のわたしよ。

目を覚ました瞬間、今書いたことを思い出してくれ。

「ちょっとくらい混んでてもいいよ〜ぐーーー」

と、二度寝しないでおくれ。

 

自分のことを 好きなままでいさせてくれーい

 

 

※ところどころお正月気分の抜けないお笑いネタが登場致しますことを、お詫び申し上げます。

 

magandang umaga

明けましておめでとうございます!

昨年末から始めたこのブログ、

今年も本日より更新していきます!

 よろしくお願いしますm(__)m

 

***

 

大学卒業してから二年弱、

南国 フィリピンに暮らしていたことがある。

 

「Magandang umaga」

マガンダン ウマガ

 

それは彼らの朝の挨拶。

 直訳すると「美しい朝」という意味の言葉。

 

外国人であるわたしは、

「あなた達の仲間にしてください。

友達になりたいです」という思いを込め、

英語ではなくタガログ語で挨拶をしていた。

 

歌うように、ご機嫌なかんじで

マガンダン ウマーガーと声をかけると

グッモーニーンと言うよりも

スッと仲間に入れてもらえる。

 

それ以来、マガンダン ウマガは

挨拶の言葉として認識していた。

 

ところがある日。

山の中にある地域にホームステイをし、

朝早く乗り合いバスに乗り、仕事先に出かけた。

 

ジープニーと呼ばれる乗合バスは、

客席が向き合うベンチになっていて、

窓やドアもガラスが無く開け放たれている。

 

風をあびながら外をボーッと眺めていた時。

 

だだっ広い草むらの向こうに広がる地平線に、

昇り始めた太陽の光が、力強く降り注いでいた。

 

「magandang umaga……」

思わずそう呟いた。

 

なんてキレイな朝なんだろう。

美しい朝なんだろう。

 

風をあびながら、

太陽の光をあびながら、

地平線を眺めていると、

ただそれだけの朝が、

有り難くしあわせなことに思えてくる。

 

「美しい朝ですね」

そう言って1日を始められたら、

どんな毎日も大切に思えるような気がした。

 

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久しぶりに過ごした家族との朝。

シンと空気の冷える懐かしい故郷の朝は、

変わらず美しかった。

 

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友人と毎年見ている初日の出も、

今年は特にキレイだった。

 

magandang umaga

美しい朝。

 

仕事始めの朝は辛いけど、

きっと、明日の朝も美しいはずだ。

 

それは、フィリピンでも、故郷でも、東京でも。

自分自身の見方や心の持ち方を変えれば、

きっと朝は変わらず美しいはず。

 

magandang umaga

マガンダン ウマガ

 

そう挨拶する人は身近にいないけど、

心の中で呟いてみよう。

 

フィリピンで暮らしていたころの挨拶は、

今、朝の気分を上げる、

毎日を楽しくするためのおまじないの言葉に変わった。

 

 さぁ、お正月気分を脱出だー\\\\٩( 'ω' )و ////

 

 

 

「案ずるより産むが易し」と言うために

痛てててて……

ふ、太ももがちぎれるーー!!!!

 

ここ数年、大晦日はヨガ講師をしている友人にレッスンを受けている。

同級生が集まり、年の終わりに心も体もスッキリし、新しい年に期待を込める。

 

今年は妊婦さんも参加したので、

お腹を圧迫しないマタニティヨガをすることに。

 

妊娠中ではない女性でも、

月経痛の軽減や更年期症状予防のために

続けてみるとよいという。

 

ーーそうは言っても妊婦さんに安全なヨガでしょ。

楽勝、楽勝♪

 

心の中でそう思っていた。

 

ところが、だ。

「む、無理〜!」

最初に悲鳴をあげたのは、妊娠の予定もない、独身気ままな、わたしだった。

 

好きなものを食べ、好きな時に好きなことをし、

ストレスなんてないはずなのに。

いや、だからこそ

甘やかしに甘やかした体は、即座に悲鳴をあげた。

 

「出産は女性の生涯において、一番体力を消費すると言われています」

 

ヨガ講師の友人が言うように、

出産するためには、とてつもない体力が必要だ。

農作業をしていた昔に比べ、圧倒的に今は体を動かす時間が短い。

便利な家電に頼り、デスクワークで座り放題、自主的に体を動かしていないわたしの身体が、

そんな運動量に耐えきれるわけがない。

 そもそも普段から運動している男性陣だって、「これは効くなぁ〜」と言っていたのだ。

 

 

「痛てててて……
ふ、太ももがちぎれるーー!!!!

無理ー!産めなーい!!!!」

 

半泣きでポーズを取るわたしの叫び虚しく、

「はい、もう一呼吸〜」と

レッスンは続いていく。

 

案ずるより産むが易し。

 

わたしの場合、産むためにはまず案じなければいけないのかもしれない。

 

今の自分と向き合い、

何が足りないかに気付き、

どうやって補い、さらにプラスにしていくのか。

じっくり思案し、準備していく。

 

アイディアも、

文章も、

仕事も、

人間関係も、コミュニケーションも。

 

産むためには、

何か成果を出すためには、

産む前に、案ずる前に、

ひたすら考え準備をしていく。

 

「悩む前にやっちゃったほうがいいよね」

 

そんな出たとこ勝負の生き方は、

三十路も過ぎたこれからは、

そろそろ通用しないのかもしれない。

 

案ずるより産むが易し。

そう言えるように、

そんな結果を出せるために。

 

新しい年は、

心身ともに鍛え、

言葉も見た目も磨き、

新しいものを生み出していく。

 

そんな一年にしたいと思います。

 

さて、本日はNew Year's Eve.

大晦日です。

 

セカンドチャンスは0時まで有効。

一度立ち止まり、振り返る。

残りの時間を、今年のためにつかう。

 

すべての有難きことに感謝を込めて。

新しい年が、幸多き1年になりますように☆

 

 

【北海道を読む】①日ハム栗山監督に学ぶ愛されるヒント

2016年世帯視聴率ベスト20

第1位  ダッグアウト 58.1%

 

ん? 

 

ダッグアウト?? 

 

ん? 

 

……58.1%?!

 

思わず持っていた新聞を二度見した。

北海道の地方紙、

北海道新聞に掲載されていた

『今年の札幌地区 世帯視聴率ベスト20』

 

第1位はダッグアウト日本ハムファイターズの日本一が決定した後の中継等)

58.1%

 

ランキングを見てみると1〜9位までは日ハム関連。

10位は夏の甲子園準決勝で地元・北海高校が熊本の秀岳館に勝利した試合 30.0%

11位が1月の解散報道を受け、SMAP5名が生謝罪したSMAP×SMAP

 

なんじゃこりゃー!

東京で暮らしていると、

情報や流行は東京で作られているかのように感じてしまう。

東京が発信源となり、地方はそれを受け取っていく。

でもそうじゃない。

地方で独自に作られた文化や流行は、濃厚に伝染していく。

 熱が下がらないまま広がっていくから、一定の地域内ではどんどん、激熱になっていく。

 

道内の日ハム人気、半端ないぞ。

テレビでも毎日特集があるし、新聞にも必ず記事が出ているし、本屋さんに行っても特集コーナーがある。

日本シリーズの優勝もあってか、数年前より格段に人気が高まっている。

 

これは、気になる。

元々野球を見るのは好きだけど、実家を出てからは、ほとんど触れる機会がなくなった。

試合はまず見ないし、スポーツニュースもチェックしない。

広島が優勝して神ってたくらいは知っているが、それ以上の知識はない。

 

だけど、これは気になる。

 

視聴率58.1%って。

比べ方がわからないけど、

東京で名前を聞かない日がない

映画『君の名は。』ばりのヒットなんじゃないか?

 

そこで本屋さんの日ハムコーナーから一冊選んできた。

 

 伝える。

 

伝える。

 

 

 

北海道日本ハムファイターズ栗山英樹監督が就任後2年目に出した書籍『伝える。言葉より強い武器はない』

  

 栗山監督の本は何冊か出ているが、

自分にも役立ちそうな「言葉」をテーマにしている一冊を選んだ。

 

読んで見ると、野球ファン、日ハムファンでなければ難しい箇所もあるが、運動音痴のわたしでも学ぶことは多い。

 

チームを率いる監督として大切にしていることは、どうやら事務系OLの仕事やコミュニケーションにも活かせそうだ。

仕事でもプライベートでも、愛される人になるヒントが満載。

中でも実践したいのは、次の三つ。

 

①本を読む

②感動を共有する

③一方通行で愛し続ける

 

①本を読む

これはどの分野でも成功している人の共通点に上げられるひとつ。

この本の中でも、栗山監督の読書について触れられている。

読書家の人よりも、普段は読みたいけど時間が無い、何を読んだらいいかわからない、という人に共感を得られると思う。

最近は読書家の人達と接することが多くなったわたしは、気付くと、本を選ぶ時に少し格好つけるようになっていたかもしれない。

難しい本を選びたくなってしまっていたかもしれない。

その結果、本を開くことが億劫になってしまう。

それじゃ、本末転倒だ。

栗山監督の読書術は、シンプルで、理にかなっているかもしれない。

何より西加奈子の『ふくわらい』を紹介しているところに親近感がわく! 

しかも難しい名著や古典はCDで聞くというのも、ぐんと敷居が下がりそうだ。

この本の中で紹介されている本も、今度読んでみようと思う。

 

②感動を共有する

栗山監督は、考え抜くこと、言語化することの重要性を説いている。

常に考えやデータが言語化できていないと、瞬時の判断ができないという。

その一方で、言葉では表せない感覚も大事にしている。

特に、思いや感動の共有。

これは、コミュニケーションにおいても重要なことで、書く時にも欠かせない要素だ。

 

考え抜いて思いを言語化することで、相手の想像力に制限をかけて、共有する情報をより明確にする。

その上で言葉にしきれない思いを表現することで、相手の感動の熱を上げる。

これは一朝一夕でできるものではない。

本を読み、人から学び、実践し、失敗し、段々と身につけていける技術だ。

監督の指導力も、書き手としての表現力も、ひとりの人間としてのコミュニケーション能力も一緒なのかもしれない。

「伝える」「伝わる」ということは、

いかに感動を共有できるかに、関わってくる。

 

③一方通行で愛し続ける

監督が選手と接する時は、一定の距離を保ちながらも、片思いのように一方通行で愛し続けるという。

 

これにはハッ! とした。

「モテたい」「愛されたい」と願う時、わたしは完全に受け身の体制でいる。

頑張らずに楽なままで人に好かれるにはどうしたらいいのか。

そんな風にしか考えていなかった。

でも、そうじゃない。

例えフラれても、報われなくても、自らが一方通行で愛し続け、思いを発信し続ける。

そうでなければ、相手から勝手に寄って来てくれるなんて、そんな都合の良い話はないんだ。

 

営業でも職場でも、友人も恋愛も、

文章を書く時もそう。

どんな場面でも、

愛される人とわたしの違いはここなんじゃないだろうか。

好かれるまで待っているのか、

自ら片思いで愛し続けるのか。

断然後者の方が勇気もいるし、努力も必要だ。

でも前者でいたら、宝くじが当たるのを願っているだけで、自分では何もしないのと一緒だ。

夢も人間関係もどんなことも、

願いを叶えるには、自らが動くしかない。

答えはシンプルだ。

 

まだまだ一冊だけでは、

栗山監督を、北海道内での日ハム人気を理解するには程遠い。

 

でもこの3つを続けていけば、

愛される人になる、人気を集める秘密が少しずつ理解できるかもしれない。

 

①本を読む

②感動を共有する

③一方通行で愛し続ける 

 

まずは、実践あるのみ。

寝て起きたら、早速挑戦してみよう。